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ハリウッドのエグゼクティブ、ストーカーに殺される。犯人は映画のエキストラ

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
ゴッサム・アワードのブレイクスルー監督賞を受賞したA・V・ロックウェル(写真:ロイター/アフロ)

 2023年は、ニューヨーク生まれの新人監督A・V・ロックウェルにとって最高の年になるはずだった。

 彼女が脚本を書き下ろし、監督を務めた「A Thousand and One」は、1月のサンダンス映画祭で上映され、審査員賞を受賞。3月にアメリカ公開されると批評家から絶賛を受け、つい最近発表されたゴッサム・アワードでも、ロックウェルはブレイクスルー監督賞を受賞した。

 しかし、この映画はまた、思わぬ形で、ロックウェルに地獄をもたらしてもいた。その結果、何の罪もない人が殺されてしまったのである。

 現地時間今週月曜日、ロサンゼルスでは、見知らぬ女性が民家に押し入り、住人の男性を銃で殺すという事件が起きた。被害者の名前はマイケル・ラット(33)。黒人をはじめとするマイノリティのフィルムメーカーらを手助けするマーケティングコンサルティング会社Lead With Loveの創設者で、今月日本公開される黒人監督、黒人キャストの実話映画「ティル」のキャンペーンも担った人物だ。

 父は映画プロデューサー、母はサンダンス映画祭を主催するサンダンス・インスティチュートのシニア・ディレクターと、業界一家の生まれ。自分の会社を立ち上げる前も、立ち上げてからも、ラットはサンダンス・インスティチュートにかかわってきた。「A Thousand and One」がサンダンス映画祭で上映された時にも、ロックウェルと一緒に撮影した写真をインスタグラムに投稿している。

プレゼントに始まり、やがて脅迫へ

 この映画との関連が見えてきたのは、事件からやや時間が経ってからのこと。事件直後は、車で生活する女性が起こした無差別殺人かと報道されていた。だが、逮捕されたジャミーラ・ミチル(38)は、「A Thousand and One」の撮影現場で、エキストラと、主演女優テヤナ・テイラーのスタンドイン(カメラをセットアップする時などに、俳優の代わりに立つ人)を務めた女性だと判明。ミチルは一方的にロックウェルに執着するようになり、ストーカー行為を重ねてきたという事実も明らかになった。

 撮影現場以外でミチルがロックウェルに初めて接触したのは、映画の撮影が終了した2021年。ミチルはプロデューサーを通じてロックウェルにプレゼントを贈り、ロックウェルはその気遣いに対して純粋に感謝した。そして今年に入り、映画がサンダンス映画祭で上映されると、ミチルはある製作関係者に、「私がおめでとうと言っていると、A・Vに伝えてもらえますか?私が贈ったプレゼントはちょっと大袈裟だったかもしれませんが、映画が大絶賛されて、多くの人がこの映画に共感することがわかった今、私がなぜあそこまでしたのか彼女はわかってくれたと思います。彼女のすばらしさを私は理解していたんです」とメールを送っている。

 ロックウェルから返事はなかったが、その後もミチルはメールを送り続け、4月には「あなたは映画の成功を堪能しているでしょうが、それを実現させるために多くの人が一生懸命手助けをしたのだということを忘れないでください」と、やや恩着せがましいことを書いた。それからまもなく、「これを書いている間にも、私の銃には弾が込められています。引き金を引いたら、私は自由になれるのです」と、自殺を仄めかす手書きの手紙が送られてきて、ロックウェルは衝撃を受ける。恐怖のせいで眠れなくなり、仕事に集中できなくなったロックウェルは、ミチルに対して接近禁止命令を申請した。

ラットが狙われたのはロックウェルの友達だったから

 実際、ミチルが自分に銃を向けることはなかった。その代わり、彼女は、直接会ったこともないラットに向けて銃を撃ち放ったのである。警察によると、ミチルは車を近くに停めてラットの家のドアをノックし、家にいた別の人がドアを開けると、強引に中に入ってきてラットに歩み寄った。ラットが狙われたのは、単にロックウェルの友人だったからだそうだ。ミチルは殺人容疑で逮捕され、保釈金の金額は300万ドルに設定されて、現在、監禁されている。

ロックウェルの長編監督デビュー作「A Thousand and One」の一場面(Focus Features)
ロックウェルの長編監督デビュー作「A Thousand and One」の一場面(Focus Features)

「A Thousand and One」の主人公は、ニューヨークに住む黒人のシングルマザー。刑務所から出てきたばかりの彼女は、幼いひとり息子と一緒に暮らすことを願うも許されず、息子を連れて逃亡する。新しい名前を与えられた息子は、自分たちが身元を偽っていることに気づかず、成長していく。しかし、ティーンエイジャーになったある日、真実から目を背けられない瞬間がやってくるのだった。

 今作を配給するのは、オスカーに候補入りする作品を数多く手がけてきたフォーカス・フィーチャーズ。この映画のためにも、アワードキャンペーンを展開している。いよいよ本番に入るこれからのアワードシーズン、この映画のタイトルを、ますます耳にするようになるだろう。黒人のアーティストがチャンスをもらえるよう尽力してきたラットは、そんな様子を見て、大きな誇りを感じたはずだ。なのに、彼はその機会を得られなかった。貴重な命が奪われたことが、悔やまれてならない。ご冥福を心よりお祈りします。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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