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日本で活躍するフランス人騎手、C・ルメールの凱旋門賞に懸ける想い

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
フランスの調教場で凱旋門賞への想いを語ってくれたC・ルメール騎手。

今週末はいよいよ凱旋門賞

 毎年10月の第一日曜日、フランスで行なわれる欧州最大のレースが凱旋門賞(G1、芝2400メートル)だ。

 例年、パリにあるロンシャン競馬場で行なわれるこのレースだが、昨年と今年は同競馬場のスタンド改装工事のため舞台をシャンティイ競馬場に移して開催される。

 この大レースに強い憧憬を抱くのが騎手のクリストフ・ルメールだ。

 2006年にはこのレースでディープインパクトとあい対した彼は、フランスで生まれ、フランスで騎手となった。現在は京都に居を構え、日本をベースに騎乗しているが、母国の最大のレースへの想いは変わらず持ち続けており、「日本馬で凱旋門賞を制すのが僕の夢」と語る。実際、昨年はマカヒキの手綱をとり、今年はサトノダイヤモンドに騎乗して挑む。

 今回はそんなクリストフと凱旋門賞とのエピソードを記しつつ、間もなくに迫った今年の大一番に対する気持ちも記していこう。

シャンティイの調教場でサトノダイヤモンドに跨るルメール。
シャンティイの調教場でサトノダイヤモンドに跨るルメール。

騎手の子として馬の街に生まれ育つ

 クリストフ・ルメールが生まれたのは1979年5月20日。フランスにある馬の街、シャンティイのその名も“騎手の病院”で生を受けた。

 「誰でも使える病院ですが、周囲が全て調教場というところに建っているためそういう名前になっています。僕は父が障害のジョッキーだったので、この街で育ちました」

 その父からは「危険だから」という理由で騎手になることを反対されたが、自身は幼い頃から馬の上での生活に憧れ、その道を突き進んだ。

 フランスでも通常、騎手を目指す若者は競馬学校に通う。しかし、父に反対されていた彼は普通に高校へ通った。しかも、当時は南フランスにあるダックスという街へ引っ越したため、シャンティイ住まいではなかった。それにもかかわらず騎手になりたい気持ちを捨てきれなかったため、アマチュアレースに騎乗しながら、「休みのたびに飛行機や電車でシャンティイに通い、アンドレ・ファーブル厩舎の調教に乗せてもらった」。アンドレ・ファーブルは凱旋門賞を7勝するなど、フランスを代表するリーディングトレーナーだが、「直接電話をして乗せてもらえるように頼んだ」のだと言う。

 そんな強い信念に父の方が折れた。クリストフの騎手デビューを認めたのだ。

 こうしてデビューすると、厩舎の先輩に名手オリビエ・ペリエのいる環境も良く、年々成績を伸ばした。

厩舎の先輩で名手のオリビエ・ペリエ(右)と(2006年)。
厩舎の先輩で名手のオリビエ・ペリエ(右)と(2006年)。

騎手になり勝ちたいと願った2つのレース

 ルメールはやがてディヴァインプロポーションズという名馬に出会う。ディヴァインプロポーションズはフランス版のオークス・ディアヌ賞を勝つなどした名牝だ。クリストフは述懐する。

 「管理したのはパスカル・バリー調教師。ディアヌ賞の前夜には彼から家へ呼ばれ『最後方からの競馬だけはダメ』と言われました。『そうでなければ勝てる』と自信満々で、もし負けたら大変なことになるって思ったけど、ゲートが開いたら好スタートから楽勝してくれました」

 ディアヌ賞はフランスではダービー以上に人気のあるレース。観客動員は毎年、フランス版ダービーであるジョケクラブ賞よりも多く、当然、注目度も高い。クリストフにとっても勝ちたいレースの1つだったわけだが、彼は言う。

 「フランスのホースマンならディアヌ賞は誰もが憧れるレース。そして、もう1つ、皆が勝ちたいと願うレースがあります。それが凱旋門賞です。僕にとってもどうしても勝ちたいレースです」

ディープインパクトに挑んだ時のエピソード

 クリストフにとって、凱旋門賞での惜敗が1度ある。

 2006年だ。

 この年、彼が欧州最大のレースでコンビを組んだのはプライド。牝馬ではあるが、この年にはサンクルー大賞典(G1。1999年にはエルコンドルパサーが制している)を勝利したし、後にはイギリスのチャンピオンSや香港の香港カップも優勝する名馬である。

 彼女とのコンビで挑んだこの年の凱旋門賞だが、レース前のクリストフの表情は決して冴えなかった。理由は至極簡単だ。

 「この年はディープインパクトが出走してきましたから……」

 正直、ディープインパクトが勝つだろうと考えていたという。しかし、同時に「ディープさえ破ることができれば勝てるかもしれない」とも考えていたと言い、続ける。

 「凱旋門賞は休み明けの馬が勝った例はほとんどありません。ディープにつけ入る隙があるとすればそこだと考えていました」

 そこまで唯一ディープインパクトが敗れたのは前年の有馬記念で、当時、勝ったハーツクライに騎乗していたのがクリストフ・ルメールだった。だから彼はディープインパクトを破ることも決して不可能ではないと考え、レースに臨んだ。

 「ゲートが開くと自分より後ろにいると予想していたディープが前にいました。だから彼をマークしていくことに決めました」

 しかし、その時でさえもクリストフは次のように思っていたと笑う。

 「このままディープについていけば2着できると思っていました」

 道中はステファン・パスキエの騎乗するレイルリンクにも目をやった。しかし……。

 「ステファンの手応えがあまりよく見えなかったのでやっぱりディープマークだと思いました」

 こうして勝負どころの直線へ向くと思わず色めきだった。

 「ユタカさんの手応えが悪い。ディープが苦しんでいる。それをみた時。『勝てるかも!?』って思い、必死に追いました」

 クリストフの鼓舞に応え、プライドは伸びた。そしてディープインパクトをかわした。しかし……。

 「僕の前にステファンがいました……」

 ディープインパクトには先着したもののレイルリンクの前に2着惜敗。クリストフは大金星を逃したのだ。

ディープインパクトに先着も2着だったプライド。写真はその後、香港Cを制覇した場面
ディープインパクトに先着も2着だったプライド。写真はその後、香港Cを制覇した場面

昨年はマカヒキと挑むも予想外の大敗

 15年からはJRA所属となったクリストフ。しかし、母国の大レースに対する想いは変わらず強い。

 「日本は第二の故郷。だから現在は日本の馬に乗って凱旋門賞を勝つのが僕の目標。日本人のホースマンと一緒に夢をかなえたいんです」

 昨年はマカヒキと共に挑んだ。

 「掛かったことのないマカヒキが、凱旋門賞の時に限って折り合いを欠いてしまいました」

 結果は14着。マカヒキにとって初めてとなる大敗に「改めて競馬の難しさを痛感した」と語る。

 「前哨戦のニエル賞も勝って良い状態で臨めていたと思います。でも、競馬は何があるかわからない。惜敗なら力不足ということかもしれないけど、あれだけ負けるとなにかほかの問題があったということなのだと思います」

昨年はマカヒキと挑戦。前哨戦のフォワ賞を勝ったものの本番は4着に敗れた。
昨年はマカヒキと挑戦。前哨戦のフォワ賞を勝ったものの本番は4着に敗れた。

今年の凱旋門賞における本人の展望

 いよいよ今週末に迫った凱旋門賞。冒頭に記したように、今年はサトノダイヤモンドとのコンビでここに挑む。1番人気に推された前哨戦のフォワ賞では、思わぬ4着と敗戦。敗因について、クリストフは次のように分析する。

 「最終追い切りでも息が一杯になっていたように、長い休み明けで状態がまだ本物ではありませんでした。それと馬場。経験したことのない重い馬場に苦しみました」

フォワ賞では思わぬ4着に敗れたサトノダイヤモンド。
フォワ賞では思わぬ4着に敗れたサトノダイヤモンド。

 その上で、本番で巻き返しをはかるべく、展望を語る。

 「状態は間違いなく上向いてくるはずです。それに馬場もあれ以上悪くなることはないでしょう。万が一悪い馬場になったとしても、前哨戦の経験もあるから、この前みたいなことはないはずです」

 先述したディアヌ賞は、ソウルスターリングの母スタセリタでも制するなど、計3勝を挙げているクリストフ。しかし、凱旋門賞の勝利はまだない。果たして今年のサトノダイヤモンドとのコンビではどのような結果が待っているのか……。10月1日、フランスから朗報を届けることができるのか、期待したい。

現地で地元メディアからサトノダイヤモンドについて聞かれるルメール。
現地で地元メディアからサトノダイヤモンドについて聞かれるルメール。

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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