米国アリゾナ 2024年にホロコースト博物館開設:ホログラムで95歳生存者が経験と記憶を後世に伝える
「ホロコースト時代の思い出、経験は莫大。とても簡単に回答して収録できるものではないです」
米国のアリゾナ州にあるアリゾナユダヤ歴史協会では、2024年までにアリゾナ州でのホロコーストの歴史を展示する博物館の設立を目指している。ホロコースト教育を目的とした博物館で、1500万ドル(約16億円) かけて建築している。
第二次大戦時にナチスドイツが600万人以上のユダヤ人を大量に虐殺したホロコーストだが、そのホロコーストを生き延びることができた生存者たちは、現在でも証言者として、博物館などで当時の様子を学生らに語っている。だが彼らも高齢化が進んでいき、生存者の数も年々減少している。
技術の発達によって、ホロコースト生存者のインタビューと動く姿を撮影し、それらを3Dのホログラムで表現できるようになった。博物館を訪れた人たちと対話して、ホログラムが質問者の音声を認識して、音声で回答できる3Dの制作が進んでいる。「ホロコースト時代にはどのような生活をしていたの?」といった訪問者からの質問に、自然な会話であたかもホロコースト生存者本人のようにリアルタイムに質問に回答してくれる。
ホロコーストの生存者で95歳のオスカー・ノブラウフ氏は何十年にもわたって、ホロコースト時代の記憶や経験を語り継いできた。だが高齢化がかなり進んでいる。そこで、ノブラウフ氏もアリゾナでのホロコースト博物館の開設にあわせて、当時の記憶や経験をホログラムとして伝えるために、撮影を行った。
これは、ホロコースト時代にユダヤ人を救ったシンドラーを描いた映画「シンドラーのリスト」の映画監督のスティーブン・スピルバーグが設立した南カリフォルニア大学のショア財団が、ホログラム化や人工知能(AI)による自動回答の技術提供を行っており、「Dimensions in Testimony」と呼ばれるプロジェクトで、欧米で多くのホロコースト博物館で導入されている。
「周りのドイツ人は誰も私のことをかばってくれなかったし、誰からも嫌われていました」
博物館を訪れたあらゆる人のあらゆる質問に回答するために、ノブラウフ氏は数千もの質問を2021年6月から撮影、収録している。
ノブラウフ氏は1925年11月にドイツのライプチヒで生まれた。両親がユダヤ系ポーランド人だったため、1936年に彼の家族は国外に追放された。ドイツでもナチス政権が誕生し、反ユダヤ主義を政策に掲げるようになると、ドイツ人からことごとく差別、迫害され、いじめられた。「私は自分の運命を受け入れて、戦わないといけませんでした。とても辛かったです。周りのドイツ人は誰も私のことをかばってくれなかったし、誰からも嫌われていました。ドイツ人でないというだけの理由です。ユダヤ人!外国人!と言われていじめられました。彼らはユダヤ人が大嫌いだったんです」と語っていた。
1941年には彼の母はクラクフ・プワシュフ強制収容所に送られ、ノブラウフ氏と兄弟、父はゲシュタポ本部で働かされた。1944年に父は殺害された。1945年にソビエト兵によって解放されてから、母と従兄弟とは再開できた。ノブラウフ氏は「ホロコースト時代の思い出、経験は莫大なものです。とても簡単に回答して収録できるものではないです。終わりのない物語です。このような出来事は他にはありません。でも後世に語り継いでいく必要があります。ホログラムになれば、私の死後も多くの人にホロコーストの歴史と経験を伝えることができます。この博物館は米国南西部で一番のホロコースト博物館になるでしょう。世界を変えることができるのは、教育だけです」語っている。
アリゾナユダヤ歴史協会のローレンス・ベル氏は「ホロコースト時代に何があった
のかを後世に伝えていく必要があります。現在の社会は民族憎悪やヘイトスピーチなどが多いです。このような社会にとって、ホロコーストの歴史を学ぶことはとても重要です。今の若者にとっては第二次大戦は遠い歴史の話です。でも現在の社会でもホロコーストのようなことは起こりえます。私たちの博物館は、全国規模の博物館を目指していません。まずはアリゾナ州の地元の人たちにホロコーストとは何だったのかを伝えていきたいです。アリゾナ州でのホロコースト教育に貢献できる博物館を目指しています」と語っている。