Yahoo!ニュース

天に召された快速馬が残したモノと、育てた伯楽がライバルにやり返したかった事

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
98年仏国遠征時のタイキシャトルと藤沢和雄調教師(当時)

修業中の英国で知り合ったライバル

 手元に関係者と共に撮っていただいた集合写真がある。若き日の武豊騎手夫妻が写っている。フランスのトニー・クラウト元調教師の笑顔もある。岡部幸雄元騎手に、藤沢和雄元調教師もいる。また、既に鬼籍に入った人の姿もちらほら見える。それもそのはず、右下には撮影された日付として1998年8月16日と記されている。

 それから24年と1日経った今年の8月17日、この写真の主役も星となった。

 これは勝ち祝いの席で撮られた。この数時間前、タイキシャトルがジャックルマロワ賞(GⅠ)を優勝していた。

ジャックルマロワ賞勝利直後のタイキシャトル
ジャックルマロワ賞勝利直後のタイキシャトル

 後にJRAで1500勝以上を記録し、伯楽の名をほしいままにする藤沢和雄元調教師。日本の競馬界に入る前にイギリスのニューマーケットで4年間、修業したのは有名な話だ。当時、彼が師事していたのはプリチャード・ゴードン元調教師。ある日、師匠から1人のホースマンを紹介された。

 「それがマイケル・スタウトでした」

 英皇室から“サー”の称号をもらい、名調教師となる男だった。

 「その後は朝、会えば挨拶をする仲になりました」

 とはいえ、すごく親しくなったというわけでなかったと言う。

現在のマイケル・スタウト調教師
現在のマイケル・スタウト調教師

 そんなスタウトに肩を抱かれた事があったと苦笑交じりに語る出来事があった。それがバブルガムフェローでジャパンC(GⅠ)に挑戦した時の事だった。

 1995年、現在の朝日杯フューチュリティS(GⅠ)を制したバブルガムフェローは、翌96年、今でいう3歳で天皇賞(秋)に出走した。すると、春の天皇賞馬サクラローレルや6連勝中のマーベラスサンデー、更には有馬記念などGⅠを3勝しているマヤノトップガンら古馬勢を撃破して先頭でゴール。87年に天皇賞(秋)が3歳馬に解放されてから初めて3歳で盾を掌中に収めてみせた。

 そんなバブルガムフェローが次なる標的にしたのがジャパンCだった。しかし、同馬はこの競走に縁がなかった。ここで敗れると、翌97年も出走したが連敗。勝利したのはそれぞれシングスピールとピルサドスキー。共にイギリスからの遠征馬で、管理していたのはどちらもスタウトだった。藤沢元調教師は述懐する。

 「レースが終わると、スタウトが私の肩を抱きながら『カズ、俺は日本が大好きだよ。この国での勝ち方が分かったよ』と言いました」

 カチンと来た。しかし、負けている以上、何を言い返しても“負け犬の遠吠え”になる。黙って奥歯を噛みしめた。

現役時代の藤沢和雄元調教師
現役時代の藤沢和雄元調教師

強敵相手揃ったフランスGⅠ

 タイキシャトルが海を越えたのはそんな悔しい思いをした翌年の事だった。安田記念(GⅠ)等GⅠを3勝するとフランスへ飛んだ。ニューマーケットで修業していた時に知り合ったT・クラウト調教師(当時、引退)の厩舎を間借りし、ジャックルマロワ賞に挑んだ。

 年によってメンバーレベルの差があるのは当然だが、日本の王者を迎え撃つこの年の地元ヨーロッパ勢は強力だった。

 直前のサセックスS(GⅠ)など重賞3勝のアモングメンがいた。そのサセックスSで3着に善戦し、後にはモーリスドゲスト賞(GⅠ)でも2着するレンドアハンドもいた。ロッキンジS(GⅠ)の覇者ケープクロスもいた。更には直前のアスタルテ賞(当時GⅡ、現ロートシルト賞・GⅠ)を圧勝していたミスベルベールが、その背に天才・武豊を配し、出走してきた。また、GⅠを含む重賞3連勝中のウェイキーナオ、ミュゲ賞(GⅡ)など重賞を3勝し、直前のイスパーン賞(GⅠ)でも3着好走のマラソンもいた。

 それら強敵を相手に1番人気に推されたタイキシャトルは、指揮官が驚くほどの競馬ぶりを披露した。

 「余裕があるのかスタンドの方をモノ見して走っていました。それでも直線の1600メートルという厳しい条件を、差し切って勝利しました。改めて感心しました」

ジャックルマロワ賞を勝利したタイキシャトル
ジャックルマロワ賞を勝利したタイキシャトル

 2着は2番人気のアモングメン。この馬を管理していたのが何を隠そうマイケル・スタウトだった。

 「レース後、肩でも抱いてやろうかと思って探したけど、見当たりませんでした。人に聞くとゴミ箱を蹴飛ばして帰って行ったという話でした」

 藤沢元調教師は、いたずらっ子のようにそう言って笑った。

 “そう言って笑った”のは24年前の話……ではない。2022年8月17日の話である。この日の朝、タイキシャトルが旅立った。まるで今年のジャックルマロワ賞が終わるのを待つようにして天に召された。藤沢元調教師は言う。

 「日本の歴史を変えた1頭でしょうね。そのままヨーロッパに残していたら、何度もスタウトの肩を抱き返せたんじゃないかな」

 タイキシャトルはこの98年に、日本競馬史上初めて、マイラーとして年度代表馬に選定された。それ以前は2400メートル路線を中心にした馬の評価が圧倒的に高く、マイルで良績を残しても頂点に立つ評価を得るのは難しかった。しかし、栗色の名マイラーが世界に飛び出して実績を残すと、スピード馬を見る周囲の目が変わった。これを境に、短中距離馬も妥当の評価を得られるようになった。13年にはロードカナロアが、15年にはモーリスがいずれもマイル以下で実績を積み上げ、年度代表馬に選ばれた。タイキシャトルが国内外に残したモノは大きかった。これからも8月の半ばが来る度に、彼の事を思い出すだろう。歴史を変えた名馬よ、安らかに眠れ。

引退後のタイキシャトル(11年撮影)
引退後のタイキシャトル(11年撮影)

(文中一部敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

平松さとしの最近の記事