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武豊のマイルチャンピオンシップ勝ちに隠された当時のエピソードとは?

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
13年のマイルCSを制した武豊とトーセンラー(写真提供;日刊スポーツ/アフロ)

マイルも走れる

 今週末はマイルチャンピオンシップ(GⅠ)が行われる。

 2013年のこのレースの覇者はトーセンラー。手綱を取ったのは日本が誇るナンバー1ジョッキーの武豊だった。

 同馬は同じ年の春には天皇賞(春)に出走していた。同レースの距離は3200メートル。マイルチャンピオンシップはその名の通りのマイル戦(1600メートル)だから、半分の距離という事になる。ちなみに天皇賞(春)はフェノーメノの2着。勝ちこそしなかったが、善戦していた。この時も騎乗していた武豊は、果たして半分の距離となるマイルチャンピオンシップでどのくらいやれると思っていたのか。当時、レース前に、次のように語っていた。

 「マイルも走れると思うし、直前の調教の動きも抜群だったので、好勝負出来るでしょう」

武豊とトーセンラー(写真は14年有馬記念出走時)
武豊とトーセンラー(写真は14年有馬記念出走時)

 実際にゲートが開くと序盤は後方に控える位置取りになった。

 「スタートは良かったけど、そのままの位置にいたらゴチャつくと思って意識的に下げました」

 この判断が正しかった。

 「実際、その後、前の方で少しゴチャゴチャする感じがあったので、下げて良かったと思いました」

 しかし、後ろにいるからといってノンビリ構えていたわけではないと続ける。

 「マイルチャンピオンシップは春の天皇賞とスタート位置が近いので、トーセンラーが勘違いして(天皇賞みたいに)『ゆっくり行けば良い』と思うと良くないから、早目に指示を出して行きました」

 すると、鞍下のパートナーが鞍上の意思に気付いてくれたと言う。

 「すぐに反応してくれたので、その後は終始好手応えでした。正直、向こう正面では早々に『進路さえ開けば勝てる』と感じました」

 それだけ早目に勝利を確信出来るのは、稀有だったと続ける。

 「トーセンラーの父のディープインパクトも4コーナーあたりでは勝ちを確信出来たけど、滅多にいるものでないのは確かです。実際、最後も乗っていてビックリするくらいの脚で伸びてくれました」

 こうしてトーセンラーと武豊は真っ先にゴールに飛び込んだ。これが武豊にとって100回目となるGⅠでの優勝劇だった。

 「同じ年のダービーをキズナで勝ったのが99勝目でした。リーチをかけてからあまり時間をかける事なく、同じディープの仔で勝てたのは素直に嬉しかったです」

13年、キズナで制した日本ダービー(GⅠ)が武豊にとって通算99回目のGⅠ制覇だった
13年、キズナで制した日本ダービー(GⅠ)が武豊にとって通算99回目のGⅠ制覇だった

 ちなみにそれだけのGⅠを勝っていた武豊だったが、マイルチャンピオンシップを勝ったのは前年のサダムパテックが初めて。当時は「苦手なGⅠ」などと言われる事もあった。勝てないGⅠを苦手などと言ったらほとんどのジョッキーがほとんどのGⅠを苦手と言わなければいけなくなるわけで、そんなふうに評されてしまうのは、むしろ名手である証拠だ。2年連続で制した武豊は「マイルチャンピオンシップは得意なレース」と言って笑わせたが、この言葉には彼なりの矜持を感じさせたものである。

武豊とトーセンラー(14年、マイルチャンピオンシップ出走時
武豊とトーセンラー(14年、マイルチャンピオンシップ出走時

名調教師が武豊よりも喜んだ理由

 そしてこのレースで武豊以上に嬉しそうな表情を見せたのがトーセンラーを管理する藤原英昭だ。

 「ユタカでGⅠを勝つ事が出来て、本当に良かった」

 遡る事3年。2010年の11月に、トーセンラーは武豊を背に新馬勝ちを収めている。

 更に遡る事7ケ月と少し。毎日杯(GⅢ)で同騎手の乗ったザタイキは最後の直線で故障。馬場に叩きつけられた天才ジョッキーは大怪我を負った。

 このザタイキを管理していたのが、藤原だった。

22年天皇賞(秋)にシャフリヤールを出走させた際の藤原英昭調教師(右)
22年天皇賞(秋)にシャフリヤールを出走させた際の藤原英昭調教師(右)

 天才騎手は手術を行い、治療とリハビリで休む事4ケ月以上。8月にターフに戻ったが、無理して早めに復帰したせいもあって休養前ほどには勝てなかった。藤原とのコンビによる復帰後初勝利がトーセンラーの新馬戦だった。そしてその3年後、今度はついにGⅠを優勝した。多くは語らないが、責任を感じていたであろう藤原が、少し胸を撫で下ろしたのは想像に難くない。

 さて、復帰後の武豊と藤原英昭のタッグは、このトーセンラーによるマイルチャンピオンシップ(GⅠ)の他に、19年にはレッドベルジュールでデイリー杯2歳S(GⅡ)を勝つ等、48レースで8勝、2着10回、3着6回。48回中、3着以内が実に半分の24回もあるのだ。名手と名調教師のコンビといえ、素晴らしい実績なのは疑いようがない。約10年間で48回のタッグというのは決して多くはないが、馬柱に名前が並んできた時には、軽視は禁物だ。彼等のますますの活躍に期待したい。

現在もトップジョッキーとして世界中で活躍する武豊。藤原とのタッグにもまだまだ期待したい
現在もトップジョッキーとして世界中で活躍する武豊。藤原とのタッグにもまだまだ期待したい

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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