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ブリンケン米国務長官、ハマス攻撃後のイスラエル訪問でホロコースト生存者の継父を語る:記憶のデジタル化

佐藤仁学術研究員・著述家
イスラエルを訪問したブリンケン国務長官(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

ブリンケン米国務長官は2023年10月12日、、武装集団ハマスのテロ攻撃を受けたイスラエルを訪問してテルアビブでネタニヤフ首相と会談。共同記者会見を行い、ユダヤ系のブリンケン国務長官は「まず最初に米国務長官としてだけではなく、一人のユダヤ人として皆さんの前に立っています。私の祖父マウリス・ブリンケンはロシアでのポグロム(ユダヤ人への集団暴力)から避難してきました。私の継父サミュエル・ピサールはホロコーストを生き延びました。ホロコースト時代にはアウシュビッツ、ダッハウ、マイダネクといった収容所を転々とさせられました」と語った。そしてハマスの残虐非道なテロ行為に対する強い怒りを表明して語り、殺害されたユダヤ人に対して追悼の意を伝えていた。

この部分はショート動画でブリンケン国務長官の公式SNSにも掲載されているし、多くのメディアがブリンケン国務長官、ネタニヤフ首相の会見の動画を世界中に報じている。

▼イスラエルでの会見でのブリンケン国務長官のスピーチ(家族のホロコースト時代のことを語るシーン)

ブリンケン国務長官の継父のサミュエル・ピサール氏とホロコーストの記憶のデジタル化

ブリンケン国務長官の継父のサミュエル・ピサール氏は1929年にポーランドで生まれたユダヤ人で、ホロコーストで両親と妹が殺害された。第2次世界大戦時にナチスドイツが約600万人のユダヤ人やロマ、政治犯らを殺害した、いわゆるホロコースト。サミュエル・ピサール氏は4年間強制収容所で生活しており、2回ガス室に送られそうになったが辛うじて生き延びて、「死の行進」を経てアメリカ軍の兵士に助けられた。サミュエル・ピサール氏の家族で生き延びたのは彼ひとりだけだった。故郷の学校の900人の生徒のなかでも生き延びることができたのは彼だけだった。オーストラリアで法律を学んだ後にハーバード大学でも法律を学び法学者、弁護士としても活躍していた。また人権活動家としてホロコースト時代の経験や記憶を後世にずっと伝えてきた。フランスでホロコーストの歴史を伝えるショア博物館の建設などにも貢献してきた。国連機関のユネスコでもホロコーストの歴史を積極的に後世に伝えており、2015年に逝去されるまで「二度とホロコーストが繰り返されないように」と世界中で訴えていた。

ブリンケン国務長官はユダヤ系アメリカ人で戦後にアメリカで生まれたのでホロコーストの直接の被害は受けていないが、両親ともにユダヤ系であることから以前からホロコーストの歴史の伝達には積極的に取り組んでおり、ホロコースト博物館や海外の大学などでも多数講演を行っている。最近では2023年4月17日、18日の「ヨム・ハショア」と呼ばれるホロコースト記念日にもショート動画でサミュエル・ピサール氏の思い出とホロコーストを二度と繰り返さないことを訴えていた。

戦後約80年が経ち、ホロコースト生存者らの高齢化が進み、記憶も体力も衰退しており、当時の様子や真実を伝えられる人は近い将来にゼロになる。ホロコースト生存者は現在、世界で約24万人いる。彼らは高齢にもかかわらず、ホロコーストの悲惨な歴史を伝えようと博物館や学校などで語り部として講演を行っている。当時の記憶や経験を後世に伝えようとしてホロコースト生存者らの証言を動画や3Dなどで記録して保存している、いわゆる記憶のデジタル化は積極的に進められている。現在、世界中の多くのホロコースト博物館、大学、ユダヤ機関がホロコースト生存者らの証言をデジタル化して後世に伝えようとしている。デジタル化された証言や動画は欧米やイスラエルではホロコースト教育の教材としても活用されている。

ブリンケン国務長官の継父のピサ―ル氏はその記憶のデジタル化の先駆け的な存在でもあった。今のように誰もがスマホで簡単に動画を録画してデジタル化することが容易ではなかった時代からピサ―ル氏は多くの証言をしていた。ビデオに撮影しておいたりテレビにも出演してホロコースト時の経験や記憶を語っており、当時の貴重なピサール氏の証言は現在はデジタル化されて、YouTubeで全世界に公開されている。いずれホロコースト生存者が全員いなくなり、ホロコーストの経験や記憶を語り継ぐ人がいなくなることを誰よりも理解していた。自分が死んだ後でもホロコースト時代の経験や記憶が語り継がれるために、インターネットもまだほとんど普及していなかった頃からビデオを回させてホロコースト時代の経験や記憶を語っていた。メディアにも積極的に出演していたようだ。

▼生前のサミュエル・ピサール氏の動画

ホロコーストの記憶のデジタル化はブリンケン国務長官のような第2世代へ

ホロコーストの当時の記憶と経験を自ら証言できる生存者らがいなくなると、「ホロコーストはなかった」という"ホロコースト否定論"が世界中に蔓延することによって「ホロコーストはなかった」という虚構がいつの間にか事実になってしまいかねない。いわゆる歴史修正主義だ。そのようなことをホロコースト博物館やユダヤ機関は懸念して、ホロコースト生存者が元気なうちに1つでも多くの経験や記憶を語ってもらいデジタル化している。

また既に他界してしまったり、高齢化が進んで体力や記憶力がなくなり、当時の経験や記憶を伝えられない生存者も多い。そのようなホロコーストを直接経験した世代(いわゆる第1世代)に代わって、ブリンケン国務長官のように、ホロコースト生存者の経験と記憶を子供たちの世代(いわゆる第2世代)が伝えるようになってきている。

今回はイスラエルで多くのユダヤ人がハマスの犠牲になったことから、ブリンケン国務長官はホロコーストを生き延びた家族を引き合いに出していたが、ブリンケン国務長官は継父が過ごしたオーストラリアを訪問した際や、加害者だったドイツを訪問した際にも継父のホロコースト時代の経験を伝えていた。そしてブリンケン国務長官が継父とホロコーストについて語っているあらゆる動画はデジタル化され後世に伝えられている。国務長官の会見やメッセージなので世界中の多くの人が視聴したりメディアが報じたりしている。

ブリンケン国務長官のような有名人でなくても、子供や孫といった次世代が両親や親せきから聞いたホロコーストの経験をデジタル化して伝えているケースが増えている。ホロコースト生存者は高齢者が多く、デジタル化のためにスタジオや自宅で長時間にわたって収録カメラの前でかつての記憶を語るのが大変だが、生存者の子供や孫はそのようなことに心身ともに抵抗が少なく、ホロコースト生存者よりも積極的で、彼らが両親から聞いたホロコーストの経験や記憶のデジタル化に協力的である。ホロコースト経験者本人ではないので、伝聞での記憶の継承だが、デジタルツールを扱うことにも慣れているので、動画を簡単に撮影してYouTubeやTikTokなどで親世代のホロコーストの記憶を伝えようとしている。

写真:代表撮影/ロイター/アフロ

学術研究員・著述家

グローバルガバナンスにおけるデジタルやメディアの果たす役割に関して研究。科学技術の発展とメディアの多様化によって世界は大きく進化してきました。それらが国際秩序をどう変化させたのか、また人間の行動と文化現象はどのように変容してきたのかを解明していきたいです。国際政治学(科学技術と戦争/平和・国家と人間の安全保障)歴史情報学(ホロコーストの記憶と表象のデジタル化)。修士(国際政治学)修士(社会デザイン学)。近著「情報通信アウトルック:ICTの浸透が変える未来」(NTT出版・共著)「情報通信アウトルック:ビッグデータが社会を変える」(同)「徹底研究!GAFA」(洋泉社・共著)など多数。

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