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かつてのパートナーがGⅠに出走する若いジョッキーの、現在の心境は……

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
東京スポーツ杯2歳のゴール前

ジョッキーベイビーズから騎手へ

 12月24日、自らクリスマスプレゼントを掴み取ったのが永野猛蔵。デビュー2年目の若手ジョッキーだ。

 「今年は怪我で2度、休んだけど、周囲の皆さんに助けていただいて、何とかこれだけ勝てました」

 アポロプラネットでの勝利が今年の30勝目。デビュー年の29勝を上回る勝ち星となった。

12月24日、アポロプラネットで今年30勝目をあげた永野猛蔵騎手
12月24日、アポロプラネットで今年30勝目をあげた永野猛蔵騎手

 新潟県新潟市で2002年9月8日に生まれたから現在、二十歳。自営業の父の名から一字もらって猛蔵と名付けられた男は、4人きょうだいの長男として育った。幼少時は体を動かすのが好きで、1歳下の弟とサッカーや野球に興じた。

 「祖父が競馬好きで、新潟競馬場にたまに連れて行ってもらっていました。小学5年の時、周囲の皆と少し違う習い事をしたいと思い、新潟競馬場で乗馬を始めました」

 競馬を見始めたのもこの頃で、15年にはジョッキーベイビーズに参加し、東京競馬場でのポニー競馬で騎乗をした。

 「福島での予選で1着になった時は嬉しかったし、感動しました。東京へは母と一緒に新幹線に乗って行きました。初めて競馬場で乗ったのが刺激的で、ジョッキーになりたい気持ちが強くなりました」

15年のジョッキーベイビーズに参加した永野少年(左端の黒帽)
15年のジョッキーベイビーズに参加した永野少年(左端の黒帽)

 中学卒業後の18年、競馬学校に入学。寮生活も初めてで、慣れるまでは苦労した。しかし……。

 「ジョッキーベイビーズで一緒になった時から仲良くしてもらっていた横山琉人君を含め、同期の皆と仲良くやれたので、1ヶ月もすると楽しくなりました」

 2年の時の厩舎研修で、師匠となる調教師の伊藤圭三と顔を合わせた。

 「周囲から『厳しい先生』と聞いていたのでドキドキしました。実際、ストイックで厳しい面のある先生でしたけど、常に愛情を感じるので、怖いと感じた事はありません」

師匠の伊藤圭三調教師
師匠の伊藤圭三調教師

初騎乗初勝利でデビュー

 21年3月に騎手デビュー。自厩舎のタマモヒップホップで初騎乗を果たした。

 「調教で跨っていて、力があるのも、馬の状態がすごく良くなっているのも分かっていました。だから自信があったけど、レース前は緊張しました」

 そんな緊張感を打ち破ろうと前向きになれる出来事があった。

 「同期の小沢(大仁)君が阪神で初騎乗初勝利を記録したのを、装鞍所で見ていました。周囲の人に『おまえも行け!!』と言われて『自分もやってやろう!!』と思ました」

 タマモヒップホップに跨ると「緊張がほぐれた」。伊藤から言われた通りスタートを決めると、前で競馬が出来た。結果、最後まで他馬に先頭を譲る事なく、初騎乗初勝利をマークしてみせた。

 「勝てたのは勿論、嬉しかったですけど、先生の指示通りに乗れたのが良かったです。だから、正直、ホッとしたという気持ちでした」

デビュー当初の永野
デビュー当初の永野

 結果、デビュー年に29勝を挙げる事が出来た。

 「30勝したかったけど、1つ足りませんでした」と言うものの、新人としては立派な成績。しかし、本人はかぶりを振って、続けた。

 「沢山の人達に助けていただいた結果です。とくに伊藤先生には沢山、乗せていただきました。失敗して叱られる事もあったけど、尾を引く事なく、乗せ続けてくださいました」

 競馬なので結果を出すのは難しかったが、結果を出そうとする姿勢を見てくれているのが嬉しかった。

 「地元の新潟で重賞初騎乗をさせてもらったのですが、その時に乗ったタマモブトウカイも伊藤先生の馬でした。10着に負けてしまいましたけど、いつか伊藤先生の馬で大きなところを勝ちたいと心に誓いました」

永野騎乗で自己条件を勝ったタマモブドウカイはこの次走でレパードS(GⅢ)に挑戦した
永野騎乗で自己条件を勝ったタマモブドウカイはこの次走でレパードS(GⅢ)に挑戦した

乗り替わりを糧に

 そう語る永野は、昨年、師匠の管理馬で12勝をマークした。全29勝のうちの12勝である。一方、今年は同じ29勝を挙げた時点で自厩舎の馬は半分の6頭。伊藤の馬で勝ちたいと願うのと同時に、伊藤のお陰もあって、他の厩舎での勝ち鞍も大幅に増えて来たのだ。

 そんな10月23日、東京芝1800メートルの新馬戦で騎乗依頼を受けたのが上原博之厩舎のガストリックだった。

 「デビュー前の調教でも乗り、緩いけどバネがある馬という印象を持っていました。手前を替え辛いような面も出していたので、使ってから良くなる馬かと思いました」

 レース当日も返し馬が終わってからクルクル回る素振りを見せるなど、幼い面を出し、発馬もゆっくり。序盤は最後方から進んだ。

 「それが3~4コーナーからハミを取り出しました。その時点で『伸びそう』とは感じたけど、追ったら想像以上に凄い伸びを見せてくれました」

 結果は豪快に差し切り勝ち。

 「上でもやれそうと楽しみになる結果でした」

 しかし、続く東京スポーツ杯2歳S(GⅡ)での同馬の鞍上に永野はいなかった。乗り替わりにより、検量室のテレビで、かつてのパートナーの競馬ぶりを見る事になったのだ。

東京スポーツ杯2歳に出走したガストリック。鞍上は三浦皇成騎手
東京スポーツ杯2歳に出走したガストリック。鞍上は三浦皇成騎手

 「悔しかったです。正直『勝ったのに、なんで乗せてもらえないの?』とも思いました。ただ、自分にまだ経験が足りないのも分かっていたし、仕方ないのも分かっていました」

 新たにタッグを組んだ三浦皇成を背にしたガストリックが、直線で伸びて来る様を見て、思った。

 「『あぁ~、やっぱりきた!!』と思いました」

 先頭でゴールするのを見ると、改めて悔しさが湧いたが、冷静に次のように、考えた。

 「2戦目でGⅡを勝つような馬のデビュー戦で乗せてもらえたのは、良い経験だったし、今度に活かしていかなければいけないと考えるようにしました」

 更に続けて、言った。

 「今は一流ジョッキーとして活躍されている方でも、若い時はこういう悔しい経験をしてきた人が沢山いると思います。僕もこれを糧にして、頑張ります!!」

 ガストリックは28日に行われるホープフルS(GⅠ)に出走する。鞍上は引き続き三浦になる予定だ。永野は言う。

 「将来的にはこういう良い馬を任される立場になりたいですけど、今回は、全力で応援させていただきます」

 ガストリックの好走が、永野を更に成長させてくれると願いつつ、ホープフルSの走りに注目したい。

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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