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ラッセル・シモンズのレイプ被害者が語る、黒人女性が名乗り出られない事情

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
過去のセクハラが暴露されたラッセル・シモンズ(左)とブレット・ラトナー(写真:ロイター/アフロ)

「#MeToo」が勃発した時に名乗り出たのがそこそこ成功している白人女性ばかりだったのは、偶然ではない。アメリカはいつも、誰の声を聞きたいのかを選ぶのだからーー。

 黒人女性らによるそんな衝撃的な言葉で、「On the Record」は始まる。1月のサンダンス映画祭でお披露目され、先週、ストリーミングサービスHBO Maxでアメリカ配信がスタートしたこのドキュメンタリー映画は、ヒップホップ界の大物ラッセル・シモンズの長年にわたるセクハラやレイプを語るものだ。

 登場する主な被害者は3人。中でも、シモンズのレーベル、デフ・ジャムで、レコードエグゼクティブとして大活躍したドリュー・ディクソンに、最も大きな焦点が当たる。体を触る、キスをしようとするなどから始まったセクハラがエスカレートし、ついにはレイプをされたディクソンは、その後、転職をするも、そこでもまたセクハラに遭った。豊かな才能に恵まれた彼女のキャリアは、これらの男たちによって潰されてしまったのである。

 その辛い経験を、彼女は、ずっと内に秘めてきた。2017年10月、「New York Times」と「New Yorker」が立て続けにハーベイ・ワインスタインのセクハラを暴露し、世間を騒然とさせた時も、「これは黒人女性には当てはまらない。自分は関係ない」と思ったそうである。しかし、彼女は、それからまもなく、「New York Times」に対して、自分の体験を打ち明けることを決めた。「#MeToo」加害者が続々と暴かれる中、ブレット・ラトナーも槍玉に上がり、彼と親しかったシモンズの名も芋づる式に浮上してきたからだ。シモンズが身の潔白を主張するのを見て、彼女の中で大きな怒りが沸き起こったのである。

ラッセル・シモンズのデフ・ジャムでレコードエグゼクティブとして活躍したドリュー・ディクソン。辛い過去を「On the Record」で語る(Martyna Starosta/HBO)
ラッセル・シモンズのデフ・ジャムでレコードエグゼクティブとして活躍したドリュー・ディクソン。辛い過去を「On the Record」で語る(Martyna Starosta/HBO)

 ディクソンはまた、黒人女性が黒人男性を性的被害で訴えた場合、女性側が非難されてきたことも、沈黙を続けた理由に挙げている。1991年、マイク・タイソンからレイプをされたと名乗り出た当時18歳のミスコンテスト受賞者は、その良い例だ。タイソンという黒人の成功者が犯罪者扱いされた時、黒人コミュニティがどう反応したかを覚えているディクソンは、「ラッセル・シモンズも大物。自分も同じ目に遭うのは目に見えている。私は、黒人コミュニティに嫌われて終わりだ」と思ったのだという。

 映画では、その心理について、ほかの黒人女性たちもコメントをしている。ジャーナリストのビム・アデューンミは、黒人は仲間を世間から批判される立場に置きたくないのだと述べた。フェミニストでカルチャー批評家のジョーン・モーガン博士も、アメリカでは司法がずっと黒人に対して不公平だっただけに、人種への忠誠心を大事にするのだと指摘する。「Miseducation: A Woman’s Guide to Hip Hop」の著者であるシャニータ・ハバードも、「アメリカは黒人男性をひどい目に遭わせてきた。だから私たちは彼らを守らないといけないと感じる」と語った。折しも、今、アメリカでは、ミネアポリスでジョージ・フロイドという名の黒人男性が白人警察によって殺されたことをきっかけに、全国規模の抗議デモが起こっている。それだけに、彼女らの言葉は、なおさら重みをもつ。

製作の裏側でも、同じ葛藤があったのか

 そういった内情は、白人の監督コンビ、カービー・ディックとエイミー・ジーリングにとっても、新たな発見だった。その視点が斬新だったからこそ、職場のセクハラについてという漠然とした形で始まったプロジェクトは、このように形を成していくことになったのだと、フィルム・インディペンデント主催のヴァーチャル会見で、ふたりは明かしている。

 ふたりがディクソンの話を聞いたのは、彼女がまだ「New York Times」に自らの体験を話すかどうか迷っている頃。その段階でカメラを回し始めたおかげで、ふたりは、彼女がついに決意をし、「New York Times」のビルに入っていくところをとらえることができている。ふたりはまた、やはりシモンズの被害者であるシェリー・ハインズとシル・ライ・エイブラムスからも話を聞き、3人が初対面する場面もおさえることができた。

 その後、ふたりは、強力な黒人のパートナーも得ることにもなる。これらの女性たちの告白映像をオプラ・ウィンフリーに見せたところ、今作のエグゼクティブ・プロデューサーを務めてくれることになったのだ。彼女が製作契約を結ぶApple TV+で配信される話もあっという間にまとまり、ドキュメンタリーという地味なジャンルであるにもかかわらず、今作のタイトルは、あちこちのメディアで取り上げられることになった。

 だが、そこから状況は一転する。実は今作がシモンズについてのものであることがわかり始めると、シモンズ本人や関係者が、ウィンフリーや、この映画に登場する女性たちへのバッシングを始めたのである。そしてついに、ウィンフリーは、サンダンス映画祭での上映直前に、エグゼクティブ・プロデューサーを降板してしまった。それに伴い、Apple TV+とのディールも白紙になる。

「On the Record」は、当初、劇場公開も視野に入れていたが、新型コロナの影響で、HBO Maxでの配信のみになった(HBO)
「On the Record」は、当初、劇場公開も視野に入れていたが、新型コロナの影響で、HBO Maxでの配信のみになった(HBO)

 この展開について、ディックは、「まったくの驚きだった。オプラには編集の間にもずっと映画を見せ続けていて、気に入ってもらっていたのに」と語っている。降板を決める前、ウィンフリーは、サンダンスでの上映をやめようとふたりを説得したそうだが、ジーリングは「サンダンスに出すと発表した後にキャンセルするなんて、せっかく名乗り出てくれた人たちのためにも、絶対にできなかった」と明かす。

 ウィンフリー側の答は、曖昧だ。表向きは「監督コンビとのクリエイティブ面での意見の食い違い」を挙げるが、それが本当の理由でないことは、ディックとジーリングの言葉からも明らかである。そうすると、やはりシモンズからの圧力だと考えるのが妥当だろう。

「New York Times」に対し、ウィンフリーは、シモンズから何度も連絡があったことを認めている。そんな彼に対し、はっきりと「この映画を公開するか、やめるかを決めるのは私自身。あなたからのプレッシャーには負けないと、本人に電話で言った」と彼女は言うが、一方で、彼女の周囲は、彼女が相当に板挟みになっていたと打ち明けている。ウィンフリーがそう感じたのは、自身も幼い頃に性暴力の被害を受けたことを公にしてきたからだ。

 これまで彼女は、声を上げる人たちを支え続ける「#MeToo」のリーダー的存在のひとりだった。それだけに、この顛末には、多くの女性が失望を感じたのである。この映画に出てくる女性たち同様、ウィンフリーにとっても、成功した黒人男性を公で責めることには困難だったということなのだろう。そして、残念なことに、彼女はそれを乗り越えられなかったのだ。

 だが、彼女がいなくても、この映画は無事にアメリカ配信にたどりついた。そして今、見た人から大絶賛を受けている。邪魔をしようとしても、真実はいつか必ず伝わるもの。それは、どんな手を使っても、変えられない。バリに移住したことで裁判からはとりあえず逃げたシモンズも、海を越えて追ってくる被害者の亡霊だけは、押しやろうとしても、そうはいかないのだ。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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