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映画、ドラマ撮影のコロナ対策にカップル俳優起用は有効か?

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
ブラピ夫婦が夫婦を演じた「白い帽子の女」(Universal Pictures)

 新型コロナでストップしている映画、テレビドラマの撮影が、世界中で再開に向けて動き出した。感染者を出さない撮影環境を作るため、現在、さまざまな国や団体が、ガイドラインの作成に挑んでいる。毎日体温チェックをする、ソーシャル・ディスタンシングを守る、マスク着用を義務付ける、などは、共通の項目。ただ、ラブシーンをどうするかについては、まだみんなが頭を抱えているところだ。

 一番手っ取り早いのは、その手のシーンを削除すること。だが、そうはいかない場合、日本テレビは、役者本人同士の了承を取った上で、「一発撮り」で行う方向だそうである。これは決して容易ではないだろう。普通の状況ならば何度もリハーサルをすればいいが、それをやったら本末転倒になってしまう。

 一方、今やハリウッド映画の撮影メッカとなったジョージア州のフィルムオフィスは、先週発表した提案書の中に、同じ家に住む俳優を起用する案を盛り込んだ。たしかに、私生活で夫婦や恋人同士であるならば、そのシーンのせいで相手を感染させる心配はなく、納得ではある。ハリウッドには俳優カップルがたくさんいるし、これならば、一発どころか何度やっても問題はない。

 だが、これはあくまで彼らの提案だ。映画俳優組合も反対はしないだろうが、実際のところ、これを意識してキャスティングが行われる可能性は、かなり低いと思われる。

観客をしらけさせてきた、私生活夫婦の共演

 理由のひとつは、ほかの俳優のチャンスを奪うという意味で不公平であること。また、私生活でカップルだからといって、その役が求めるカップルにぴったりとは限らない。

 さらに、観客側がそれを求めていないということがある。これまでの例を振り返っても、カップルがカップルを演じた映画は、だいたい大コケしているのだ。キャスティングの段階では他人だったが撮影中に恋人同士になったというケース(『アメイジング・スパイダーマン』のエマ・ストーンとアンドリュー・ガーフィールド、『トワイライト』のクリステン・スチュワートとロバート・パティンソンなど)は別だが、最初からカップルだった人たちがあえて映画でもカップルを演じようとすると、ほとんどの場合、うまくいかないのである。

 たとえば、マドンナとショーン・ペンは、結婚中、「上海サプライズ」に主演したが、北米での売り上げは200万ドルと惨敗だった。ウォーレン・ベイティとアネット・ベニング夫妻の「めぐり逢い」も、6,000万ドルの製作予算に対し、北米興収はわずか1,800万ドルである。トム・クルーズとニコール・キッドマンも、出会いのきっかけとなった「デイズ・オブ・サンダー」は製作費6,000万ドルに対し北米興収8,300万ドルだったが、結婚直後の「遥かなる大地へ」は製作費6,000万ドルに対し北米興収5,300万ドルと下がり、結婚後10年経ってからの「アイズ ワイド シャット」は、製作費6,500万ドルに対し、北米興収はたった2,200万ドルだ。ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーの「白い帽子の女」にいたっては、北米興収たった53万ドル(約5,700万円)。とてもスーパースターカップルの映画とは思えない結果に終わっている。

 そんな中で、エミリー・ブラントとジョン・クラシンスキーの「クワイエット・プレイス」は、珍しく大成功した。このふたりがほかと違って特別なのか、それとも、映画の中でふたりはほとんど離れていて、一緒にいてもわが子を守ろうとする父と母として描かれているからなのか、理由はわからない。いずれにせよ、うまくいく場合もあるということである。

 また、夫婦共演ではあるが、片方の出演シーンがとても少なかったケースもある。ウィル・スミス主演の「ALIアリ」でジェイダ・ピンケット=スミスが最初の妻を演じたり、クリス・ヘムズワース主演の「ホース・ソルジャー」でエルサ・パタキが家で待つ妻を演じたりしたのは、その例だ。どうせ一緒のシーンがちらっとしかないのであれば、負担を減らすために、このようなキャスティングは、今後もっと意味をなすかもしれない。

レンズのトリックや編集を使う手も

 同じ家に住む人をキャストすること以外に、ジョージア州の提案書は、映画ならではのトリックを使うことを挙げる。たとえばレンズの長さによって実際にいる距離よりも近くにいるよう見せるなどだ。

 ほかにも、編集でうまくやることはできるだろうし、グリーンスクリーンを使って別々に撮影し、後で合成する方法もある。そういったテクノロジーは、ファンタジーやSFにかぎらずあらゆる映画で広く使われてきているので、今や俳優も慣れたものだ。

 しかし、何もそこまでしなくてもというのは、誰もが感じることだろう。優れたストーリーはほかにもたくさんあるのだし、そこまでする絶対の理由がないならば、自然な形でできるようになるまで待ってもいい。その間、今の限られた条件でも無理なく作れるタイプの作品があるはずだ。たとえば、一軒家を舞台にした、出演者が基本的にひとりだけのホラーなどは、うってつけである。あるいは、主人公以外は声の出演が中心の「オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分」や「THE GUILTY/ギルティ」のようなものもいい。

 出演者が少なく、セットがシンプルであれば、製作費も抑えられる。コロナ対策で除菌などにさらにお金がかかるだけに、考慮すべき部分だ。人の動きを抑えることによって、感染の危険も減る。そこはもちろん、一番重要。ということで、コロナと共存し始めたばかりの今、恋愛ものはしばらくおあずけと受け止めたほうがよさそうである。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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