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米国遠征したメイケイエールに、彼女を世に送り出した男が目頭を熱くした理由とは?

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
米国遠征し、BCに挑戦したメイケイエール

難病に襲われ騎手を引退

 現地時間11月4日のアメリカ、サンタアニタ競馬場。顔中を砂だらけにして上がって来た牝馬を目の前にして「こみあげてくるモノがあった」と男は言う。

 武英智。1980年12月生まれで、現在42歳の調教師だ。

武英智調教師
武英智調教師

 父は元騎手で元調教助手の武永祥。武豊、武幸四郎兄弟は再従兄弟。この血統なので当たり前のように、99年、騎手デビューを果たした。しかし、彼の騎手人生は決して華やかではなかった。若いうちから腰を痛め、体重面でも苦しんだ。そんな事もあり、減量の特典がなくなってからは勝ち星に恵まれなかった。

 苦闘する彼を、更に病魔が襲った。極端な減量で免疫力が落ちていた事から難病のサルコイドーシスにかかってしまった。

 「肺と目をやられ、一時は片方の目が見えなくなりました」

 病変が脳や心臓に移動しないように、度重なる検査。それを経て、肺は危機を脱し「今では年に一度の検査で良くなった」と言い「視力も回復した」と続けるが、視界にはいくつもの黒い点が見える状態が、通常になった。

 当然このような状態では騎手を続けられず、2012年、志半ばで、鞭を置き、調教助手になった。その際、新たに所属した木原一良調教師からの命を受け、調教師を目指すと、16年の暮れに難関を突破。18年3月、開業をした。

品のある牝馬との出合い

 「開業翌年のセレクトセールで、木原厩舎時代にお世話になったオーナーの名古屋競馬さんに、落としてもらったのがメイケイエールでした」

 オーナーが牡馬を希望しているのは承知していたが、武がシロインジャーの牝馬を薦めると、首を縦に振ってくれたのだ。

 「品があって、優雅な歩き方をする馬でした。何度も下見をして、毎回良いと感じたので、買っていただきました」

「品がある」と感じたメイケイエール
「品がある」と感じたメイケイエール

 父はディープインパクト産駒のミッキーアイル、母のシロインジャーはその母系をユキチャン、シラユキヒメと遡るあの白毛の血脈。20年8月、小倉の新馬戦を圧勝すると、2戦目で小倉2歳S(GⅢ)に出走した。

 「初戦の内容から絶対に勝てると思い、小倉へ移動したのを覚えています」

 その見解に誤りはなかった。武豊を背にしたメイケイエールは、先頭でゴール。武英智は、騎手時代から通して初めてとなる重賞勝利を飾った。

 「純粋に嬉しかったけど、一所懸命に走り過ぎるので、どうやって折り合いを覚えさせれば良いのか……。お祝いのLINEの返信を打ちながら、ずっとそんな事を考えていました」

 続くファンタジーS(GⅢ)で重賞を連勝したが「使いながらどんどん難しくなって」(武英智)いくと、阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)では同じ母系に遡る白毛馬ソダシの前に、4着に敗れた。

 「ただ、レース後、豊さんに『大丈夫、桜花賞を勝てる』と言われて、すごく嬉しかったのを覚えています」

勝ったソダシ(6番)からそう大きく負けなかった阪神ジュベナイルフィリーズ(右から2頭目のピンク帽)
勝ったソダシ(6番)からそう大きく負けなかった阪神ジュベナイルフィリーズ(右から2頭目のピンク帽)

「ダメな馬」ではない!

 しかし、3歳初戦のチューリップ賞(GⅡ)では、かろうじて同着の1着になったものの、道中は今まで以上に難しい面を露呈してしまった。

 「他馬に迷惑をかけたし、豊さんにも『もっと良くなってくると思ったけど……』と言われ、勝ったのに1ミリも喜べず、目の前は真っ暗でした」

 レース後、たまたま伊丹の空港で顔を合わせた藤原英昭にそんな思いを吐露すると、先輩調教師から『勝ったんだから素直に喜んでおけば良い』と返された。この言葉に少し救われたが、続く桜花賞(GⅠ)では、またも奈落の底へ落とされる思いをした。

 「暴走気味に掛かって競馬になりませんでした」

 スタートは速くなかったが、馬群を蹴散らすように3コーナーでは先頭に。直線では無抵抗のまま下がって最下位に敗れた。

 「多くの人から『あんな走りをして、ダメな馬だ』というような事を言われました。エールは一所懸命なだけで、決してダメな馬ではないのに、自分が良くしてあげられなかったせいで、そんな事を言われてしまい、情けなくて、調教師になってから最も大きなショックを受けました」

 悔しさと申し訳なさで涙の出る思いだったが、そんな時、勇気をくれる出来事があった。個性派のメイケイエールに多くのファンがつき、日に日にファンレターの数は増えた。

 「最初の頃は全て返事を書いていたのですが、あまりに多過ぎて、今は時間を取れなくなりました。でも、全て目を通しているし、山のように届いたお守りは、担当厩務員が大事に保管をしています」

「数えきれないほど届いた」というお守りの一部(武英智調教師提供写真)
「数えきれないほど届いた」というお守りの一部(武英智調教師提供写真)

偶然が生んだ新たなパートナーとの出合い

 そんなファンの声を聞き、プロの調教師として、泣いている場合ではないと、顔を上げた。そして、原点に戻して、やり直そうと決意。まずはメイケイエールを牧場に戻すと、繁殖にあがった馬のように、放牧地に放してもらった。

 「その上で、距離も1200メートルを中心に使うようにしました」

 キーンランドC(GⅢ)を叩き(7着)、GⅠのスプリンターズSへ向かった。

 しかし、ここで一つ問題が起きた。ここまで手を組んでやってきた武豊が、スプリンターズSと同じ日に行われる凱旋門賞(GⅠ)に騎乗するため、乗れなくなったのだ。新たな鞍上を誰にしようかと考えている時、思わぬ出会いが待っていた。

 「たまたま外で一緒になった謙君(池添謙一)が肩を落としていたので、何があったのかを聞いたら『スプリンターズSで乗る予定だった馬が怪我で出られなくなった』と言うんです」

クセ馬を操らせたら現役屈指の存在といえる池添謙一騎手
クセ馬を操らせたら現役屈指の存在といえる池添謙一騎手

 池添といえばオルフェーヴルやスイープトウショウといったクセ馬を栄冠に導いた名手。互いにとって渡りに船といえる状況だった。オーナーに連絡をすると、すんなりと話は決まった。

 こうして名コンビが誕生した。初タッグのスプリンターズSは4着に敗れたが、レース後の池添の言葉が指揮官を勇気付けた。

 「『今日は思ったように乗れなかったけど、GⅠを勝てる力はあります』と言ってもらえました」

 続くシルクロードS(GⅢ)では初めて折り返し手綱を着けると、折り合って勝利。外枠で馬場状態も悪かった高松宮記念(GⅠ)こそ5着に敗れたが、その後の京王杯SC(GⅡ)では1400メートルを克服して優勝。更にセントウルS(GⅡ)も連勝し、6つ目の重賞タイトルを掌中に収めた。

京王杯SCを勝利した際のメイケイエール。奥が武英智で、右は池添謙一
京王杯SCを勝利した際のメイケイエール。奥が武英智で、右は池添謙一

 「完全に本格化したと思い、スプリンターズSも勝てると思いました。ところが思ったように走れず(14着)、桜花賞に次ぐくらいのショックを受けました」

 それでも香港へ遠征し、香港スプリント(GⅠ)に挑戦すると「結構、掛かったのに、強い香港のスプリンター相手に僅差(0秒3差5着)で頑張ってくれました」。

香港で善戦(中央緑と白の山形帽)
香港で善戦(中央緑と白の山形帽)

 こうして迎えた今年の初戦は高松宮記念(GⅠ)。オーナーが名古屋競馬という事もあり、何としてもここで初GⅠ制覇を飾ってほしいと万全の状態に仕上げた。

 「私自身、家族を皆、中京に連れて行く手配をするくらい期待していました。ところが朝、起きたらもの凄い雨で、跳びの綺麗なエールには合わない酷い馬場になってしまいました」

 結果は12着。雪辱を期したヴィクトリアマイル(GⅠ)はフレグモーネで取り消し、安田記念(GⅠ)に目標を変更したが、ここはスタートで落鉄をして、外傷。全く力を出す事なく15着に沈んだ。

 「GⅠになると不運に見舞われました」

 続くスプリンターズSは5着だった。

 「勝てなかったので喜んではいけないのですが『やっぱりこの子はまだやれる!!』と思うと、感動しました」

 そして、一気に今回のアメリカ、ブリーダーズカップ(以下、BC)へと舵を取った。

込み上げてくるモノがあった理由

 「左回りの方が良さそうというのはずっと前から皆の一致した見解でした。テンから速いアメリカなら折り合いもつくだろうし、ダートも母系がシラユキヒメなら大丈夫だと思えました。あとは距離を優先に考えてフィリー&メアスプリントへの挑戦を決めました」

 現地入り後の調教での走りからも「こなせそう」と感じた。すると、その晩、不思議な夢を見た。

 「自分がサンタアニタの街中で馬に乗っている夢でした」

 生まれ変わっても騎手になりたいと思っている武英智は、こんな夢を見させてくれたメイケイエールに、改めて感謝をした。

調教の感じではアメリカのダートも大丈夫と思えたメイケイエールだったが……
調教の感じではアメリカのダートも大丈夫と思えたメイケイエールだったが……

 レース当日、パドックは通過するだけで、真っ先に馬場へ入れる等、切れるカードは全て切った。そんな成果もあり「返し馬を見た時にはこの1年で最高のデキ」だと感じた。

 ところが、前扉が開くと、ダートの本場の競馬が太平洋を越えてきた牝馬に容赦なく牙をむいた。

 「ぶつけられて後方になると、道中は砂を浴びて、馬体の色が変わっていくのが分かったので、心配しながら見ていました」

 結局、最後までスピードに乗れないまま。9頭立ての最下位でゴールを迎えた。

 「跳びが大きいので回転力で負けている感じでした。合うと思って連れて行ったわけですけど、終わってみれば、適性の面でここではなかったのか、と反省しました」

 そんな思いで、上がって来るメイケイエールを迎えた。顔中を砂まみれにして戻って来た彼女を見ると、自然とこみあげてくるモノがあった。

顔中を砂まみれにして上がって来たメイケイエール
顔中を砂まみれにして上がって来たメイケイエール

 「かわいそうな思いをさせてしまったという申し訳なさと、ここまで連れて来てくれた事への感謝と、色々な感情がない交ぜになって、目頭が熱くなりました」

 幸い、外傷もなく、8日には無事に帰国し、現在は白井の競馬学校で着地検疫を行なっているという。

 「今後、調教師としてこの子より戦績で優る子を作っていかなければいけないのですけど、そういう子が現れたとしても、エールより思い入れの深い馬に出合えるかは、微妙ですね」

 そう言うと、更に続けた。

 「エールももう5歳ですから、あと何戦、一緒に挑めるか分かりません。今はこの時間を大事にしたい。そんな気持ちで一杯です」

メイケイエールと武英智
メイケイエールと武英智

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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