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ベン・アフレックとジェニファー・ロペス、出会いは“史上最悪の映画”で、ハル・ベリーのおかげ

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
(写真:ロイター/アフロ)

 出会いから21年を経て、ベン・アフレックとジェニファー・ロペスがついにゴールインした。しかも、派手好きのロペスには意外なことに、ラスベガスでの電撃結婚だ。前回はサンタバーバラでの豪華なウエディングをするはずが、数日前になってドタキャンになるという恥をかいたので、お互い盛り上がっているうちにやってしまおうと思ったのだろうか。そもそもロペスは、よく勢いで結婚してきた。そうやって突発的に結婚するから3回も離婚したのだとも言えるが、アフレックと復活する前に交際していたアレックス・ロドリゲスとはプロポーズを受けてから2年も経った末に破局だったので、引き延ばすと良いことがないのかもしれない。

 昔から今に至るまで、ハリウッドに注目カップルは山のように存在してきた。しかし、このふたりは特別である。ここまで波瀾万丈だったカップルはなかなかなく、その意味ではやはりお似合いであり、運命の相手だったのだろう。

 最初に付き合っていた時、世間は決して彼らに優しくなかった。パパラッチは常に彼らを追いかけ、ゴシップは彼らの話題で持ちきりだったが、ブラッド・ピットとジェニファー・アニストンのように、愛され、褒め称えられるのではなく、揶揄される存在だったのだ。恋に溺れて自分たちしか見えなかったにしろ、高額なプレゼントをしょっちゅう贈り合い、それをあたかも見せびらかすようなふたりを(もちろん本人たちにそんなつもりはなかったのだろうが)、一般人はあまり良く思わなかったのである。

 その何よりの証拠に、彼らの出会いのきっかけを作った映画「Gigli」(2003年、日本未公開)は、ロマンスの真っ最中に公開されたにもかかわらず、とんでもない大コケをしている。批評家の評も最悪で、Rottentomatoes.comではなんと6%という悲しさだ。良くない映画はほかにもあるし、そこまでしなくても良いのではというほどのこけおろされぶりは、あのカップルがそれだけ人々に祝福されていないことを示すものだった。

 とは言え、2010年、ラジー賞の「この10年の最悪映画」に、作品、主演男優(アフレック)、主演女優(ロペス)の3つの部門で候補入りしたところを見ると、時間を経て落ち着いてから見ても、やはりひどいものだということだろう。当然のことながら、2004年のラジーでは、この3部門を含む全6部門で受賞をしている。ノミネーションは8部門で、この年ダントツの最悪映画だ。

ハル・ベリーの降板でロペスにオファーが

 そんな駄作に出てしまったことについて、公開当時、アフレックは、「『ミッドナイト・ラン』や『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』の監督だし、面白くなりえる要素があると思った」と語っている(マーティン・ブレスト監督は、『Gigli』の後、何も映画を撮っていない)。実際、映画というのは、良くなるのか悪くなるのか、当たるのか当たらないのか、できてみるまでわからないものだ。良い映画になる要素があったのにならなかったという例も多数ある。

 アフレックは、これが良いものになるだろうと信じて、主演に同意した。その時、彼は、この映画がきっかけで恋が生まれるとはまったく予想していなかった。最初、彼のお相手役に決まっていたのは、ミュージシャンのエリック・ベネットと結婚していたハル・ベリーだったのだ。しかし、ベリーは「X-MEN 2」の撮影が重なったため、撮影開始の1ヶ月前に降板。そこで、たまたま予定が空いたところだったロペスに声がかかったのである。

 ロペスも、ベリー同様、既婚者。それどころか、この役のオファーがかかった同じ月に2度目の夫でバックダンサーのクリス・ジャッドと結婚したばかりの新婚だった。しかし、撮影が始まると、アフレックとロペスがお互いに惹かれていることは誰の目にも明らかになる。ジャッドとの結婚はわずか9ヶ月で破局。そこからすぐ、アフレックとロペスの交際が始まった。

2003年、カップルとしてアカデミー賞授賞式に出席したふたり
2003年、カップルとしてアカデミー賞授賞式に出席したふたり写真: ロイター/アフロ

 即、行動に出たことについて、当時、アフレックは、「ほかの人のものだと諦めていたが、(ロペスが離婚して)自分にもチャンスがあると思った」と語っている。ロペスに惹かれた理由としては、映画に一生懸命なだけでなく、同時にアルバムも作るような仕事熱心ぶりに感心させられたと述べていた。一方で、ロペスは、ジャッドへの離婚申請をする前にアフレックと不倫をしていたのではという疑惑を、強く否定。「私は愛する人に忠実。もし誰かが『ベンがあなたのことを好きみたいよ』と言ってきたら、『私はそんなふうに育てられていないの』と言ったでしょう」と、当時、ロペスは述べている。

今回はふたりとも同じほうを向いている

 その略奪愛は、2年で終わった。結婚式がドタキャンになった理由としては、アフレックが怖気付いたからだという説が、当時よく聞かれた。本人たちは、マスコミの大騒ぎを責めている。外からあれほど騒がれたせいで、中からも崩壊していったというのだ。だが、もっと根本的なところで、結婚後の生活に求めるものが違っていたようである。ロペスはすぐにでも子供がほしかったが、アフレックはまだふたりで自由な生活を楽しみたかったらしい。事実、ロペスは、アフレックとの婚約を解消した5ヶ月後にマーク・アンソニーと結婚すると、すぐに不妊治療に通って双子を生んでいる。

 アフレックも、ロペスとの婚約解消からおよそ半年後に交際を始めたジェニファー・ガーナーと授かり婚をした。できてみると子供はかわいかったらしく、アフレックはガーナーとの間に3人の子供をもうけている。しかし、今から新たな子供は望んでおらず、昨年1月、アナ・デ・アルマスとの交際が破局したのも、現在34歳でこれから自分の子供がほしいと思っているアルマスと将来像が違っていたことが大きかったようだ。

 そんなアフレックは、アルマスと別れてすぐ、ロペスに連絡を取った。そして、その頃婚約者ロドリゲスとの間に問題を抱えていたロペスは、それを喜んで受け入れた。さまざまな経験を重ね、人として成熟した段階で2度目の恋に落ちたふたりは、今度こそ本物だと初めから感じていたという。「私たちがどちらに向かっているのかわかっていなかったら、また付き合ったりしなかったと思う」「私たちは多くのことを学んだ。何が本当で、何が違うのかを。前とは全然違うの」と、ロペスは今年2月、「Rolling Stone」のインタビューで語っている。

 そうやって、“史上最悪の映画”が結びつけたふたりは、今、晴れて夫婦となった。その長い年月の間に、アメリカの大統領は、ブッシュからオバマ、トランプ、バイデンと3回変わった。21年間、ずっとお互いだけを思ってきたわけではなく、それぞれに別の人と家庭を持ったが、そんな中でも消えない何かがあったのだ。これだけのことを乗り越えてきた愛は真実で永遠だと、ふたりは信じる。それが本当であってほしいと、今回は世間も応援している。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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