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視聴率アップに必死のアカデミー。新たな愚策に「そこじゃない!」と批判殺到

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 オスカー授賞式を4週間半後に控えた映画芸術科学アカデミーが、一般視聴者の獲得に必死だ。近年、視聴率はずっと低迷してきたが、昨年はコロナも影響して史上最低を記録。そこをなんとかしようと、アカデミーは最近、いくつかの新たなアイデアを発表した。

 ひとつは、ここ数年不在だったホストを復活させること。もうひとつは、ツイッターを使って、オスカーに候補入りしたかどうかにかかわらず、好きな映画を一般人に投稿してもらうこと。それらの案は冷ややかな目で見られる程度だったが、西海岸時間21日に「The Hollywood Reporter」がいち早く報道した最新の情報は、多くの人を激怒させた。授賞式を3時間で収めるため、8部門を生中継の時間から削除するというのである。

 対象の8部門は、短編ドキュメンタリー、編集、メイクアップ&ヘアスタイリング、作曲、美術、短編アニメーション、短編ライブアクション、音響。これらの部門の発表は、授賞式番組が放映開始される1時間前に、同じドルビー・シアターで行われ、受賞者は同じように壇上で受賞スピーチを行う。その映像は編集されて、授賞式番組の中に取り込まれる。

 つまり、その人たちもちゃんと受賞の感動を味わえるし、晴れ姿を世界の人たちに見てもらえるのだというのだが、説得力はない。まず、どう見ても差別だ。これらの部門が、「一般人から見て興味がないだろう」という基準で選ばれたのは明らか。たとえば、視覚効果部門が生中継のほうに残ったのは、昨年最大のヒット作である「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」が候補入りしたからだろう。歌曲が生中継内に残されたのは、ライブで歌ってもらいたいからだ。映画を作るのにはこれらすべての人たちが必要なのに、アカデミーのトップが考える、視聴率獲得上の価値の大きさによって、クラス分けされてしまったのである。

短編アニメーション部門に候補入りした「Bestia」。この部門の発表は、授賞式番組放映開始前に行われることになった(Sundance.org)
短編アニメーション部門に候補入りした「Bestia」。この部門の発表は、授賞式番組放映開始前に行われることになった(Sundance.org)

 その結果、編集部門まで「生で見せる価値がない」とされたことにも、強い批判がある。演技、脚本、監督、美術などといった部門は舞台劇でも必要だが、編集は、映画という芸術フォームに特有のこと。それがあるから映画と言えるし、編集部門に候補入りしなかった映画が作品部門で受賞することはきわめて稀であるなど、ここは重要だ。業界にいるなら、この部門がいかに大事かはわかっているはず。なのに、数分をカットするためにはずされてしまったのだ。

カットするなら「音楽パフォーマンス」や「くだらない演出」との声

 しかも、それらを削っても、アカデミーはまだ3時間の番組を予定しているというのである。そこに新たに入ってくるのは、先に挙げた、ツイッターでの一般投票によるファンの好きな映画「#OscarsFanFavorite」と、ファンのお気に入りシーン「#OscarsCheerMoment」だ。「#OscarsFanFavorite」に選ばれた作品は舞台に上がってスピーチをし、抽選で選ばれた一般投票者から賞をわたしてもらう。「#OscarsCheerMoment」に選ばれたシーンは、授賞式で上映される。アカデミーのトップは、ここに「スパイダーマン〜」などが入ってくることを目論んでいるのだろう。だが、仮にそうなったとしても、「スパイダーマン〜」のファンはそのためだけに普段見ないオスカー授賞式を見るのだろうか?どうせ見てくれない人たちのために、必ず見てくれる人たちが望むものを犠牲にするのか?

 時間を短くすること自体には、多くが賛成している。ただ、どうやって短縮するかについてのアイデアはさまざまだ。ソーシャルメディアには「グラミーじゃないんだから音楽パフォーマンスはいらない」「笑わせようとするくだらない演出をやめればいい」「亡くなった方々への追悼モンタージュが長すぎる」といったコメントが見られる。アカデミーのトップは音楽パフォーマンスのために歌曲部門を生中継に残し、ホストとしてコメディエンヌを3人雇ったのに、皮肉にもそれ自体が不要という意見があるということだ。

 それらにも納得するが、筆者個人的には、受賞スピーチのつまらなさに問題があると思っている。エージェントやらマネージャーやら弁護士やら、見ている側にしたら知らない人たちの名前をひたすら並べて感謝するだけのスピーチが続くと、オスカー授賞式が大好きな筆者でも退屈する。昨年はとりわけそれが顕著で、「アナザーラウンド」のトマス・ヴィンターベア監督のパーソナルなスピーチくらいしか記憶に残るものがなかった。もちろん、何を言うかは受賞者次第ではあるが、せめてアカデミーから「実名を挙げるのは2人まで」などと決めてもらえないものかと思う。

 受賞スピーチに関しては、政治的なことを言わせるなという意見も以前から聞かれてきた。金も名声もあって何不自由ないセレブが、あたかも一般人の苦労がわかるかのように偉そうなことを語るのはうんざりだというのである。だが、トランプがホワイトハウスを去ってから、政治的なスピーチは自然に減ってきた。それに、名前をつらつら挙げるよりはましだ。

一般人は、だいぶ前からオスカーに興味を失っている

 しかし、一番の問題はやはり、オスカー自体への興味が薄れているという事実にあるだろう。そもそも、オスカーにかぎらず、授賞式番組はここのところどれも視聴率が低下している。それらの賞がもつ影響力も、以前ほどではない。アワードにノミネートされる、あるいは受賞する利点は、それによって見る人が増えるということがあったが、今年はオスカーノミネーションが発表された後も、候補入りした作品の売り上げは目立って伸びていない。一方で、Netflixの「イカゲーム」は、タイミング的に昨年のエミー賞授賞式に入れなかったにもかかわらず、記録的なヒットとなった。

「(何をやっても)一般人は気にしないよ。もうずいぶん前に、どうでもいいと思うようになっているから」と、ある人はツイートする。そこには、悲しい真実がある。アカデミーが考え出す愚策に怒っているのは、何があっても授賞式を見る人たちだけ。呼び寄せたい人々は、どうとも思っていない。つまり、「そこじゃない」のだ。では、どこなのか。オスカーに興味のない人たちに見てもらえる方法は、果たしてあるのか。アカデミーは、その難しい答を模索し続ける。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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