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故モリコーネとタランティーノ、愛と嫌悪の奇妙な関係

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
エンニオ・モリコーネとクエンティン・タランティーノ(写真:REX/アフロ)

 映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネが、91歳で亡くなった。「死刑台のメロディ」「エーゲ海に捧ぐ」「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」「ミッション」「アンタッチャブル」「ニュー・シネマ・パラダイス」「バグジー」など、500本以上の映画で心に残る名曲を書いてきた彼は、究極の映画オタク、クエンティン・タランティーノのアイドルだった。事実、それまでも5度オスカーに候補入りをし、功労賞も受け取っていたモリコーネがついに念願の作曲賞受賞を果たしたのは、タランティーノの「ヘイトフル・エイト」なのである。

 この受賞はいくつかの意味で特別だった。ひとつには、モリコーネがこの部門で史上最年長の受賞者だったこと。もうひとつは、通常、自分の映画にオリジナルの楽曲を使わないタランティーノが、キャリアで初めて作曲家を雇い、新曲を書いてもらった作品であることだ。

 だが、実現までの過程は、長く、険しかった。タランティーノは過去に何度もモリコーネがほかの人のために書いた曲を使用しており、「ジャンゴ 繋がれざる者」にもエリサが歌う「Ancora Qui」などを提供してもらっている。しかし、モリコーネは必ずしも自分の曲の使われ方を気に入っていなかったようで、84歳だった2013年、ローマの大学で、学生たちを前に、タランティーノをバッシングしている。この時、彼は、「イングロリアス・バスターズ」でタランティーノから声がかかったこと、「ジャンゴ〜」で再び話したことについて、こう述べた。

「彼とは、どんな作品でも、もう二度と仕事をしたくないね。彼は去年、『イングロリアス〜』以後初めて、一緒に仕事をしたいとまた言ってきたんだが、私は『無理だ』と言った。彼は私に十分な時間をくれないから。それで彼は、私がすでに書いていた歌を使ったんだよ」。彼は続けて、その使われ方や、映画自体についても、「彼は一貫性なくバラバラに音楽を配置する。そういう人と仕事はできない。正直言って、あの映画も嫌いだった。血が多すぎる」と、厳しく叩いている。

脚本を全部イタリア語に訳すことが第一歩

 にもかかわらず、2015年の「ヘイトフル・エイト」で、彼はタランティーノのために曲を書き下ろしてあげている。「ヘイトフル・エイト」の北米公開時、タランティーノは、筆者とのインタビューで、「お互いが最初の一歩を踏み出したおかげ」と語った。

「僕らは一緒に仕事をしてみたいと、ずっと前から感じていた。『イングロリアス〜』で一度その機会が持ち上がったが、僕らは第一歩を踏み出さなかった。『ジャンゴ〜』でも同じ。今作で、僕は、まず脚本を全部イタリア語に訳すという最初のステップを取った。彼はそれを読んでくれて、彼の奥さんも読んだ。そしてふたりとも気に入ってくれたんだよ。とくに奥さんのほうがすごく気に入ってくれたらしい。それが大きかったんだよね」。

 たしかに、モリコーネは愛妻家で、死ぬ間際に書いた手紙でも、妻に「最も辛いさようならを言います。あなたへの強烈な愛と、私たちを結ぶ絆を、今、あらためて感じています。先に逝くことになってごめんなさい」と書いている。もし、彼女が「これはやめたほうがいい」と言っていたなら、「ヘイトフル・エイト」の仕事も、そこまでだっただろう。

 それでもモリコーネにはまだ疑問があったらしく、作業を開始する前、タランティーノに「君は本当に作曲家を使いたいのかい?これまではそうしてこなかったじゃないか。なぜ今になってわざわざ変えるんだ?」と聞いてきたという。それに対し、タランティーノは、「たしかに、今までは作曲家を使いませんでした。でも、今作については、『これはオリジナルの曲を与えてあげるべき作品だ』というささやきが聞こえたんですよ。そんな声を聞いたのは、初めてなんです」と答えた。その会話で、モリコーネは「やる」という約束をしてくれなかったのだが、タランティーノによれば、「いざ腰を落ち着けてみると、彼の頭にアイデアがどんどん浮かんできたらしく、映画全部のための曲を書いてくれることになった」のだそうである。

ドイツの雑誌でタランティーノを「大バカ者」扱い

 だが、その3年後、新たな騒ぎが起こった。2018年、ドイツ版「プレイボーイ」誌で、モリコーネがタランティーノを「大バカ者」と呼んだのである。

「奴はあちこちから盗んで組み合わせるだけ。オリジナルなものは何もない。監督とも呼べないね。ジョン・ヒューストン、アルフレッド・ヒッチコック、ビリー・ワイルダーといった、ハリウッドの偉大な監督と並べるべきではないよ。彼らはすばらしかったが、タランティーノは古いものを料理し直しているだけだ」と、そのインタビュー記事で、モリコーネは語っている。さらに、「突然電話をしてきて、数日のうちに音楽を完成させろというんだ。そんなの無理だよ。こっちの気が狂う」とも述べた。

 その記事が話題を集めると、モリコーネは、「自分はそんなことを言っていない」と「プレイボーイ」誌を強く攻撃。「タランティーノは優れた映画監督です。私は彼とのコラボレーションを楽しみましたし、その過程ですばらしい絆を築きました。タランティーノのおかげで私はオスカーを受賞することができたのです。彼の映画のために曲を書く機会を得られたことに、生涯、感謝の気持ちを忘れないでしょう」と、声明を発表した。声明の最後では、ロンドンでの記者会見でも自分は彼のことを褒めたではないかとも言っている。

「プレイボーイ」は、当初こそ、自分たちの記事の正当性を主張したものの、後に「コメントの一部で言葉が誤用されたようです」と認め、サイトから記事を削除した。記事を書いたフリーランスの記者については、「紙媒体やラジオで活躍してきた人物で、疑う理由はありませんでした」と説明。「しかし、今の状況を見て、残念ながら言葉の一部が間違って再現されてしまったと感じています」と謝罪をしている。

 それでもすっきりしないものが残る。雑誌側が「コメントが不正確に再現されてしまった」と言うのに対し、モリコーネは「このインタビュー自体がなかった」と言っているのだ。雑誌は、インタビューがローマのモリコーネの自宅で行われたとまで述べている。「プレイボーイ」のようなメジャーな雑誌で、そこまで捏造するということが可能だろうか。

 モリコーネは訴訟も辞さないかまえだったが、「プレイボーイ」がそのように折れたことから、そこには至らなかった。その結果、新たな情報が出てくることもないままである。だが、真相がどうあれ、彼はタランティーノのためにすばらしい曲を書き、彼はそれでオスカーを手にした。それは、タランティーノだけでなく、映画ファンをも幸せな気分にしてくれた。その事実は変わらない。天才と天才の間で何かの衝突があったにしても、そこから新たな名曲が生まれたのだ。これらの曲を含め、優れた曲の数々を残してくれたモリコーネに、あらためて感謝したい。

 ご冥福をお祈りします。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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