収容所から収容所へ歩かされて移動、動けなくなったらその場で射殺

第2次大戦時にナチスドイツが約600万人のユダヤ人、政治犯、ロマなどを殺害した、いわゆるホロコースト。英国のロンドンにあるウィナー・ホロコースト図書館では、ホロコーストに関する証言集や遺品などを展示している。

欧米では主要都市のほとんどにホロコースト博物館があり、ホロコーストに関する様々な物品が展示されている。そして、それらの多くはデジタル化されて世界中からオンラインで閲覧が可能であり、研究者やホロコースト教育に活用されている。いわゆる記憶のデジタル化の一環であり、後世にホロコーストの歴史を伝えることに貢献している。

ロンドンにあるウィナー・ホロコースト図書館では5月から8月までホロコースト時代の「死の行進」に関する専門的な展示を開始した。「死の行進」とは第2次世界大戦末期にドイツの敗戦が濃厚になり、ソ連軍が東からポーランドに攻めて来た時に、ポーランドにあった絶滅収容所や強制収容所にいたユダヤ人の囚人らをドイツなど西の収容所に、歩いて移動させて、途中で歩けなくなった囚人はその場で射殺していったことから「死の行進」と呼ばれていた。ナチスドイツのユダヤ人絶滅政策は「労働を通じた絶滅」だった。労働力としてユダヤ人囚人が収容所から別の収容所に移送されることはよくあった。終戦間際までは家畜列車で何日にもわたって移送されていた。だが、終戦間際にはドイツの敗戦も濃厚になっており、家畜列車でなく、歩いて移動させられていた。そして多くのユダヤ人が「死の行進」の最中に飢えや渇き、極度の疲労で歩けなくなって射殺されていた。英語でも「death march(死の行進)」のほかに「mobile concentration camp(移動する強制収容所)」と呼ばれている。ナチスドイツのホロコースト時代の展示は収容所での生活、ガス室に送られるか生き延びられるかの「選別」、ゲットー時代のものが多く、「死の行進」に関する展示はめずらしい。

「死の行進」を生き延びることができたユダヤ人らによると、歩かされている時に現地の一般市民とも多くすれ違った。一般住民が囚人に接したり、食事を与えることは一切禁止されていたが、中にはパンなどをくれる人もいたそうだ。また移動して歩いている時に、一般住民の家から食べ物や農作物をくすねて生き延びたという証言もある。一般住民が家の前を通る「死の行進」を、当時ではかなり貴重だったカメラで撮影した写真も残っている。

「体力がなくなってくると、逃げようという意志も希望もなくなります」

ロンドンのウィナー・ホロコースト図書館の「死の行進」の展示では、当時のユダヤ人や一般住民らの45の証言も収集して英語の翻訳して、デジタル化してオンラインでも展示している。例えばハンガリー系ユダヤ人のイスタファン・クラウバー氏によると「ドイツにあるダッハウ収容所まで11日間かけて歩いて移動させられて、1万人いた囚人のうちダッハウにと到着したのは2000人程度で、そのほとんどがほぼ死んでいて、働けるような状態ではなかったです。親衛隊員は囚人が歩いている途中で死んでいくのが気に入らなかったので、彼らは動けなくなった囚人らをマシンガンで撃ち抜いていました」と壮絶な歴史を語っていた。

また「死の行進」を生き延びたレオン・アンガー氏は戦後の1959年に「歩いて移動している時にどうして逃げなかったのか?という質問をされることがあります。それは愚問です。とにかく疲れ果てていました。体力がなくなってくると、逃げようという意志も希望もなくなります。そして森の中で何か月にもわたって、捕まった時のことの恐怖を考えながら逃げていることを想像する方が怖かったです。きっと戦争は近いうちに終わるだろうという思いもありました」と当時の想いを伝えていた。

戦後70年以上が経過しホロコースト生存者らの高齢化も進み、多くの人が他界してしまった。当時の記憶や経験を後世に伝えようとしてホロコースト生存者らの証言を動画や3Dなどで記録して保存している、いわゆる記憶のデジタル化は積極的に進められている。

またホロコーストの犠牲者の遺品やメモ、生存者らが所有していたホロコースト時代の物の多くは、家族らがホロコースト博物館などに寄付している。特に新型コロナウィルス感染拡大によるロックダウンで多くの博物館が閉鎖されてしまってからは展示物のデジタル化が加速されており、バーチャルツアーで世界中の人が閲覧できるようになっている。

▼ロンドン・ウィナー・ホロコースト図書館での紹介動画