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早くも見えてきたオスカー戦線事情:現時点のフロントランナーは「ジョーカー」と「ジョジョ・ラビット」

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
トロント映画祭で観客賞を取った「ジョジョ・ラビット」は第二次大戦のドイツが舞台

 次のアカデミー賞は、来年2月9日。5ヶ月近く先のことで、賞狙いの作品がアメリカ公開になる11月、12月も、まだ来ていない。だが、オスカー予測上、重要な意味を持つヴェネツィア、テリュライド、トロントという3つの映画祭が終わった今、初期状況が、少し見えてきた。

 ヴェネツィアで金獅子賞を受賞したのは、トッド・フィリップス監督の「ジョーカー」。一方、トロントで観客賞に輝いたのは、タイカ・ワイティティ監督の「ジョジョ・ラビット」だった。作品賞受賞に結びつくかどうかはさておき、ここしばらくの記録を見るかぎり、この2作品が賞レースにかかわってくることは、間違いなさそうである。

 ヴェネツィアとトロントを比べると、歴史的に、トロントのほうがオスカー作品賞との一致率は断然高い。トロントで最高賞の位置付けである観客賞からオスカー作品賞につながった映画には、昨年の「グリーンブック」をはじめ、「それでも夜は明ける」「英国王のスピーチ」「スラムドッグ$ミリオネア」「アメリカン・ビューティ」などがある。一方でヴェネツィアはと言うと、オスカー作品賞と一致したのは一昨年の「シェイプ・オブ・ウォーター」だけだ。しかし、今年のオスカーで「グリーンブック」の最大の敵はヴェネツィア金獅子賞受賞作「ROMA/ローマ」だったし、「シェイプ・オブ〜」の年の最大のライバルはトロントの観客賞受賞作「スリー・ビルボード」だった。つまり、近年、ヴェネツィアは以前より注目されているのである。

「ジョーカー」の主人公アーサー(ホアキン・フェニックス)は、突然笑い出してしまう症状を抱える。だが、それは本当に”症状”なのか?フェニックスは、笑いを、アーサーが溜め込んだものの爆発と見たようだ
「ジョーカー」の主人公アーサー(ホアキン・フェニックス)は、突然笑い出してしまう症状を抱える。だが、それは本当に”症状”なのか?フェニックスは、笑いを、アーサーが溜め込んだものの爆発と見たようだ

 そんな中、ひとつ興味深いのは、「ジョーカー」はトロントでも上映されたのに、次点、次々点にも入らなかったことだ。だが、それぞれがどんな映画で、投票者が誰なのかを考えると、納得がいく。

 タイトルから容易に想像できるとおり、「ジョーカー」は、「バットマン」の悪役ジョーカーを主人公にした映画である。だが、これはジョーカーがジョーカーになる前の話で、スーパーパワーはいっさい出てこない。ウェイン一家は登場するものの、あの少年が将来バットマンになるのだと知らなくても、何の問題もない。今作は、主人公が受けた心の傷、虐待、いじめ、精神の病、社会福祉などを語る、ダークで複雑な人間ドラマ。見ていて本当に胸が痛くなるし、現代社会とのつながりを考えさせもする。そこが、「もうスーパーヒーロー映画はいいよ」と思っていた人々、つまりは、ヴェネツィアという格式高い映画祭で審査員を務めるような人々には、とても良い意味で衝撃を与え、高く評価されるのだと思われる。

 対照的に、トロントの観客賞は、チケットを買って映画を見た観客の投票で決まる。それら一般人の中には、スーパーヒーロー映画のファンもおそらくたくさんおり、ジョーカーの映画に違うものを期待していた人もいたかもしれない。ある層にとって最高の魅力だった部分は、別の層にとってそうではなかったかもしれないのだ。

 そして、「ジョジョ〜」。こちらは、ホロコーストの話を、独自の視点からユーモアを込めて語るものである。今作の主人公は第二次大戦下のドイツ人の少年。彼はヒトラーをアイドル視しており、ヒトラーは彼の想像の中にたっぷりと登場する。それも、とても笑える形でだ(ヒトラーを演じるのは、ワイティティ監督)。

「ジョジョ〜」はトロントが世界プレミアだったため、もしヴェネツィアで上映されていたらどんな評価を受けていたかはわからないが、優れたホロコーストものがたくさんある中、これがヴェネツィアの審査員に「ジョーカー」ほどの新鮮さを与えたかどうかは疑問である。実際、このテーマをこういった形で扱うことへの抵抗の声は、少しだけながら、メディアに出てきてはいる。だが、基本的に笑って泣ける感動作が賞を取る傾向のあるトロントで、これはまさにツボを刺激する映画だったのだ。そして、オスカーを決めるアカデミー会員は、これらの投票者と、まったくかぶらないのである。

「ジョーカー」のトッド・フィリップス監督は、ヴェネツィア、トロントに出品する理由について「この映画では誰も空を飛んだりしないんだということを見に来る前にわかっていてほしかった」と語っている
「ジョーカー」のトッド・フィリップス監督は、ヴェネツィア、トロントに出品する理由について「この映画では誰も空を飛んだりしないんだということを見に来る前にわかっていてほしかった」と語っている

 伝統的に見れば、アカデミーはアメコミがらみの映画に厳しく、ホロコーストがらみの映画に優しい。しかし、「#OscarsSoWhite」運動のプレッシャーを受けて、この数年の間に、アカデミーは積極的に外国人やマイノリティ、また若い人を新会員に招待し、投票者の顔ぶれは変わってきた。ちょっと前まで6,000人前後だった会員数が1万人前後に変わっただけでも、大きな変化である。今年のオスカーに「ブラックパンサー」が食い込んだのは、その反映と言える。

 そして、最初に述べたように、アワードシーズンはまだ始まったばかりでもある。今後、本命が変わることは、十分にありえるのだ。そういったサプライズがあるほうが、もっとおもしろい。今から結果が見えていたら、つまらないではないか。この両方を見た筆者としてはとくに、そんなどんでん返しは、大いに期待したいところである。

場面写真:Courtesy of TIFF

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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