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娘への嫉妬、息子への射撃事件。「ダメな父親」を自認したライアン・オニールと子供たちのこじれた関係

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
ライアン・オニールとテイタム・オニール、1973年(写真:REX/アフロ)

 ライアン・オニールが亡くなった。テレビドラマ「ペイトン・プレイス物語」で大ブレイクし、「ある愛の詩」でオスカー主演男優部門に候補入りしたライアンは、ハリウッドの大スターとして人々を魅了し続けた。

 恋多きプレイボーイとして知られた彼は、1979年、「チャーリーズ・エンジェル」でセックスシンボルとなったファラ・フォーセットと恋に落ち、世界的スーパーカップルが誕生する。一度は別れたものの復活し、ファラが亡くなるまで一緒だったこのふたりについて、ファラの親友で「チャーリーズ・エンジェル」の共演者ジャクリン・スミスは、「真実の愛だった」と語っている。

 しかし、真の愛を手にしたライアンは、その過程で多くのことを犠牲にもしていた。とりわけ、彼の子供たち。生前、ライアン自身も、自分はダメな父親だと認める発言をしている。

 彼の最初の結婚相手は、女優ジョアンナ・ムーア。1963年に契りを交わした夫妻の間には娘テイタムと息子グリフィンが生まれた。しかし、1964年に始まった「ペイトン・プレイス物語」の共演者バーバラ・パーキンスと不倫し(やはり共演者だったミア・ファローとも噂があった)、1967年に離婚。ふたりの子供はジョアンナが引き取ったが、ジョアンナはアルコールとドラッグに依存し、子育てをほぼ放棄する。しばしば5歳と4歳だった子供たちを連れてバーに行っては勝手にどこかに消えたし、子供たちを車庫に閉じ込めて食べ物も与えなかったこともあった。お風呂にも時々しか入れてあげず、歯磨きも教えてあげなかったため、虫歯だらけだった。

娘のオスカー授賞式に出席せず

 その結果、ジョアンナは親権を失い、ライアンは子供たちをアリゾナ州の寄宿学校に入れる。そしてテイタムが8歳の時、ライアンとテイタムは「ペーパー・ムーン」で共演することになった。だが、ライアンには面白くないことに、テイタムばかりが注目されることになってしまう。嫉妬を隠せないライアンは、テイタムに向かって「お前は本当に気に食わない」ということもあった。テイタムが「ペーパー・ムーン」で史上最年少にしてオスカー助演女優賞を受賞した時も、ライアンは授賞式をボイコットしている(テイタムの母も来なかった)。父がドラッグを使っていることにテイタムが気づくようになったのは、この頃だ。

 次にテイタムが出演する「がんばれ!ベアーズ」と、ライアンが出演する「バリー・リンドン」が数ヶ月違いで公開される前、ライアンは、自分の映画のほうがヒットすると宣言した。その予測が外れると、ライアンに殴られたと、後にテイタムは語っている。

 その頃、テイタムは、6歳上のメラニー・グリフィスと知り合い、姉のように慕うようになった。しかし、テイタムは父からの大きな裏切りに遭うことになる。ライアンはテイタム、メラニー、ドラッグディーラーをヨーロッパ旅行に連れて行ったのだが、宿泊先のホテルで父とメラニーがベッドにいるところを目撃することになったのだ。ショックを受けたテイタムはドラッグディーラーからドラッグをもらい、酒をあおって気を失ったが、目が覚めると裸でドラッグディーラーのベッドにいた。そんな様子を目撃したライアンは、娘に性暴力を与えたドラッグディーラーではなく、「恥を知れ」とテイタムを怒った。そんな子供時代の体験がトラウマとなり、テイタムもドラッグに依存するようになってしまった。

 グリフィンも、家庭内の問題で苦しみ、9歳からドラッグや酒に手を染めるようになる。11歳の時にはライアンからコカインを勧められたとも語っている。ライアンから暴力を受け、前歯が2本折れたこともあった。その時は警察に届け出ている。大人になってから、グリフィンは何度となく酒やドラッグの影響を受けた状態で運転しては逮捕された。

 グリフィンに向けて銃を撃った疑いで、ライアンが逮捕されたこともある。グリフィンが40代前半の時のことだ。ライアンの家を訪れていたグリフィンは、ライアンと言い争いになり、怒って暖炉の火かきを手に取り、振り回してきた。するとライアンは2階の寝室に駆け込み、銃を出して、撃ったのだ。ライアンは、階段の手すりをめがけて撃ったと述べている。事実、グリフィンに怪我はなかった。ライアンは逮捕されたが、正当防衛を主張し、起訴を逃れている。

ファラとの恋は不倫でスタート

 ライアンは、ふたりめの妻リー・テイラー=ヤングとの間に、息子パトリックを授かっている。ライアンとリーの結婚生活は7年で破綻したが、その後も元夫妻は友好な関係を続けた。そして1979年、ライアンはファラに出会う。当時、ファラはライアンの友人で俳優のリー・メジャーズの妻で、ふたりの恋は不倫関係から始まった。

 まもなくファラとリーは離婚し、1985年にファラとライアンの息子レッドモンドが誕生。熱愛関係にあったライアンとファラは、激しい喧嘩をすることも多く、6 歳だったレッドモンドがパジャマ姿でナイフを持って現れ、「パパとママが喧嘩をやめてくれないなら僕は自分を刺す」と言ったこともあった。レッドモンドが12歳の時、ファラはライアンが別の女優と一緒にベッドにいるところを発見し、カップルは破局。レッドモンドの親権は共同で持つことになったが、その4年後にふたりはよりを戻した。

 そんな環境で育ったレッドモンドも、若い頃からドラッグに手を染めている。2008年には、マリブの家でドラッグを所持していた疑いで、父と一緒に逮捕された。その翌年にも、レッドモンドは、酒または薬物の影響を受けた状態で車を運転し、逮捕されることになっている。その時、すでに重いガンを患っていたファラは入院していた。2018年には、サンタモニカのコンビニエンスストアに強盗に入り、またもや逮捕されることに。レッドモンドは、薬物に依存したのは子供時代からのトラウマのせいだと公言している。ライアンとレッドモンドの関係は非常にこじれているが、今年に入り、余命があまりないと認識しているライアンは、刑務所にいるレッドモンドに会いに行ったと報道されている。

 ファラは2006年にガンを診断され、一度は完治したと思われたものの転移が見つかり、2009年6月に62歳で亡くなった。ファラのことを優しい人だと思っていたグリフィンは葬式に出るつもりだったが、ライアンに拒否されてかなわなかった。テイタムは出席したが、ライアンは自分の娘だと気づかず、知らない女性だと思ってちょっかいをかけてきたという。その信じられない父の振る舞いについて、「私たちの父娘関係を象徴するような出来事ですよね」と、テイタムは語っている。

ファラには2度プロポーズをしていた

 そんなライアンは、ファラが入院している間、ずっとそばに寄り添い、見守り続けた。そのずっと前、ライアンが慢性的白血病と診断された時には、ファラがそばについて、支えてあげている。喧嘩も多かったふたりだが、お互いを大切に思っていたのはたしかだ。

 30年も一緒にいながら結婚しなかったが、実は、2度プロポーズがあった。そして2度とも、ファラは承諾している。最初はレッドモンドが生まれる前。ふたりはタホ湖からレノの教会に向かう車に乗っていたが、途中、タイヤがパンクしてタホ湖に戻ることになり、そのままになった。2度目は、ファラの死の寸前。神父に病室まで来てもらったものの、直後にファラは息を引き取った。

 一方、ライアンの最初の妻ジョアンナは、1997年、肺ガンで死去した。ライアンとの離婚後に再婚するも、2年で離婚。テイタムは10代の頃から母に毎月生活費を渡していたが、そのお金を酒とドラッグに使っていると知り、支払いをやめると宣言した直後、余命2ヶ月と知らされた。2番目の妻リーは、ライアンと離婚後、3度結婚。4度目の夫とは、今年結婚10周年を迎えた。彼女の子供はライアンとの間に授かったパトリックだけである。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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