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「ジョーカー」が投げかける多くの謎。あのストーリーをどう解釈すべきか

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
アーサーはジョーカーが想像で作り出した人?(Warner Brothers)

(警告)この記事にはネタバレがたっぷり含まれています。映画をまだごらんになっていない方は、ご了承の上でお読みください。

「僕は、これはこういう映画です、と言うことをしたくない。18歳の若者はアメコミのキャラクターのオリジンストーリーと思うかもしれないし、別の人は社会問題を語るものだと思うかもしれない。見る人による。そこが面白い」。

 映画が公開される2ヶ月前の筆者とのインタビューで、トッド・フィリップス監督は、「ジョーカー」について、そう語っていた。世界規模の大ヒットとなった今、この映画は、フィリップスが予測したとおり、人によって違った受け止められ方をしているようだ。“今年の最高傑作”と絶賛が飛び交う一方では、残酷すぎる、ヘビーすぎるとの声も少数派ながら耳にする。

 それ以前に、ストーリーの解釈自体についての意見も、実にさまざまである。そうなることもまた、フィリップスはある程度予測していた。それを初めて感じたのは、映画が完成し、親しい友人に見せた時だ。

「その友人は、なるほど、アーサーはジョーカーじゃないんだね、と言ったんだよ。アーサーは、人々にインスピレーションを与える役割を果たしただけで、ジョーカーになる人は、あの群衆の中にいるのだ、と」。

 その友人は、説得材料まで出してきたという。この映画に出てくるブルース・ウエインはまだ少年で、後にバットマンとジョーカーとして対面するには年齢差がありすぎるというのだ。それはフィリップスが意図したことではなかったのだが、同じ解釈をした人は、一般観客の中にもいるようである。また、ブルースの両親を殺すのは、アーサーではなく、ピエロのマスクをかぶった別の男であることから、そいつが将来のジョーカーなのではないかとの意見も聞かれる。

究極の事件を起こす前のアーサー。だがあれらの事件も妄想だったのだろうか?(Warner Brothers)
究極の事件を起こす前のアーサー。だがあれらの事件も妄想だったのだろうか?(Warner Brothers)

 ほかにあるのは、すべてがアーサーの妄想だったのではないかとの説だ。

 アーサーは精神病院に入っていた経歴があり、現在も7種類の薬を服用している。極端に痩せているのもその副作用で、突然笑い出すのも、医学的症状(少なくとも、映画の後半までは、アーサー自身がそう信じている)。妄想は頻繁に起こり、映画の最初でも、トーク番組の生中継会場で司会者(ロバート・デ・ニーロ)から舞台に呼ばれ、お褒めの言葉をかけてもらう自分を想像するアーサーの姿が出てくる。後半では、アパートの同じ階に住むシングルマザー(ザジー・ビーツ)との関係もすべて妄想だったと判明する。それらと同じように、あれらの人々を殺すことも、一般人を喚起して運動の象徴になっていくことも、全部彼の頭の中で起こっていたのではないかというのだ。

アーサーが突然笑い出すのは、医学的症状だと説明される。だが、最後のシーンでカウンセラーを前に見せる笑いは「本当の笑いだ」と、フィリップス監督は語る(Warner Brothers)
アーサーが突然笑い出すのは、医学的症状だと説明される。だが、最後のシーンでカウンセラーを前に見せる笑いは「本当の笑いだ」と、フィリップス監督は語る(Warner Brothers)

 最後のシーンにも、糸口が隠れている可能性がある。逮捕され、精神病院に入れられたアーサーが、カウンセラーの前で突然笑い出すシーンだ。彼は「あるジョークを思いついたので」と言うが、どういうジョークなのかと聞かれると、「あなたにはわかりませんよ(You wouldn’t get it)」と、教えてくれない。

 そのシーンをふまえ、Reddit.comに投稿したあるファンは、ここに出てくる彼がジョーカーなのであり、そこまでのシーン、つまりアーサーという人物は、彼が想像で作り出したものなのだと解釈する。人生で幸せなことをひとつも体験しなかったアーサーという人物は、ジョーカーにとって笑える存在なのだが、カウンセラーは普通の人で、それがわからないだろうと思い、あのせりふを言ったのではないかというのだ。

 その後、つまり最後の最後にも、ミステリーがある。彼が廊下を歩いて行く時、血の足跡が残るが、それはすなわち、彼がカウンセラーを殺したということなのだろうか?しかし、これまでに殺したほかの人たちと違い、彼女が殺される絶対の理由は、ないのではないか?そこには何かほかの意味があるのか、また、ここから彼はどこに行くのか。そういった、新たな疑問が湧いてくるのだ。

 そんなふうに積極的に論議が交わされることを、おそらくフィリップスは心から楽しんでいることだろう。とくに、最後のカウンセラーとのやりとり(『You wouldn’t get it』)については、「あれはどんな意味なのかと言われるかもね。でも、僕は答を絶対に言わないよ」と、筆者とのインタビューでも述べているのである。まさに、確信犯だ。

 だから、これらの論議を聞いて、もう一度見なければと思う観客が出てきてくれたら、彼にとっては最高のボーナスなのである。そして、そうしてしまうファンは、きっと少なくないに違いない。そう思うと、フィリップスがコメディ映画で成功した人だというのが、なおさら意味をなしてくる。シリアスな映画を作らせても、彼はいたずら心を隠せない。それが、この映画を特別に面白いものにしているのだ。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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