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JRA賞授賞式の舞台裏で武豊が藤沢和雄に言われた言葉とは……

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

JRA賞の舞台裏で天才騎手がトップトレーナーに言われた言葉

 1月28日、都内のホテルで2018年度JRA賞の授賞式が行われた。

 式典が終わった後、武豊騎手に声をかけていただき、改めて内輪で受賞のお祝いをした。その席で、彼から舞台裏で起きた1つのエピソードを伺った。今回はその話を紹介しよう。

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 午後5時から始まったJRA賞のレリーフ贈呈式。年度代表馬に選出されたアーモンドアイなど各部門に選出された馬の関係者や、調教師や騎手などの個人賞の表彰が終わると、場所を隣の会場に移し、引き続きパーティーが行われた。

 このパーティー会場での事だった。

 武豊が人づてに呼ばれた。天才騎手は当時の様子を次のように振り返る。

 「エージェントから『藤沢先生がお呼びです』と言われ、何だろう?と思いながら先生の下へ急ぎました」

 藤沢先生、とは言わずと知れた藤沢和雄調教師。このタイミングで何だろう?と思いながら駆けつけた武豊に対し、藤沢は言った。

 「俺も残すところ3年。もうひと頑張りするから助けてくれ」

 後日、藤沢にこの事を確認すると、伯楽は答えた。

 「うん、言ったよ。ダービーもあと3回しか挑戦出来ないからね。出すだけなら誰が乗っても良いけど、ダービーは出すだけでは意味がない。勝とうと思ったら彼のようなジョッキーに乗ってもらわないといけないだろう」

 そして、タッグを組んで重賞を制した2002年の話を口にした。

 「シンボリクリスエスで青葉賞を勝ち『ダービーも勝てるのでは?!』と思った私に、ユタカは『この馬、秋になれば良くなりますよ』と言ったんだ。そして、実際、彼の言葉通りになった。これはダービーを勝った負けたという話ではなくて、クリスエスが秋になったら本当に強くなったという意味ね。ダービーを前にしても舞い上がること無く冷静にああいう判断が出来るのは凄いと思ったし、あの言葉は私自身のその後のバイブルになったよね」

藤沢和雄調教師
藤沢和雄調教師

藤沢の言葉に対する武豊のとらえ方

 一方、言われた側の武豊はこの言葉を額面通りには受け取っていなかった。文字面の裏に見え隠れする藤沢の本心を読み取っていた。彼は言う。

 「藤沢先生なりの自分に対するエールだと感じました。『俺も頑張るからおまえも頑張れ』と言われた気がしたんです」

 武豊が何故そう感じたかを説明するためには、今回のJRA賞の背景を説く必要がある。

 今回、両人が呼ばれた理由は、それぞれ次のようなモノだった。

 藤沢は管理するレイデオロが最優秀4歳以上牡馬に選出されたから。

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 前年のダービー馬をそれで燃え尽きさせる事なく、秋の天皇賞に勝利させた。有馬記念こそ斤量の軽いブラストワンピースの後塵を拝んだが、それでも2着は確保。最優秀短距離馬のファインニードルや宝塚記念の覇者ミッキーロケットらを抑え、最多得票数を獲得。見事JRA賞最優秀4歳以上牡馬に選ばれたことで藤沢はこの会場に呼ばれた。

 武豊は史上初のJRA通算4000勝という偉業が評価された。前人未到の大記録達成で、JRA賞特別賞に輝きこの場に参列する事になった。

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 「こういう形で表彰されるのも勿論ありがたいし、名誉な事です。でも、ほんの少しですが違和感があったのも事実です」

 武豊はこう口を開くと、騎手部門の個人賞を総なめにしたクリストフ・ルメールの名を挙げ、次のように続けた。

 「クリストフ(ルメール)が表彰されるのを見て、自分もああいう形で戻って来ないとダメだと思いました」

 そして、藤沢にかけられた言葉を聞き「おそらく藤沢先生も同じ思いだったのでは……」と感じた。

 武豊がJRAの最多勝利騎手賞として表彰された回数は実に18回。1992年から2000年までの9回連続や、最高勝率に最多獲得賞金も合わせて受賞。その3部門を同時に受賞する騎手大賞には実に9度も輝いた。

 一方、藤沢が最多勝利調教師賞を獲得したのは14回。1995年から2004年までは実に10連覇の偉業を達成している。

 リーディングトレーナー・藤沢和雄とリーディングジョッキー・武豊が一緒に登壇し、壇上で並ぶ。そんな光景が1995年から2000年までの6年連続を含み、実に12回もあったのだ。

 「藤沢先生は『もうひと頑張りするから助けてくれ』と言ったけど、本心は多分、今の僕にハッパをかけてくれたのだと思います。先生はすごく優しい人だから、直接的には言わないけど『また一緒にリーディングという形でJRA賞に呼ばれるようにしよう!!』と言いたかったのではないでしょうか……」

 武豊の見解を藤沢に伝えると、日本のナンバー1トレーナーはニヤリとして答えた。

 「一時は“フジタケ賞”とか“タケフジ賞”なんて呼ばれるくらい、2人でそれぞれ個人賞を独占したよね。そんな時もユタカのふるまいは品があって、こういう男がJRA賞をとらないといけないと感じさせた。私も彼も年をとって以前のような活躍をするのは難しいかもしれないけど、また2人で登壇できる日が来ると嬉しいね」

 その日を待ち望む競馬ファンは数多い事だろう。残された時間は僅かだが、あのシーンが戻ってくる事を願おう。

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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