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「自分はなぜまだ生きているのか」。人生の半分で依存症と闘ったマシュー・ペリーが問い続けたこと

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
アメリカの国民的人気番組「フレンズ」で大スターになったマシュー・ペリー(写真:REX/アフロ)

「こんにちは。僕の名前はマシューです。ただ、友達からはマティと呼ばれます。そして僕はもう死んでいるべきです」。

 昨年秋に出版されたマシュー・ペリーの回顧録「Friends, Lovers and the Big Terrible Thing」は、そんな言葉で始まる。「フレンズ」の共演者リサ・クドローによる前書きも、「彼は不可能な状況を生き延びてきました。もう無理だということが何度あったのか、私にはわかりません。マティ、あなたがここにいてくれて嬉しいです。良かったです。あなたのことが大好きです」との言葉で締めくくられている。

 ペリーは、西海岸時間28日、ロサンゼルスの自宅のジャグジーで溺れているところを発見された。享年54歳。報道によれば、その日、彼はリビエラ・カントリークラブでピックルボールを2時間プレイし、帰宅後、注文していた新しいiPhoneと眼鏡を取りに行くよう、パーソナルアシスタントに頼んだとのこと。ピックルボールをプレイしている間は元気そうだったが、用事を済ませたアシスタントが戻ってくると、ジャグジーの中で反応のない状態になっていたという。家の中からは多数の処方薬が発見されたが、抗うつ剤や、慢性的な気管支炎COPDの薬などで、違法ドラッグは見つかっていない。死亡時、彼の体内に何があったのかが判明するには数ヶ月がかかるとのことだ。

 クドローが書いたように、人生の半分を依存症と闘ってきたペリーには、死にそうになったことが何度もあった。2018年にも、死との境目を行き来している。

 その頃ロサンゼルスのウエストサイドにある依存症患者の更生施設で暮らしていたペリーは、何日も我慢できない痛みに悩まされ、アシスタントによって近くの病院に担ぎ込まれた。そこで、彼の大腸が破裂。長年のドラッグへの依存は、彼の内臓に影響を及ぼしていたのだ。昏睡状態に陥り、7時間以上の手術を終えたペリーは、ECMO(体外式膜型人工肺)につながれた。これは死を目の前にした人に使われるもので、その夜ECMOが使われた5人の患者のうち、自分以外の4人は亡くなったと、ペリーは回顧録発売時に出演したテレビで語っている。退院できたのは5ヶ月後。1年経てば回復し、次の手術ができるようになると言われたが、それまでは人工肛門袋をつけて生活しなければならなかった。

「フレンズ」の撮影中もアルコールに依存していた

 ペリーは1969年、マサチューセッツ州生まれ。1歳の誕生日を迎える前に両親が離婚し、カナダ出身の母と、カナダのオンタリオ州で育った。母はピエール・トルドー元首相の報道官を務め、ペリーと現首相ジャスティン・トルドーは幼なじみだ。テニスが得意で、将来はテニス選手になることも考えたが、15歳で父のいるロサンゼルスに移住し、演技の勉強を始めた。ペリーの父ジョン・ベネット・ペリーは俳優で、「インデペンデンス・デイ」やテレビドラマ「ザ・ホワイトハウス」などに出演している。

 最初に依存したのは、アルコール。14歳で初めて酒を口にし、18歳になる頃には、毎日飲むようになっていた。「フレンズ」が大ヒットしてスターになった頃も、誰も知らないところで、彼は酒に溺れていたのだ。撮影現場で飲むことは決してしなかったものの、いつも二日酔い状態で撮影をこなしていたと、ペリーは告白している。「私たちはあなたが飲んでいると知っているわよ」と最初に言ってきたのは、ジェニファー・アニストン。前の晩からの酒の匂いがまだ残っていることに、共演者はみんな気づいていたのだ。

「フレンズ」は1994年秋に放映開始になるやいなや大ヒット。10シーズン続いた
「フレンズ」は1994年秋に放映開始になるやいなや大ヒット。10シーズン続いた写真:ロイター/アフロ

 だが、ロマンチックコメディ映画「愛さずにはいられない」の撮影中にジェットスキーをして怪我をし、鎮痛剤バイコディンを処方されると、彼の人生はさらに転落する。アメリカでオピオイド依存症が深刻な問題になって久しく、その恐ろしさ、製薬会社の悪については、「DOPESICK アメリカを蝕むオピオイド危機」「ペイン・キラー」など、最近のドラマを見ればわかる。バイコディンもオピオイドを使う鎮痛剤で、ペリーも1日に55錠も飲むほど依存してしまった。

 それだけ大量の処方薬をどう手に入れたのかとテレビのインタビューで聞かれると、頭痛がすると嘘を言って医師にかかったりしたとペリーは答えている。売りに出ている家を見学に行き、こっそりと薬が入っている棚を探って盗んだこともあった。「チャンドラー(彼が『フレンズ』で演じたキャラクター)が盗みをするなんて、誰も思いもしませんからね」と、ペリーは語っている。

同じ苦しみを味わう人たちを助ける

 そこから抜け出すために、ペリーは努力をした。依存症更生施設には15回ほども入所したし、アルコール依存症患者の自助団体アルコホーリクス・アノニマス(通称AA)などのミーティングにも6,000回ほど参加している。「フレンズ」最終シーズンは、更生施設から通いながら撮影した。10年続いたこの番組で、ペリーがエミー賞にノミネートされたのは、酒と薬を断っていたこの最終シーズンだけだ。

「フレンズ」を見直すと、それぞれの時期に何に依存していたかによって、ペリーの体型がかなり変化していることがわかる。一番重かった時の体重は102キロ、一番軽かった時は58キロ。酒を飲んでいる頃は太っていて、オピオイドに依存している頃は痩せている。手術も14回受けた。「フレンズ:ザ・リユニオン」撮影の直前にも手術をしたが、6人揃うことに意味のあるこの番組への出演をキャンセルするわけにはいかず、できるかぎりのことをするしかなかった。番組を見た視聴者の間ではペリーの様子が少しおかしいとの感想も聞かれたが、裏にはそんな事情があったのだ。

「フレンズ:ザ・リユニオン」の一場面。ペリーはこの直前に手術を受けていた(Courtesy of HBO Max)
「フレンズ:ザ・リユニオン」の一場面。ペリーはこの直前に手術を受けていた(Courtesy of HBO Max)

 同じ苦しみを味わっている人たちのために何かしようと、ペリーは、自分が以前住んだマリブの豪邸を更生施設に作り替え、ペリー・ハウスと名付けている。回顧録や、そのプロモーションのインタビューで、包み隠さず真実を語るのも、そのためだ。「なぜ自分は助かったのか?」と、彼は何度も自問してきた。はっきりした答はないものの、他人を助けることが関係していると、彼は考える。「フレンズ」で得た知名度と人気のおかげで、世の中は彼の言葉に耳を傾けるからだ。

「アルコール依存症の人が、酒をやめるのを助けてくれますかと聞いてきたら、イエスと言えます。『なぜ自分はまだ生きているのか』という問いへの答はそのあたりにあるのだと思います。そしてそれは僕を本当に良い気持ちにしてくれる、唯一のことです」と、ペリーは回顧録に書いている。

2009年、「セブンティーン・アゲイン」のプレミアに出席したペリー
2009年、「セブンティーン・アゲイン」のプレミアに出席したペリー写真:ロイター/アフロ

「自分が死んだらみんなショックは受けるでしょうが、驚く人は誰もいないでしょう。そんなふうに生きるのは奇妙です」とも、ペリーは書いた。そして今、人は、強いショックを受け、深い悲しみに浸っている。私たちを楽しませてくれた彼は、何度も厳しいバトルを乗り越えたにもかかわらず、突然、こんな形でこの世の中を去ってしまったのだ。ソーシャルメディアには多くの追悼コメントが寄せられているが、彼を身近で支えた「フレンズ」の共演者は、まだ口をつぐんでいる。彼らは大切な親友を失った。そして、世界は、笑いを提供してくれた愛すべきスターを失った。まだまだ活躍する彼の姿を誰もが見たかった。ご家族、身近な方々の心中をお察しし、お悔やみを申し上げます。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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