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ラヴズオンリーユーが勝ったブリーダーズC。歴史の浅いこのレースの何が凄いのか?

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
引退式でのラヴズオンリーユー。左から4人目が矢作芳人調教師

起死回生の策だったBC

 1月30日、ラヴズオンリーユー(栗東・矢作芳人厩舎)の引退式が行われた。

 そのいでたちはブリーダーズC(以下BC)を制した時のもの。日本馬として初めての快挙を達成した事は広く知られているが、38回と歴史の浅いBCのどこが凄いかを説明出来る人は意外と少ない。

引退式でのラヴズオンリーユー。向かって右が矢作芳人調教師で鞍上は川田将雅騎手
引退式でのラヴズオンリーユー。向かって右が矢作芳人調教師で鞍上は川田将雅騎手

 第1回BCが開催されたのは1984年。当時、ファンだった私は「1日に複数のGⅠを行うんだ?!」と衝撃を受けた事をよく覚えている。とくにラヴズオンリーユーが制したフィリー&メアターフは23回目でしかない。競馬の本場欧州では施行回数が200回を超すレースもある中、建国そのものが新しい米国ではスポーツイベントも若いモノが多い。とはいえベルモントS(GⅠ)のように150回を超す競走もあるのだから、やはりBCは決して歴史のあるレースではない。

 しかし、歴史がないから価値がないというのでは、勿論ない。

 BCが出来た経緯としては競馬人気の凋落があった。テレビが普及し始めた時代に競馬開催関係各団体はテレビ中継を拒んだ。ファンに競馬場へ足を運んでもらいたいと考えたためだったのだが、これが裏目に出た。中継のない競馬は注目度で他の競技に遅れを取り始めた。関係者の思惑とは裏腹に、競馬場へ足を運ぶファンはむしろ減ってしまった。

 1973年の三冠馬セクレタリアトによる一時的な競馬ブームの残り香により生産業界は潤っていたものの競馬場の馬券の売り上げはその後、右肩下がり。それは当然レースの賞金に反映。賞金が下がれば高いお金をかけて馬を生産する必要性はなくなった。

 主催者側もただ手をこまねいていたわけではない。連勝単式や3連単といった新種の馬券が出来たのもこの頃だった。破壊力のある馬券は一時的に売り上げを伸ばしたものの、ファンはすぐに的中率の低さに気付き元の木阿弥となった。ニューヨーク州では場外馬券売り場(OTB)が展開されたが、主催者と一枚岩ではなかったため、売り上げ減少の歯止めをかけるには至らなかった。

 こんな負のスパイラルに待ったをかけるべく新設されたのがBCだった。当時の状況に危機感を抱いたゲインズウェイファームのジョン・ゲインズの構想が初めて世に出たのは1982年。第1回ジャパンCが行われた翌年の事だ。

 そこには妙案が記されていた。賞金を捻出する資金として出走馬の登録料だけでなく、その競走馬の種牡馬のオーナーが登録料を払うというシステムが提示されていた。そしてその種牡馬の登録料は各種牡馬の種付け料と同額。つまり翌年の種付けを1頭増やせばペイ出来るという意味で種牡馬のオーナーは何一つ負担する事はなかったし、それでいてレースの賞金や資金が集まるという斬新な図式だった。

 こうして第1回のBCが開催された年の夏には、ロサンゼルス五輪も行われていた。この開催は後の五輪に大きな影響を与える転轍機となった。今でこそ開催地として多くの都市が立候補するが、この年、立候補したのはロサンゼルスのみ。というのも当時はスタジアムの建設やインフラ整備を開催都市の税金で賄うのが当たり前。そのため開催後、使用目的の無くなった設備に市民が税金を払い続けるのも茶飯事で、一時的な復興のために名乗り出るのが必ずしも吉ではなかったのだ。

 しかし、資金繰りという点でこのロサンゼルスは画期的だった。一般市民が参加費用を支払って聖火ランナーとして走れるようになった。コンペにより競技場内の飲料を一社供給にしたり、記録する時計もまた一社に絞ったりと、スポンサーを少なくして価値を高める事で高額の協賛金を調達した。

写真は12年のロンドン五輪。この時もロサンゼルス五輪で採用された数々の案が引き継がれていた
写真は12年のロンドン五輪。この時もロサンゼルス五輪で採用された数々の案が引き継がれていた

 このように当時の米国のスポーツ界は魔術師の如く無から有を生み出し、世界中を驚かせたのだが、BCも正にその潮流に乗った。誰も腹を痛めずに高額の賞金を集める事に成功したのだ。

 細かい話をすれば全てが順風満帆だったわけではないが、本題と逸れるのでそれらはまた別の機会に触れる。いずれにしろ高額賞金を生む事には成功したわけで、お金のあるところに良い馬が集まるのも道理。現在では世界中のホースマンが目標とするレースとして、その地位を確立したのである。

世界のYAHAGIの戦略的勝利

 そこで改めてラヴズオンリーユーである。彼女のBC制覇は矢作芳人を始めとした陣営の戦略面での勝利と言って良いだろう。

 日本馬は中距離GⅠで世界の壁を楽に超える例が多い。近年でいえばウインブライトやエイシンヒカリらがそうだが、日本でGⅠを勝てていない馬でも海外のGⅠを制す例がままある。とくにBCは性別や年齢、距離別のレースが細分化されている事もあり、1つのレースにおけるライバルの数は減りがち(誤解のないように記すが、だからといってトップレベルが下がるという意味ではない)。加えて競馬場が持ち回りでの開催となるため日本からの輸送が短くて済む西海岸での開催は、欧州勢より負担が小さくて済む。更にこれは狙ったモノではないかもしれないが、昨年のBCはラシックス(利尿剤だが一時的に競走能力を高める効果があるとされており、米国の多くの州では使用が許可されている)が全面禁止になったのも追い風となった。そこへもってきて川田将雅騎手の冷静な騎乗ぶりがあったのだからこの歴史の扉は開くべくして開いたと言えるだろう。

写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

 実際、過去にはレッドディザイアが4着するなど好走例はあったし、ヌーヴォレコルトの挑戦もあったわけだが、今回がようやく初めての勝利となった理由の一つには挑戦例の少なさもある。いくら大魚が泳いでいても釣り糸を垂らさない事には釣り上げる事は出来ない。そういう意味で世界中に目を向けるYAHAGIだからこそ、第1号になれたのだろう。

16年BCフィリー&メアターフに出走したヌーヴォレコルト
16年BCフィリー&メアターフに出走したヌーヴォレコルト

ダートを制したマルシュロレーヌの偉業

 そして忘れてはならないのがBCディスタフを勝ったマルシュロレーヌである。

 第1回のBCが行われる際、俎上に載せられた大きな議題の1つにメインレースを何にするか?というのがあった。欧州から一流馬を呼ぶためにターフをメインにしようという案もあった。しかし、最後はダートのクラシックが目玉となった。

 ダートに落ち着いた経緯としては北米競馬の思想が大きく影響している。競馬場ごとが張り合うように開催した北米の競馬は貴族の趣味に端を発した欧州のそれと違い、開催日数でも競い合った。これに気候の問題も加味するとどうしても芝では耐え切れずダートが主流になった。そして三冠競走に加え、BCのメインがクラシックになった事で、ダート戦は北米競馬に於ける主戦場として確固たる地位を確立した。

 84年のBC設立以降37年で、BCクラシックの勝ち馬がエクリプス賞の年度代表馬に選定されたのは87〜89年の3年連続、04〜07年の4年連続を含む計14頭。3分の1強が選ばれている。

写真は2004年のBCクラシックを勝った際のゴーストザッパー。同馬もエクリプス賞年度代表馬に選定された
写真は2004年のBCクラシックを勝った際のゴーストザッパー。同馬もエクリプス賞年度代表馬に選定された

 ちなみにBCディスタフは途中レディーズクラシックと名称を変更した時期こそあったものの創設時の第1回から行われているダート戦で、ここの勝ち馬も86年レディーズシークレット、02年アゼリの2頭が年度代表馬となっている。

 昨年の同レースも4つのGⅠを含む5連勝中のレトルースカ、ケンタッキーオークス(GⅠ)を含む7戦6勝で唯一の敗戦が頭差2着というマラサート、前年のケンタッキーオークス馬でラトロワンヌS(GⅠ)などGⅠ2勝のシーデアズザデビルら豪華なメンバー構成。正直、日本馬でどこまで出来るか?と思ったが、それら実績のある馬達がこぞって馬群に沈む中、マルシュロレーヌは早目先頭から押し切って勝利。YAHAGIはいきなり2つ目となる歴史の扉を開いてみせた。

左がBCディスタフを制したマルシュロレーヌ
左がBCディスタフを制したマルシュロレーヌ写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

 さて、日本の競馬界で世界を目指すと言うと凱旋門賞ばかりが神格化されている傾向があるが、世界的にはBCも負けず劣らず憧憬の的となっている。伯楽が開いてくれた扉に追随する日本のホースマンが今後も現れる事を願いたい。ライトに浮かび上がる引退式のラヴズオンリーユーを見て、そんな事を感じたのだった。

(文中敬称略、写真=平松さとし。参考文献;Steven Crist氏著The Horse Traders、Jecklyn de Moubray氏著Thoroubred Business、What are the Summer Olympics?

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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