英国、ホロコースト博物館:生存者の証言などをデジタル化して保存、次世代に継承へ

(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

■ホロコースト生存者の高齢化に伴うデジタル化

イギリスのノッティンガムにあるホロコースト博物館(The National Holocaust Centre & Museum)では毎週、ホロコーストの生存者が学生や子供たちに、当時の話や証言をしている。ホロコーストは第二次大戦のナチスによるユダヤ人の迫害と大量虐殺であり、その生存者も年々高齢化が進んでおり、毎週学生らに当時の話をすることも体力的にも厳しくなってきている。またその数も年々少なくなってきている。

生存者が元気なうちに当時の話や証言をデジタル化して、保存しておくことを決定した。イギリスのクラウド事業者DataCentredが協力して、同社が提供しているクラウドに保存される。10人の生存者の証言は高精細画質で保存され、80テラバイトにもなる。それらの映像やコンテンツには、生存者らが当時のホロコーストのことを語る貴重な映像として将来にわたって保管され、教育での活用や博物館訪問者向けに公開されていく。

■ホロコースト問題には複雑な思いのイギリス

イギリス人にとってユダヤ人とホロコースト問題は複雑だ。

ナチスドイツによるユダヤ人襲撃「水晶の夜」後に、イギリスはナチ政権了解の下、ドイツやチェコスロバキアなどから、17歳までのユダヤ人の子供たちをイギリスに受け入れた。いわゆるキンダー・トランスポートである。戦時中「ヒトラーの目的はイギリスとの戦争に勝つことだった」と言われていた。しかしイギリス人の多くは、ナチスドイツよりもフランスの強靭な陸軍の方が脅威になっていると感じ、フランスを抑止するために、ヒトラーの軍備増強を歓迎すらしていた風潮もあった。

そして、現在のパレスチナ問題はそもそも当時のイギリスの「三枚舌外交」の産物である。1947年2月、イギリスはパレスチナの委任統治を国連に託し、同地から撤収した。その直前の1946年には、親アラブへ傾斜していくことを悟ったシオニストらによる反英闘争が活発になった。そして1946年7月22日、エルサレムのキング・デイヴィッド・ホテルに爆薬を仕掛けて、イギリスの政府関係者ら91名を殺害したことから、イギリスでは急激に反ユダヤ感情が燃え上がった。そしてロンドン、リバプール、マンチェスターなどユダヤ人の多く住む都市で反ユダヤ暴動が発生した。

イギリスには1880年~90年代にかけてポーランドやロシア、東欧から、迫害を逃れて多くのユダヤ人が流入してきた。そしてユダヤ移民の90%はロンドンのイーストエンドと呼ばれた下町に一極集中していた。一方で中世からイギリスに住んでいた上流階級のイギリス人らしいユダヤ人も多くいた。当時、ユダヤ移民は生きていくために安い賃金でも文句を言わずに長時間働いたことから、イギリスの労働者はユダヤ人移民と競争させられるのはフェアではないと怒りと反ユダヤ感情を抱いていた。これは現在のイギリスや欧州に中東から大量に流入してきている移民問題と同じ構造である。

このように近現代イギリスにとってユダヤとホロコーストの問題はいろいろな事象や思いが錯綜しており、人それぞれによって捉え方の違う複雑な問題である。

それでも第二次大戦中に欧州で約600万人のユダヤ人やロマが大量に虐殺されたという事実に変更はない。そしてホロコーストの生存者の高齢化が進み、彼らの「生の声」を直接聞くことが難しくなりつつあり、それらを映像化してデジタルとして保管し次世代に継承していく事業は着々と進められている。

▼ホロコーストミュージアムを訪問して学習するイギリスの学生

ホロコースト博物館(The National Holocaust Centre & Museum)