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最初のスタジオは却下、一度も首位を取らず。名作「フィールド・オブ・ドリームス」の意外な裏話

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
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 北米公開から32年、「フィールド・オブ・ドリームス」が、今また人々の胸を熱くしている。アメリカ時間12日、映画のロケ地アイオワ州の球場で、ホワイトソックスとヤンキースの試合が行われるのだ。この試合には、両チームとも、この日のために用意された特別のレトロなユニフォームを着て挑む。メジャーリーグの試合がアイオワ州で行われるのは史上初めてのこと。本来ならば昨年開催されるはずだったのだが、コロナのために中止になり、1年待った末の実現だ。

 日本にも多くのファンを持つ映画「フィールド・オブ・ドリームス」は、アイオワ州に住む男性レイ・キンセラ(ケビン・コスナー)が、ある声を聞き、農地に球場を作るという物語。夜になると選手らがやってきてプレイをするのだが、なぜかそんな彼らの姿がまったく見えない人もいる。野球愛に満ち、父と息子の感動の物語でもある今作は、1990年のオスカーに、作品、脚色、作曲の3部門で候補入り。2017年には、国立フィルム保存委員会により、アメリカ国立フィルム登記簿に加えられた。

 だが、この映画、実はかなり苦労をして作られているのである。W.P.・キンセラが書いた小説「Shoeless Joe」の映画化権を買ったパラマウントは、フィル・アルデン・ロビンソンを雇って脚本を書かせるも、実はそれほどやる気がなく、脚本が完成すると「今、うちではこういう小規模な映画を作るつもりはない」と却下した。このストーリーに強い思い入れを持つようになっていたロビンソンはショックを受け、パラマウントの許可をもらって、ほかのスタジオに売り込む。その結果、ユニバーサルが受け入れてくれたのだが、監督も自分でやりたいと主張したロビンソンは、ギャラを値切られることになる。

 また、ストーリーをめぐっての闘いもあった。レイと父のラストシーンを気に入ったスタジオは、ここだけにするのはもったいないと、父をもっと早く出してきて、レイと一緒にドライブさせようと主張したのだ。そんなスタジオを、ロビンソンは、「最後にサプライズとして出てくるからこそ感動するのだ」と、なんとか説き伏せた。さらに、原作に登場する実在の作家J・D・サリンジャーは、スタジオの主張で、架空の作家テレンス・マン(ジェームズ・アール・ジョーンズ)に書き替えられている。サリンジャーに訴訟されることをスタジオが恐れたからで、そのことについて原作者キンセラは「臆病者」と批判している。

 そんな中で、コスナーは、この映画の可能性を早くから見抜いていた。「さよならゲーム」に出たばかりだし、続けて野球の映画には出てくれないだろうとロビンソンらは思っていたのだが、コスナーは今作が「僕たちの世代の『素晴らしき哉、人生!』になりえる」と見たのである。原作者キンセラは、コスナーのことをまるで知らなかったが、「追いつめられて」を見て、このキャスティングに賛成したという。

 撮影スケジュールは、売れっ子のコスナーに合わせ、8月には彼が次の映画「リベンジ」に入れるよう、1988年の5月末に開始した。トウモロコシが十分育つのを待つため、まず屋内のシーンからスタートしている。この夏のアイオワは雨が少なく、トウモロコシに水をやるのに苦労したが、最終的に育ちすぎてしまい、コスナーより背が高くならないように、コスナーが歩くところには台が設置されることになった。ロケはボストンのフェンウェイ・パークでも行われたが、その現場には、当時無名だったマット・デイモンとベン・アフレックがエキストラとして参加している。残念ながら、映画に彼らは映っていない。やはり映画には映っていないものの、PTAミーティングのシーンには原作者キンセラがエキストラ出演していたそうだ。

 タイトルをめぐっては、ひと悶着あった。製作中の仮タイトルは、原作と同じ「Shoeless Joe」。ロビンソンは正式タイトルもこのままで行きたかったのだが、「ホームレスについての映画かと誤解される」と、スタジオは「フィールド・オブ・ドリームス」を提案してきたのだ。意外にも、原作者キンセラは、この新しいタイトルに賛成している。実は、彼がつけていたもともとの原作小説のタイトルは「The Dream Field」だったのだ。「Shoeless Joe」は、編集者が選んだタイトルなのである。そう知ったロビンソンは納得し、映画のタイトルは「フィールド・オブ・ドリームス」で収まった。

 そうしてついに、1989年4月21日、ごくひと握りの劇場で超限定公開されることになった。評判は上々で、クチコミが広まるにつれ、全米各地に少しずつ劇場が追加されていき、夏になる頃には大型娯楽映画と肩を並べて上映されるまでになる。人気はその後も続き、その年の末になってもまだ劇場にかかっていた。最終的な北米興行成績は、6,440万ドル。製作予算は1,500万ドルなので、立派なヒットだ。しかし、公開直後の上映館数が少なかったこともあって、このロングランの間、ランキングで1位を獲得したことは一度もない。日本公開は、翌1990年3月3日。それに先立ち、前年秋の東京国際映画祭で上映されている。北米外のトータル興行成績は2,000万ドル。ヨーロッパなど野球に人気がない国で野球の映画は当たらないことを考えれば、健闘したと言える。

2019年のコスナーと妻
2019年のコスナーと妻写真:ロイター/アフロ

 ところで、原作のタイトルにもなり、重要なキャラクターである“靴を履かないジョー”を名演したレイ・リオッタは、今に至るまで、完成作を一度も見ていない。北米公開当時34歳だった彼にとっては最初のブレイクにも当たる作品であるだけに、かなり意外だ。撮影当時、彼の母が重い病気を患っており、辛い思い出があるのが理由とのことである。この映画の後、彼は、「グッドフェローズ」、「ブロウ」、「NARC ナーク」など、主にダークな犯罪映画で活躍していく。また、この映画は、バート・ランカスターの最後の出演作である。長いキャリアを誇ったランカスターは、1994年、心臓発作でこの世を去った。

 コスナーはこの後、監督と主演を兼ねた「ダンス・ウィズ・ウルヴス」、オリバー・ストーン監督の「JFK」、ホイットニー・ヒューストンと共演した「ボディガード」などに立て続けに出演し、キャリアの黄金時代を楽しんでいくことになる。「ダンス・ウィズ・ウルヴス」ではオスカー監督賞を受賞、主演男優部門にもノミネートされた。近年も、DCコミック映画「マン・オブ・スティール」から感動作「ドリーム」まで、幅広いジャンルで活躍を続けている。最近の主演作は、現在日本公開中の「すべてが変わった日」。一方、ロビンソンは、「スニーカーズ」、「トータル・フィアーズ」、「余命90分の男」などを監督した。最近では、テレビドラマ「The Good Fight/ザ・グッド・ファイト」の企画製作を手がけている。

 それだけの年月が流れたわけだが、この映画が与えてくれる感動は、今も変わらない。「If you build it, he will come」(君がそれを作れば、彼は来る)は、映画史に残る名セリフのひとつとして人々の心に刻まれている。今週、あのフィールドにホワイトソックスとヤンキースの選手が足を踏み入れるのを見た時、多くの人の中でその言葉がこだまするに違いない。夢は、ついに現実になろうとしているのだ。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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