米国のイリノイ州にあるイリノイホロコースト博物館では2020年7月から、ホロコースト時代に欧州で迫害、差別されて生活や仕事ができなくなり、中国の上海に避難したユダヤ人に関する展示を開始した。展示名は「Shangha: Safe Haven During the Holocaust」で2022年9月まで開催されている。

第2次大戦時にナチスドイツが約600万人のユダヤ人、政治犯、ロマなどを殺害した、いわゆるホロコースト。1938年に欧州を追われたユダヤ人は周辺諸国でも入国を拒否されることが多かったため、上海に避難した。ウルスラ・ベーコン氏の著作『ナチスから逃れたユダヤ人少女の上海日記』(和田まゆ子訳、祥伝社、2006年 p20)にも"「世界中の国がユダヤ人を入国させないようにしている。受けて入れている国、つまり質問、ビザなしで入れる場所は、ただ1つ。中国の上海に行くんだよ」と言われて欧州からユダヤ人たちは中国を目指していた”と書かれていた。

1939年半ばまで上海ではユダヤ人を無制限に受け入れていた。当時の上海は実質上、英国の植民地支配下にあり多くの外国人がいた。上海のユダヤ難民の人口は、1939年1月には1,800人、2月に2,300人、3月に5,000人、4月に8,400人、5月に11,000人、そして8月には16,000人に達した。あまりにも多くのユダヤ人が押し寄せたことから上海でも「ユダヤ人の入国をただちに中止させよ」という声が強くなり、ユダヤ人の居留が厳しく制限されるようになった。そのため上海はユダヤ人にとって一時的に滞在できる場所だけになってしまい、上海を中継してどこかの最終目的地へ向かう必要があった。だが目的地といってもユダヤ人を簡単に入れてくれる国はなかった。

イリノイホロコースト博物館では、アメリカの写真家でジャーナリストのアーサー・ロシュタイン氏が1946年に上海のホンキュー地区で撮影し、まとめた資料や写真も展示している。また上海のユダヤ人ゲットーで使われていた日用品なども展示している。

戦後70年以上が経過しホロコースト生存者らの高齢化も進み、多くの人が他界してしまった。当時の記憶や経験を後世に伝えようとしてホロコースト生存者らの証言を動画や3Dなどで記録して保存している、いわゆる記憶のデジタル化は積極的に進められている。またホロコーストの犠牲者の遺品やメモ、生存者らが所有していたホロコースト時代の物の多くは、家族らがホロコースト博物館などに寄付している。特に新型コロナウィルス感染拡大によるロックダウンで多くの博物館が閉鎖されてしまってからは展示物のデジタル化が加速されており、バーチャルツアーで世界中の人が閲覧できるようになっている。

欧米では主要都市のほとんどにホロコースト博物館があり、ホロコーストに関する様々な物品が展示されている。そして、それらの多くはデジタル化されて世界中からオンラインで閲覧が可能であり、研究者やホロコースト教育に活用されている。いわゆる記憶のデジタル化の一環であり、後世にホロコーストの歴史を伝えることに貢献している。