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香港でG1勝ちの調教師が、11年前の海外遠征時に失敗から学んだ事とは……

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
香港ヴァーズを優勝したグローリーヴェイズ

若きトレーナーがついに海外初G1制覇を成し遂げるまで

 現地時間12月8日、香港シャティン競馬場で行われた4つの国際G1レースのうち3レースを日本馬が優勝した。2001年以来の快挙の幕開けとなったのは、芝2400メートルの香港ヴァーズを制したグローリーヴェイズ(牡4歳)。勝負服と同じ色のシャツとネクタイで表彰式に立ったのは尾関知人調教師だった。

香港ヴァーズの直線で堂々と抜け出すグローリーヴェイズ
香港ヴァーズの直線で堂々と抜け出すグローリーヴェイズ

 今回、最終追い切りは木曜に敢行した。多くの馬が水曜に行う中「現地入りした日からの時間を考慮して」木曜に行った。

 これまで着けていなかったクロス鼻革を使用し、ハミも変更。管理馬を把握していたからこそ大一番を前に英断する事が出来た。

 「前走(京都大賞典6着)で掛かったので、牧場スタッフとも相談し、操縦性が上がってくれる事を願って馬具を変えました」

クロス鼻革をつけて調教されるグローリーヴェイズ。後方の青いジャンパーが尾関師
クロス鼻革をつけて調教されるグローリーヴェイズ。後方の青いジャンパーが尾関師

 現地に入ってからの変化にも目を凝らした。

 「角馬場でエイダン・オブライエン勢の隊列と向かい合ってもツラッと反対回りでキャンターをしているのをみて、精神的な成長を感じました」

 そもそもが「香港の馬場が合うと思って」この馬の遠征を決めた。その理由については次のように語った。

 「日本ほど極端ではないけど、それなりに速い時計が出るので合うと思いました」

 勝ち時計は2分24秒77。正に目論見通り。目的地へ向かいトンネルを掘るだけでなく、目的地からも穴を掘る。要は真ん中で貫通させれば良いという姿勢が大金星を掴む事となったのだ。

 ロック好きという隠れた一面も持つ尾関は今月17日が来れば48歳。トレーナーとしては若い存在で、これが開業11年目での嬉しい海外初G1制覇となった。

 13年には凱旋門賞に挑戦したキズナと一緒に管理するステラウインドをフランスへ連れて行った。16年にはレッドファルクスで香港スプリント(香港G1)に挑戦した。大久保洋吉厩舎で調教助手をしていた04年にはドバイへ遠征したリージェントブラフに帯同して中東で過ごした事もあった。若い調教師らしく、海の向こうは全く別の世界という意識は持っていなかった。

16年の香港スプリントに挑戦したレッドファルクス。手前が尾関師
16年の香港スプリントに挑戦したレッドファルクス。手前が尾関師

 しかし、海外で勝つ事の難しさ、無事に仕上げて行く事の困難さはイヤというほど知っていた。そして、そういう経験を積み重ねた結果が、今回の大仕事に繋がったのだった。

アメリカで経験した苦い思い出を糧に

 彼にとってほろ苦い思い出となったのは今から11年前。08年のアメリカでの話だった。

 既に調教師試験には合格し、開業を待つ身だった尾関は、藤沢和雄厩舎のカジノドライヴの遠征に付き添い、太平洋を渡った。

 「藤沢厩舎は一時、籍を置かせていただいた事がありました。そこで藤沢調教師にお願いして、カジノドライヴの遠征に携わらせてもらいました」

アメリカでカジノドライヴに跨る尾関師
アメリカでカジノドライヴに跨る尾関師

 新馬戦を勝ったばかりのカジノドライヴだったが、兄姉2頭がいずれもアメリカ三冠レースの三冠目となるベルモントS(G1)を勝利していたため、きょうだい3頭での同レース制覇を目指し、ニューヨークへ飛んだのだ。

 最後の一冠を手にするため、藤沢は前哨戦の一つであるピーターパンS(G2)を叩く事にした。その最終追い切りで大役を任されたのが尾関だった。

 「カジノドライヴと共に現地入りしていたシャンパンスコールとスパークキャンドルとの併せ馬でした。自分はシャンパンスコールで誘導する役を命じられました」

 藤沢からの指示は「5ハロン66くらいで軽く引っ張って」というものだった。しかし……。

アメリカでのカジノドライヴと藤沢和雄師(右)
アメリカでのカジノドライヴと藤沢和雄師(右)

 「普段乗っている美浦とは馬場も違うし景色も違うので、思った以上に速くなってしまいました」

 5ハロン61秒台。これを追いかけたカジノドライヴは59秒台の時計をマークしてしまった。

 「完全に僕の失敗でした。迷惑をかけてしまいました」

 藤沢からは叱られたと言う。

 しかし、当時、藤沢は尾関のいないところで次のように語っていた。

 「他の2頭にはいずれもジョッキーが乗っていたから普通にやれば速い時計が出るのは分かっていました。だから尾関君にはあえて必要以上に遅い時計を指示しました。ある程度速くなるのは想定済みだったんです」

 結果、カジノドライヴはピーターパンSを快勝する。追い切り後、レースまで気が気でなかったという尾関は、その結果に胸を撫で下ろしたかと思いきや、改めて唇を結んだ後、自らに言い聞かせるように言った。

 「結果、勝ったから良かったというのではなく、与えられた仕事をきちんとこなさなくてはいけません。それを痛感しました」

ピーターパンSのパドックでのカジノドライヴ。左が尾関師
ピーターパンSのパドックでのカジノドライヴ。左が尾関師

 カジノドライヴは秋に再びブリーダーズCを目指して渡米する。その際、藤沢は尾関に言った。

 「また一緒にアメリカへ行ってくれるかい?」

 その言葉が何よりも嬉しかったと同時に「今度は失敗出来ないと感じた」と、尾関は語っていた。ちなみにその時の最終追い切りも尾関が誘導馬に騎乗。藤沢の「5ハロン65」という指示を胸に引っ張ると、競馬場側が公式に発表したその時計は65秒0だった。

様々な経験を糧に海外初G1勝利を飾った尾関師
様々な経験を糧に海外初G1勝利を飾った尾関師

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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