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ウオッカvsダイワスカーレットの天皇賞。名勝負の裏にあったアナザーストーリー

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
大接戦となった2008年天皇賞(秋)(GⅠ)のゴール前

2強牝馬と差のないオッズで続いた馬

 今週末、東京競馬場で天皇賞(秋)(GⅠ)が行われる。このレースで思い出されるのが、今から14年前、2008年の一戦だ。先に抜け出したダイワスカーレットに大外から強襲したウオッカ。牝馬2頭によるハナ差の大接戦は今でも名勝負として語り草になっている。

 その2頭に焦点のあてられたレースではあったが、出走馬は他に15頭の計17頭。その中には、1、2番人気を争った先述の2頭の牝馬と、オッズ的にそう大きな差のない馬が1頭いた。2つのGⅠを含む重賞4連勝中のその馬は、ディープスカイ。この年のダービー馬だった。

2強牝馬に僅差のオッズで続いたこの年のダービー馬・ディープスカイ。鞍上は四位洋文騎手(当時、現調教師)
2強牝馬に僅差のオッズで続いたこの年のダービー馬・ディープスカイ。鞍上は四位洋文騎手(当時、現調教師)

敵の強さを知る鞍上

 天皇賞が行われたのは11月2日。遡る事4日、10月29日、午前8時57分の栗東トレセン。厚い雲に覆われた空の下、ディープスカイの調教をつけた四位洋文(当時騎手、現調教師)は、にこやかな表情で「グッド!」と言うと、更に続けた。

 「今日は昆(貢調教師)先生からの指示でステッキを入れなかったけど、一度使われたから動きはよかったです」

 春に毎日杯(GⅢ)を勝つと、続くNHKマイルC(GⅠ)も制覇。GⅠ馬の仲間入りを果たすと、返す刀で日本ダービー(GⅠ)も優勝。2年連続でのダービージョッキーとなった四位と迎えた秋初戦は神戸新聞杯(GⅡ)。ここも余裕の差し切り勝ちを演じ、菊ではなく、盾獲りにコマを進めてきた。

 単勝オッズは1、2番人気のウオッカ、ダイワスカーレットが2.7、3.6倍に対し、ディープスカイは4.1倍。そう差のないオッズに、ファンの期待度の大きさが窺える。

1番人気に推されたウオッカ。しかし、ディープスカイもオッズ的にはそう大きな差はなかった
1番人気に推されたウオッカ。しかし、ディープスカイもオッズ的にはそう大きな差はなかった

 そんな期待を抱いていたのはファンばかりではない。タッグを組む四位も「チャンスあり」と目論んでいた。ディープスカイに対し親しみを込めて「ディープ」と呼ぶ四位は言った。

 「全体的に“まだまだ”だと感じてしまうけど、これはディープに対する期待が大きいからです。ダービー馬らしい走りが出来ればチャンスは充分だと考えています」

 しかし、同時に次のようにも続けた。

 「ウオッカとダイワスカーレットは強い。どこまでやれるのか試金石の一戦とも考えています」

 ウオッカとダイワスカーレットの強さを誰よりも知っているのもまた四位だった。前年のダービーではウオッカとコンビで栄冠を勝ち取った。そのウオッカに跨って、ガチンコの力勝負で負かされた相手が、ダイワスカーレットだった。強力な牝馬2騎にどこまで通用するか……。そんな思いも胸に、府中の2000メートルに挑んだ。

四位騎手(当時)
四位騎手(当時)

勝つために攻める競馬を

 天皇賞当日は晴れたり曇ったりを繰り返した。

 第7レースを終えた四位は、その後、11レースの天皇賞まで騎乗がなかった。その間、検量室前に顔を出すと、たわいもない話を口にしたが、その表情には緊張感が漂っていた。

 パドックでは体をくの字に曲げ、ディープスカイ関係者の小さな子供と和やかに言葉をかわした。

 「(オーナーの家族の子供から)勝負服型に折られた折り紙をあげるって言われ『今からレースだから表彰式の時にもらうね』と返事をしていたんです」

パドックでのディープスカイ
パドックでのディープスカイ

 その後、騎乗しパドックを周回後、馬場入り。返し馬も順調に終えて待避所へ。

 「輪乗りの際は、ある出走馬の調教師から『蹴る癖があるので気をつけて』と言われていたため、その馬の位置を確認しながら歩かせました。その間もディープスカイは落ち着いていました」

 ゲートインが近づくと、少しバタバタする素振りをみせたが、それに関しては冷静に対処した。

 「元来、怖がりなので、ゲートの係員とか周囲の皆が動き出すと反応しちゃうんです。でも、それは分かっていたので慌てませんでした」

 こうしてすんなりとゲートに収まると、しばらくして前扉が開いた。

 「ハナへ行けるくらいの絶好のスタートでした。ただ、ダイワスカーレットが行くであろうことは予測していたので、無理には行きませんでした」

 更にアサクサキングスら何頭かが前に入り、ディープスカイは6番手でレースを進めた。

 「ダービーの時よりは随分前になったけど、ウオッカとダイワスカーレットに勝とうと考えたら、攻める競馬をしないと駄目ですからね。そういう意味では、考えていた通り位置取りでした」

 前半は58秒台。その時の手応えを次のように述懐する。

 「いつもより出していった分、終始ハミを噛んでいました。正直、『これでは最後までモタないのでは?』と思いました」

 しかし、4コーナーでもまだ手応えはあった。そして……。

 「前にいるダイワスカーレットの安藤(勝己元騎手、引退)さんの手応えが悪く見えました」

 それを見て「相手はウオッカだ!」と思った。しかし、前にいたダイワスカーレットと違いウオッカは視界に入っていなかった。そこで、少しの間、追い出しを我慢した。

 「手応えはあったので、ひと呼吸我慢してから追いました」

 ラスト300メートル。

 左前には予想以上に粘っているダイワスカーレットがみえた。そして、右後ろからはかつて自らが着ていた黄色い勝負服が追い上げて来たのが目に入った。

 「やっぱり来た!という気持ちでした。そこからはディープに『頼む!頼む!』って声をかけながら必死に追いました」

ゴール寸前。右端がダイワスカーレットで左端がウオッカ。ウオッカの右で白い鼻面が見えるのがディープスカイ
ゴール寸前。右端がダイワスカーレットで左端がウオッカ。ウオッカの右で白い鼻面が見えるのがディープスカイ

 左に粘るダイワスカーレット、右に迫り来るウオッカ。2頭に挟まれて必死に追ったが、前者との差が縮まりそうで縮まらないうちに、後者にも僅かにかわされると、その後はこの2頭との差がなかなか詰まらなかった。

 結果、2強牝馬がほぼ同時にゴールに飛び込み、四位とディープスカイは僅かにクビだけ遅れてゴールラインを通過。3頭は皆、1分57秒2のレコードタイムで駆け抜けた。

 「ゴールの瞬間、負けたのは分かりました」

 脱鞍所へ戻った四位は昆をはじめとした厩舎関係者に「すみません」と言って頭を下げた。そして、鞍を外した後、一緒に戦ってきた相棒の肩をポンポン、ポンポンと4回、叩いた。

 「最初から分かっていたことだけど、やはりウオッカとダイワは強かったです」

 つまり、納得の敗戦かと思いきや、表情は悔しそう。いかにも「だからこそあそこまでいったら勝ちたかった」と言いたそうに、唇を噛んでみせた。

レース後、報道陣に囲まれる四位。「ウオッカとダイワが強いのは分かっていたけど……」と言いつつも悔しそうな表情を見せた
レース後、報道陣に囲まれる四位。「ウオッカとダイワが強いのは分かっていたけど……」と言いつつも悔しそうな表情を見せた

果たして物語の続きは……

 レース2日後の11月4日、四位と再び顔を合わす機会があった。

 「勿論勝ちたかったから悔しいです。でも、その反面、2強相手に3歳の身でよく頑張ってくれたという満足感もあります」

 ディープスカイはその後、ジャパンC(GⅠ)でスクリーンヒーローの2着、安田記念(GⅠ)では再びウオッカに敗れる2着など、GⅠ戦線で善戦しながらも勝てずに引退した。また、四位は2020年に調教師試験に合格。鞭を置くと、翌21年、コロナ騒動の真っ只中に開業。現在は調教師として新たな道を歩んでいる。

 「いずれディープスカイやウオッカのような大舞台で活躍する馬を育てたいですね」

 立場は変わったが、いつか物語の続きが見られる事を期待したい。そして、今週末の天皇賞でもまた別のドラマが見られる事を期待しよう。

現在は調教師となった四位。立場は変わったが、ディープスカイのような名馬でまた天皇賞ら大レースに挑戦し、物語の続きを見せていただきたい
現在は調教師となった四位。立場は変わったが、ディープスカイのような名馬でまた天皇賞ら大レースに挑戦し、物語の続きを見せていただきたい

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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