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僅か1年前の米国の話。そして、思わぬ世の中に翻弄される1頭の馬に懸ける希望

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
昨年米国遠征時のマスターフェンサー。右が角田晃一調教師

アメリカ遠征は僅か1年前のこと

 新型コロナウイルスが猛威を奮う中、主催者であるJRAや関係各者の努力により無観客といえ施行を継続出来ているJRA。しかし、世界の各国では開催が中止になったり、延期されたりしている。アメリカの競馬も例に漏れず。本来なら先週の土曜日、6月6日に終了していたはずの三冠レースだが、まだ一冠も行われていない。それでもスケジュールを変更して施行される目処は立った。通常、三冠のトリとして行われるベルモントS(G1)が6月20日、距離を9ハロンに短縮した上で一冠目として行われる事になった。

 丁度1年前、このベルモントSに挑戦したのが日本のマスターフェンサー(牡、栗東・角田晃一厩舎)だ。一冠目のケンタッキーダービー(G1)で目を引く末脚を披露して6着。日本の競馬ファンの期待を一身に背負って三冠目に挑戦した。

アメリカ、ベルモント競馬場でのマスターフェンサー
アメリカ、ベルモント競馬場でのマスターフェンサー

迎え撃つ地元勢も多士済々

 このベルモントSで1番人気に推されたのはタシトゥス。ケンタッキーダービーの選定ポイントで最高点を獲得し出走すると、4位入線で繰り上がりの3着。管理するW・モット調教師の下で女性アシスタントトレーナーとして同馬の面倒を見ていたのがL・ウィラード。同馬の勝負服に合わせた緑とピンクでコーティングされたネイルの彼女は言った。

 「タシトゥスのお母さんのクローズハッチズも私が面倒を見ていました。大人しいところがお母さんと同じで普段も全く手がかからないわ」

1番人気に推されたタシトゥスと母も担当していたというウィラード調教師補佐
1番人気に推されたタシトゥスと母も担当していたというウィラード調教師補佐

 相手候補と見られていたのが二冠目であるプリークネスS(G1)の覇者・ウォーオブウィル。ケンタッキーダービーは不利を受けて7着も、二冠目で雪辱。ベルモントSで更なる雪辱を期すという意味では管理するM・キャシー調教師も同様だった。このカナダの伯楽はアメリカにもケンタッキーのチャーチルダウンズやルイヴィル、ガルフストリームやベルモントSの戦場となるベルモント競馬場内にも厩舎を持つ。ベルモントSは2年前に1番人気と目されたクラシックエンパイアがレース直前に左前脚の蹄に不安を発症し回避。ウォーオブウィルの他、サーウィンストンもエントリーして「今度こそ」と力こぶ。

2頭出しのM・キャシー調教師とサーウィンストン
2頭出しのM・キャシー調教師とサーウィンストン

 彼等を相手に乗り込んだのがマスターフェンサーだった。ケンタッキーダービーの後は二冠目となるプリークネスSを回避し、ここ一本に絞って来た。16年にラニをこの地に送り込んだ松永幹夫から事前にアドヴァイスをもらった角田は言った。

 「ケンタッキーダービーの行われたチャーチルダウンズ競馬場は『幅員が狭くて調教には向かない』と聞いたので、ダービーの後はあえて近くにあるキーンランド競馬場へ移動させて調教をしました」

 ベルモント競馬場入り後はパドックや装鞍所の下見を何度もして、マスターフェンサーが慣れるようにした。こうして出走10頭の中で唯一ラシックスを使用せずに挑んだ日本調教馬だが、結果は5着。2400メートルを走り、勝ったサーウィンストンから3馬身と離されなかったものの、日本馬として史上初となるアメリカのクラシックでの頂点に立つ事は出来なかった。

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今春はドバイへ遠征もコロナ禍で無念の帰国

 アメリカでもう1戦(ベルモントダービー招待、芝2000メートルで13着)したマスターフェンサーは帰国後、条件戦から出直した。3戦2勝でオープン入りすると、3月のドバイワールドカップ(G1)を目指し中東入り。しかし、おりからのコロナ禍で開催そのものが中止。競馬に使う事なく帰国した。思わぬ情勢に翻弄されたが、5月のブリリアントS、更に先週6月6日のスレイプニルSで連続して2着に善戦。冒頭で記したようにアメリカをはじめとした世界各国で競馬が滞りを見せた中、JRAは予定通りの日程を消化し、マスターフェンサーも先述した通りドバイでのアクシデントを乗り越え、無事に戦列に復帰してみせた。アメリカ遠征がたった1年前とは信じられない世の中の流れとなってしまったが、同馬に更なる飛躍の時が待っている事を信じたい。そして、願わくはその時はコロナ禍が収束し、ファンと喜びを分かち合える通常の開催が戻っているよう祈りたい。

今年2月には金蹄Sを優勝したマスターフェンサー。向かってすぐ左は角田で、更に左は吉澤克己オーナー夫妻
今年2月には金蹄Sを優勝したマスターフェンサー。向かってすぐ左は角田で、更に左は吉澤克己オーナー夫妻

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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