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次女がソロ歌手デビュー。デミ・ムーアとブルース・ウィリス、愛と別れを経たふたりの今

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
デミ・ムーアとブルース・ウィリス(1990年)(写真:Shutterstock/アフロ)

 デミ・ムーア(58)が、母の誇りと喜びを噛みしめている。次女スカウトが、ソロシンガーとして初のシングルをリリースしたのだ。

 タイトルは「Love Without Obsession」。スカウト自身のインスタグラムによれば、心が大きく傷ついていた5年前にこの歌を書いたとのこと。自分のそんな脆い部分をさらけだすことで、同じような気持ちでいる人たちの力になれればと、昨年、この曲をレコーディングしたのだという。デミは、「あなたのことをとても誇りに思っています。あなた(の成長)を見届けることができて光栄です。人々があなたを知ってくれることを嬉しく思います。私の天使よ、おめでとう。あなたのことを心から愛しています」というメッセージと共に、この歌のミュージックビデオをインスタグラムでシェアした。

 スカウトの父は、デミの2番目の夫ブルース・ウィリス(66)。この元夫婦の間には、ほかに長女ルーマー、三女タルーラがいる。離婚後、デミはアシュトン・カッチャーと再婚して離婚、ブルースはモデルのエマ・ヘミングと再婚して新たにふたりの娘をもうけたが、この元家族はずっと仲良くつきあいを続けてきた。パンデミックの間にも、みんなで同じパジャマを着て一緒にロックダウンを楽しむ様子がタルーラのインスタグラムで公開されている。

 世界を魅了するスーパースターカップルはいつの時代にも存在するものだが、80年代後半から90年代後半にかけて、このふたりはまさに世紀のカップルだった。ふたりが恋に落ちたのは、ブルースが最初の「ダイ・ハード」(1988)、デミが「ゴースト/ニューヨークの幻」(1990)に主演する前の1987年。出会いの場は、エミリオ・エステヴェスが出演する映画「張り込み」のプレミアだ。デミとエミリオは、その2ヶ月前に婚約解消したばかりだったのだが、友人としての付き合いを続けていたことから、デミは彼に同伴して出席したのである。ブルースは、24歳だった美しいデミに目を付け、アフターパーティでも積極的にアピールをしてきた。帰り際に電話番号を聞き出すと、ブルースはそれをペンで腕に書き込み、翌朝、早速彼女に連絡をしている。

 そこからふたりは離れられない関係になった。デミはちょうど「第七の予言」(1988)を撮り終えたところ、ブルースはテレビドラマ「こちらブルームーン探偵社」(1985-1989)の撮影の合間で、一緒に過ごせる時間がたっぷりあったのだ。「ダイ・ハード」の撮影が始まるとデミは現場を訪れたし、撮影中の週末にはラスベガスに旅行に出かけた。その旅で、ブルースは「結婚しようよ」と言ってきたのである。デミは一瞬、なんと答えていいかわからなかったが、ブルースが「そうしようよ。ねえ、そうしよう」と言い続けるので、「いいわ。結婚しましょう」と言った。長女ルーマーは、ふたりが夫婦となったその夜、ラスベガスのホテルで授かったのだと、デミは自伝「Inside Out」に書いている。

長女の出産後、最初の危機と不安が訪れる

 子供を望んでいたブルースは、この早い展開を大歓迎した。しかし、不安はすぐに訪れる。出産後、デミに「俺たちは天使じゃない」(1989)への出演オファーがかかると、ブルースは冷たい表情で「これじゃうまくいくわけがない」と言ったのだ。子供の母親であるデミが映画のロケであちこちに行くようでは、家族としての生活が成り立たないと、彼は言いたかったのである。子供を持った後、仕事とのバランスをどう取っていくのかをそれまできちんと話してこなかったことに気づいたデミは、とまどいながらも「うまくいくようにしましょう」と言い、出演オファーを受けることにした。

 しかし、ブルースの中で不満は高まり続け、「ハドソン・ホーク」(1991)のヨーロッパロケに行くに当たっては、「結婚を続けたいのかどうかわからない」と言い捨てて家を出た。かと言って愛が冷めていたかというとそうでもなく、アメリカに帰ってきて初めてのセックスで、ふたりは次女スカウトを授かっている。この妊娠をブルースがとても喜んだことで、デミはますます自分たちが夫婦としてどんなところにいるのかわからなくなった。

 スカウトが生まれた2年半後には、タルーラが誕生。だが、デミのボディに関する異常なまでのセルフコンシャスは、この頃、すでに始まっていた。出産後に控えていた「ア・フュー・グッドメン」(1992)のため、スカウトを妊娠している間にも激しい運動をし、できるだけ太らないようにしていたことが影響し、新生児のスカウトはなかなか体重が増えず、医師に処方された特別の飲み物を飲ませることになる。続く「幸福の条件」(1993)ではセックスシーンに備えてさらに痩せた結果、エイドリアン・ライン監督に「俺は男を雇ったんじゃない」と怒られるはめに。ストリッパーを演じる「素顔のままで」(1996)でもスリムでいることを強烈に意識し、女性将校を演じた「G.I. ジェーン」(1997)では筋肉を増やしてマスキュランな体を目指した挙句、びっくりするほど首が太くなった。「あの体をブルースはよく思わなかったと思う」と、デミは、自伝の中で書いている。

 その頃までに、デミとブルースは、子供たちについて業務的なことをやりとりするだけの関係になっていた。別れ話が出たのは、子供の頃からデミを苦しめ続けた実の母がいよいよ危なくなった1998年だ。ブルースは3人の幼い娘を連れて母を看病するデミの元を訪れ、彼女を支えてくれたのだが、そんな中でも夫妻は、これがすべて落ち着いたら、少しずつその方に向かって進めていこうと同意をしていた。しかし、それが、どこからかその話がゴシップ紙にリークしてしまったのだ。毒親とは言え肉親を失い、混乱した気持ちを抱えていたデミは、幼い娘たちにきちんと自分の言葉で説明する機会も与えられないまま、最もプライベートな話を世間に暴露されてしまったのである。

お互いの再婚を祝福し、支え合う

 夫妻の離婚が成立したのは、2000年。あいかわらず売れっ子だったデミは、子育てに専念すべくアイダホに引きこもることを決め、半引退状態になった。だが、そんな中でも15歳下のアシュトン・カッチャーに出会い、2005年、デミは3度目の結婚をする。ブルースは彼女の再婚を祝福し、3人の娘たちも、アシュトンのことを「もうひとりのパパ」と呼んで慕った。しかし、デミの依存症が再発したことや、不妊治療をしたにもかかわらず子供ができなかったこと(一度、流産も経験した)、挙句にアシュトンの不貞などが重なって、6年後に破局。過去2回の離婚と違い、デミはアシュトンに元配偶者サポートや弁護士費用などを要求し、折り合いをつけるのに時間がかかったことから、離婚は2013年になってようやく成立した。

デミ・ムーア、彼女の娘たち、アシュトン・カッチャー(2003年)
デミ・ムーア、彼女の娘たち、アシュトン・カッチャー(2003年)写真: ロイター/アフロ

 子供がいないこともあり、デミとアシュトンの間に、その後、交流はないようだ。一方で、20年以上前に別れたブルースや、彼の現在の妻エマとは、絆をますます強めている。2019年、結婚10周年を迎えたブルースとエマが誓いを改める儀式をした時にはデミも出席したし、今年3月の国際女性デーに、デミはエマを讃えるメッセージをインスタグラムに投稿した。その中で、デミは、エマと自分は「姉妹であり、友達」で、ルーマー、スカウト、タルーラと、エマとブルースの間に生まれたふたりの女の子はみんな姉妹だと述べている。

「私たちは、母同士、姉妹同士として、人生というクレイジーなアドベンチャーを乗り越えるのです」と、デミ。そのふたりの母をつなぎ、結束させたのは、ブルースだ。エマのブルースに対する愛と、今のデミが彼に対して抱く愛は、同じではない。それでも、愛は愛。若かったあの夜、L.A.のプレミアで出会ったふたりは、多くの幸せと悲しみを乗り越え、今なお、お互いのためにここにいるのである。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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