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22歳下の妻、スタローンに離婚を突きつける。浮気され、捨てられても許した”聖書に書かれたような女性”

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
シルヴェスタ・スタローンとジェニファー・フレイヴィン(写真:Shutterstock/アフロ)

 ロサンゼルスのレストランで偶然出会ってから、34年。シルヴェスタ・スタローンと妻ジェニファー・フレイヴィンが、結婚生活に終止符を打った。

Closer Weeklyが報じるところによると、フレイヴィンがフロリダ州で離婚を申請したのは、現地時間19日。離婚理由は、「この結婚は修復不可能なまでに破綻してしまった」ことだ。フレイヴィンは、25年間の結婚生活の間に築かれた財産と負債を平等に分けること、また離婚の手続きが進められる間、フロリダにある家には自分が住むことを希望。さらに、離婚の手続きの間に、スタローンが夫婦の財産を勝手に売ったり、動かしたりしないよう牽制している。

 夫妻は、つい3ヶ月前に結婚25周年を祝ったばかり。この特別の記念日、スタローンは、「私心がなく、献身的で、我慢強いこの女性が僕らの人生にどれほどの意味をもたらしてくれたのか、言葉では語り尽くせない。次の25年もありますように」とインスタグラムで妻に感謝を捧げていた。フレイヴィンも、「私たちの結婚は毎年のように良くなっていく。残りの人生もずっと一緒にいたい」と、夫への愛を表明している。

 しかし、最近になって、スタローンが腕に入れていたフレイヴィンの顔のタトゥーが犬の顔に変わっていることをメディアが発見。一方で、フレイヴィンは、スタローンとの間に生まれた3人の娘と一緒にいる写真を「この娘たちは私にとって最大優先。ほかはどうでもいい。4人は永遠に一緒」というコメントとともにインスタグラムに投稿していた。

TMZによれば、直接の原因は、スタローンが新たな犬を飼ったことらしい。フレイヴィンはもう1匹犬を飼うことに反対だったのだが、スタローンが押し切り、そこから大喧嘩になった(フレイヴィンの顔の代わりに入れられたタトゥーは、その新たな犬の顔のようである)。それをきっかけにほかの問題についても言い争いが始まったが、どれもたいしたことではなく、スタローンはまさか離婚を言い出されるとは思ってもいなかったとのことである。彼は現在、撮影でオクラホマ州にいる。

フェデックスで送られてきた別れの手紙

 この離婚は、スタローンにとって3度目。最初の妻とは「ロッキー」で大ブレイクする前の1974年に結婚し、ふたりの息子を授かるも、スタローンの度重なる不倫が原因で10年後に破局した。離婚が成立したのと同じ年、スタローンは次の妻ブリジット・ニールセンと再婚。548日しか続かなかったこの結婚は、スタローンのほうから終わりを告げている。

 フレイヴィンに出会ったのは、その翌年のことだ。当時フレイヴィンはモデルの仕事を始めたばかりの19歳、スタローンは41歳の世界的スター。ふたりはスタローンの所有するふたつの豪邸や、時にはフレイヴィンが家族と住む実家で、プライベートな時間を過ごし、愛を深めていった。

 スタローンは、フレイヴィンの疑い深くないところも気に入ったようだ。1991年、スタローンは、ふたりの関係について、「一緒にいる時は最高だし、離れている時も鎖に繋がれていないんだ」と述べている。フレイヴィンも、その翌年、「私がいないところで何か起きているかもしれないとは思う。彼は45歳だし、変えることはできない。でも、毎日浮気をしているとは思わない。週のうち5日は一緒に夜を過ごしているし、そんな時間はないでしょう」と語っていた。

 と思っていたら、なんとスタローンはそんな時間を見つけていたのだ。浮気相手はフレイヴィンが一緒に仕事をしたこともあるモデル仲間のジャニス・ディキンソン。ディキンソンにはその頃、女の子の赤ちゃんが生まれていた。

 だが、フレイヴィンがその事実を知ったのは、スタローンがフレイヴィンに突然フェデックスを送りつけてきた後のことだ。箱に入っていた6枚に及ぶ手書きの手紙は彼女に別れを告げるものだったが、そこには浮気のことは書かれておらず、数日後、モデル事務所の担当者が教えてくれたのである。

 仕事仲間が生んだばかりの赤ちゃんは、自分の恋人の子供かもしれない。それは「女性にとって最悪の悪夢」で、「レンガで頭を殴られたような気持ち」だったと、当時フレイヴィンは「People」に語っている。さらに、別れの告げ方があまりにも酷かった。「6年も付き合った相手を手紙だけで切るなんて。私は戻ってきてと懇願したりはしない。ただ、ちゃんと話したかった」とも、フレイヴィンは胸の内を明かしている。

 スタローンとディキンソンがいつ知り合ったのか、フレイヴィンにはわからない。ただ、スタローンがオーナーのひとりであるテーマレストラン「プラネット・ハリウッド」のニューヨーク店でばったりディキンソンに会い、おしゃべりをしたことはあった。このフェデックスが送られてくる前、スタローンが「スペシャリスト」の撮影で滞在しているマイアミに追いかけていく予定だったのに、もっと後にしてと言われたのも、浮気を隠すためだった。その時、フロリダには、ディキンソンと赤ちゃんが来ていたのだ。

過去の過ちを許し結婚

 だが、血液検査をした結果、赤ちゃんの父親はスタローンではないと判明。それを受けてスタローンはディキンソンと別れ、フレイヴィンの元に戻った。フレイヴィンも彼を受け入れ、その翌年の1996年、スタローンは、今度こそ本当に女の子の父親になる。ソフィアちゃんと名付けられた長女が9歳の時、カップルは結婚。その後、夫妻には、それぞれシスティーン、スカーレットと名付けられた娘が生まれた。

 1997年の「New York Times」のインタビューで、スタローンは、「人生において、僕には完全に無責任だった時期があった。陰湿な人間になったわけではないが、(仕事の)クリエイティブ面で、自分がその10年前にやっていたことに見合うことをやれていないと感じていたんだ」と、フレイヴィンに対してしたことへの後悔を語っている。生後3ヶ月でソフィアちゃんが心臓の手術を受けたことにも触れ、「娘にもあんなことがあったし、ジェンは本当に辛い思いをした。でも、彼女は許すことができる人。まるで聖書に書かれた人のようだ。これ以上の人はいない」とも、スタローンは述べていた。

 しかし、その寛大な妻は、いつからかスタローンを許せないと感じるようになっていたのだ。彼女にとって、スタローンとの結婚は、修復できないほど壊れてしまった。犬のことは、これまで積み重なってきた、最後のことに過ぎなかったのだろう。彼女は、これからの未来を、スタローン抜きで、3人の娘と仲良く生きていくつもりでいる。スタローンはそれをフェデックスの箱に入った手紙ではなく、誰かから手渡された離婚書類で知らされた。76歳にして、スタローンは、人生の大きな転換期に直面している。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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