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「ワイスピ」ヒットは共演者のおかげと言われた時の、ポール・ウォーカーの正直な気持ち

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
(写真:ロイター/アフロ)

 9月12日は、ポール・ウォーカーの誕生日。9年前の悲劇的な事故がなければ、今日で彼は49歳になっていたはずだった。

 筆者は、ハリウッド俳優として活躍していた頃の彼を何度も取材してきている。そしていつも、自分を良く見せようと格好をつけたり、業界にどっぷりと染まったりしていない、正直で気取らない人だと感じてきた。2001年の「ワイルド・スピード」はサプライズヒットとなったものの、その後に出た映画の多くが失敗したことも、彼を謙虚にさせていたのかもしれない。

 今では巨額の予算を投じ、派手でありえないカーアクションを次々と披露するシリーズとなったが、オリジナルの「ワイルド・スピード」は、L.A.の違法ストリートレースのカルチャーをテーマにした、製作予算3,800万ドルの、当時のハリウッドでも中規模レベルの作品だった(シリーズ9作目『ワイルド・スピード/ジェットブレイク』の予算は2億ドル)。1作目の監督ロブ・コーエンは、ニューヨークの違法ストリートレースについて書かれた雑誌の記事を読んで、この映画の構想を立ち上げている。

 ブライアン・オコナーの役は、エミネム、マーク・ウォルバーグ、クリスチャン・ベールなどの候補を経て、最終的に、コーエンとプロデューサーのニール・H・モリッツが「ザ・スカルズ/髑髏(ドクロ)の誓い」で組んだばかりだったウォーカーにオファーされた。この頃、ウォーカーには、結婚していない女性との間に娘が生まれたばかりで、わが子を養うためにも次の仕事を探さなければと思っていたと語っている。

 ドミニク・トレット役にスタジオが希望した俳優は、ティモシー・オリファント。だが断られて、ヴィン・ディーゼルの名が浮上した。このキャスティングは、結果的に大成功。映画がヒットしたのはディーゼルのおかげだという声も多く聞かれるようになるのだが、そのことについて、ウォーカーは、「タイムライン」公開前の2003年、こう語っている。

「そういうことを考えてはだめなんだ。だけど、考えてしまうものだよ。エージェントやパブリシストがその話をするんだから。聞いていて、僕も『この人たちが言っていることは正しいんだろう』と思ったりした。でも、今は、僕らふたりのおかげでヒットしたんだと思っている。それ以前に、テーマが魅力だったんだ。正しいテーマを持つ作品が、正しいタイミングで出たんだよ」。

4作目にはディーゼルだけが戻るはずだった

 だが、ディーゼルが続編「ワイルド・スピードX2」への出演を断ると、ウォーカーは、あまり聞きたくないことをまた聞かされることになる。

「ヴィンが出ないと聞いたら若いファンはすごくがっかりするだろうと、スタジオは言った。彼らはあの映画のヴィンが好きだったんだと。ヴィンは自分だけが主演の映画に出たかったんだ。本人がはっきりそう言っている。彼がそう望むならそれでかまわない。この2作目では、タイリース(・ギブソン)が彼の代わりに出た。そしてすごいことをやってくれた。若いファンは彼のことをとても気に入ったよ。彼らは2作目のほうがもっと好きなんだ。スタジオは知らないけれど、僕は知っている。ファンに聞いたら、9割の確率でそう言われるんだから。3作目にはヴィンが戻ってくるんじゃないかという噂もある。そうなったらすばらしいだろうね。僕、ヴィン、タイリースが出たら、おもしろいんじゃないか」。

ポール・ウォーカー、ヴィン・ディーゼル、タイリース・ギブソン
ポール・ウォーカー、ヴィン・ディーゼル、タイリース・ギブソン写真:Shutterstock/アフロ

 しかし、プロデューサーらは、シリーズ3作目「ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT」をこれまでとまったく違うキャストで作ると決める。ディーゼル、ウォーカー、ミシェル・ロドリゲス、ジョーダナ・ブリュースターらオリジナルキャストが全員戻ってくる4作目「ワイルド・スピード MAX」で、ディーゼルはプロデューサーも兼任したいと交渉したが、控えめなウォーカーは、それをしなかった。4作目公開前の2009年、ウォーカーはこんなふうに語っている。

「4作目にはヴィンだけがカムバックするはずだったんだが、スタジオが僕にも戻ってきてくれないかと聞いてきたんだ。そして、僕は、それは意味をなすと感じた。僕は長いこと映画に出ていない。この世界から遠ざかっていた。もうこのキャリアは終わったのかもと思ったこともあった。学校に戻って勉強しようかと考えたこともあったよ。僕はかつて大学で海洋生物学を学んだので、学位を取れるようまた大学に行こうかと。パークレンジャー(自然保護官)になろうかなとも考えた。アウトドアでいられるし、シンプルな生活を送れるかと思って」。

ウォーカーとディーゼルは「怖いくらい似ている」

 ウォーカーは、4作目にギブソンも連れ戻したいと願ったが、それは5作目でようやく実現する。そして、5作目を作る頃には、ディーゼルとの友情はより深まっていた。

「1作目の時、僕はまだこの業界の新人だった。一方で、ヴィンは、自分の映画を作っていたし、『プライベート・ライアン』にも出ていた。だから僕はちょっと彼に対して緊張していた。でも、今は対等に感じる。僕らはお互いを尊敬している。僕らは全然違うタイプだが、ある部分では怖いくらい似ていたりする。僕は映画から完全に消えてしまった時期があったし、彼は彼で大きな失敗をした。そこから這い上がる必要があった。彼はあまり自分を見せないタイプだけれど、一緒に時間を過ごすにつれて、僕らは似ていると気づくようになったんだ」。

ふたりの友情は強まっていった
ふたりの友情は強まっていった写真:Splash/アフロ

 ディーゼルにとって初めての子供が生まれる時、ウォーカーは出産に立ち会うよう勧め、ディーゼルは病院に駆けつけた。そうアドバイスしてくれたウォーカーへの感謝を、ディーゼルは忘れていない。ウォーカーが亡くなった後、3人目の娘が生まれようとしていた瞬間、ディーゼルの母が「今、この部屋にポールがいる」と言ったとも、ディーゼルは語っている。ウォーカーの娘メドウの結婚式では、ウォーカーに代わってディーゼルが花嫁と共にヴァージンロードを歩いた。このふたりの絆は、今もしっかりと生きているのだ。

「ワイルド・スピード」シリーズの中でも、ブライアンは、今もみんなの大事な友達として存在し続ける。もちろん、ウォーカー本人への愛も、ファンは忘れていない。自然、海、動物、子供たち、旅を愛し、名声や贅沢に興味がなかったウォーカーは、最もハリウッドスターらしからぬハリウッドスターだった。この機会に、たくさんの夢を与えてくれた彼に、あらためて感謝したい。天国にいるポール、お誕生日おめでとうございます。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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