Yahoo!ニュース

クリストファー・プラマーが死去。「90歳になってもまだ仕事をしていたい」と語った永遠の現役

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
「ナイヴズ・アウト」のプラマー(Photo by Claire Folger)

 オスカー俳優クリストファー・プラマーが亡くなった。コネチカット州の自宅で、妻に看取られつつ、静かに息を引き取ったという。享年91歳。現在製作中のアニメ映画「Heroes of the Golden Masks」への声の出演が、最後の仕事となった。ライブアクションでは、2020年1月に日本公開された殺人ミステリー映画「ナイヴズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密」と、今年3月に日本公開を控える「ラスト・フル・メジャー 知られざる英雄の真実」が最後だったことになる。90歳になっても、お元気で仕事を続けられていたということ。2015年秋、トロント映画祭で筆者がインタビューした時も、当時85歳だったプラマーは、それこそ自分の願いだと語っていた。

「ありがたいことに、私はまだ仕事をもらえている。この後も、ふたつかみっつ決まっているんだ。90歳になっても、まだ仕事をさせてもらえていたら素敵だね。仕事のおかげで若さを保てるんだよ。セリフを覚える必要があるから、脳のエクササイズになるのさ。この後も、物忘れがひどくならないまま生きていけることを願うね」。

 1929年、カナダのトロント生まれ。母方の曾祖父は第3代カナダ首相のジョン・アボット。生まれてまもなく両親が離婚し、母のほうに引き取られてケベック州で育ったため、英語とフランス語のバイリンガルである。演技の魅力にはまったのは、モントリオール高校在学中。高校の劇で「高慢と偏見」のダーシーを演じたのが舞台批評家兼アマチュア演出家の目に留まり、舞台デビューへとつながった。

 1953年には、カナダとアメリカの両方でテレビデビュー。同じ年にブロードウェイデビューも果たしたが、そのお芝居は初日に終わってしまう。だが、その後、ブロードウェイとロンドンで数多くの舞台作品に出演し、トニー賞にも7回ノミネートされ、そのうち2回受賞している。

 映画デビューはシドニー・ルメット監督の「女優志願」(1958)。1965年には「サウンド・オブ・ミュージック」にフォン・トラップ大佐役で出演。この映画は世界中で大ヒットし、プラマーの知名度を一気に引き上げることになった。今作は評価も高く、作品賞を含む5部門でオスカーを受賞したが、プラマーは気に入っておらず、「Sound of Mucous」(粘液の音)と揶揄したこともある。2011年の「The Hollywood Reporter」へのインタビューでも、「あの映画はネバネバして感傷的でひどい。少しだけでもユーモアを入れるために一生懸命努力しなければいけなかった」と語った。しかし、ジュリー・アンドリュースとは強い友情を築き、それはあの映画から得られた素敵なことだったとも述べている。

40代になってますます仕事が楽しくなった

 それからはコンスタントに映画に出演をするが、映画の仕事が本気で楽しくなったのは、40代になってから出演した1975年の「王になろうとした男」からだったと、プラマーは筆者とのインタビューで語っている。

「私はラッキーなことに、60年代、若い主役を演じさせてもらった。あの時代にもいくつか良い映画はあったが、私もいくつか出たような当時の叙情詩的映画は、テンポがスローでだらだらしているんだ。今見てみたら、余計にそう感じるよ。60年代は、製作費なんて気にしていなかったから、2時間半くらいランチして、酔っ払って続きを撮影したりしたんだ。ひどいものだったよ(笑)。40歳を過ぎた頃からは個性派俳優になることができ、幅広いキャラクターを演じられるようになった。『王になろうとした男』(1975)が、その始まりだったと思う。あの時に、人は、私には演技ができるんだと気付いてくれたようだ。それから先は、仕事がどんどん楽しくなったよ。『インサイダー』(1999)のマイク・ウォレスを演じるのも楽しかったね。あれは、良い映画になった。あの映画の後、僕の元には、以前より多く質の高い脚本が回ってくるようになったんだよ。そして、83歳にしてようやく賞をもらったら、さらに状況は良くなった」。

 83歳でもらった賞とは、「人生はビギナーズ」(2010)で獲得したオスカー助演男優賞のことだ。このほかにも、プラマーは、「終着駅 トルストイ最後の旅」(2009)と、「ゲティ家の身代金」(2017)でノミネートされている。「ゲティ家の身代金」で演じた役は、もともとケビン・スペイシーで撮影されていたものだ。だが、公開が数週間先に迫ったところでスペイシーの過去のセクハラが暴露され、急遽、リドリー・スコット監督は、プラマーで撮り直しをすると決めたのである。準備の時間は1、2日しかなく、「ちゃんとセリフが覚えられるのか」と自分でも不安だったというが、さすがプロである彼は、見事にそれをこなしてみせた。その他の最近の出演作には、「ナショナル・トレジャー」(2004)、「シリアナ」(2005)、「インサイド・マン」(2006)、「ドラゴン・タトゥーの女」(2011)、「トレヴィの泉で二度目の恋を」(2014)、「手紙は憶えている」(2015)などがある。

 同じくカナダ人であるアトム・エゴヤンが監督する「手紙は憶えている」では、認知症に苦しむ高齢男性を演じた。プラマー自身が頭も体もお元気なので、そのためのリサーチをしたのかと聞くと、「いや、していない。その気持ちはわかるから」と言い、ずっと昔、舞台の上で起こった出来事を語ってくれている。

「それは、何度も演じてきた役だった。そういうのこそ注意しないといけない。私は自信を持ちすぎていたのだろうね。その日は、なぜか突然にして、自分が何を演じているのかわからなくなったんだ。舞台裏から次のせりふを教えてくれる人がいたが、『何を叫んでいるんだろう』と思ったよ。何かに取り憑かれたみたいになってしまったんだ。体が麻痺したとでもいうか。それも、気持ちいい感じで麻痺した。心地よかったんだ。だからもっと怖いんだが。ありがたいことに、すぐ元に戻った。観客は何も気づかなかったみたいだ。つまり、認知症のリサーチはまるでしなかったんだよ。どうしようもない状態でありながら、自分に『大丈夫』と言い聞かせて生きていくんだ」。

 自分が元気に年齢を重ねていけたのには、3度目の妻エレイン・テイラーのおかげも大きいと、その時、プラマーは語っている。

「妻は料理がとても上手で、バランスのとれた食事を作ってくれる。私たちは(2015年時点で)45年も結婚してきたから、それだけ長いこと、健康な食事を食べさせてもらってきているんだよ。それに、今もテニスをするし、ジムにも行く。ウォーキングもする。そういう退屈なことをたくさんしているよ」。

「純粋に楽しい」と感じる舞台の仕事も続けてきたことも、若さを保つのに役立っているのかもしれないとも、プラマーは言っていた。そうやって健康に気をつけ、情熱を持って仕事に挑んでいただいたおかげで、私たちは、たくさんのすばらしい作品を見ることができたのだ。そのお姿をもう見られないのは、とても悲しい。これまで本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りします。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

猿渡由紀の最近の記事