Yahoo!ニュース

佐藤浩市炎上事件で思い出す「美女と野獣」騒動

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
「美女と野獣」のジョシュ・ギャッド(右)とルーク・エヴァンス(写真:Shutterstock/アフロ)

「空母いぶき」の役作りについての佐藤浩市の発言が反感を買っているようである。このサイトに出た斉藤博昭氏の考察記事(波紋が広がる『空母いぶき』佐藤浩市の発言。実際に作品を観て感じること)が、奥深く、かつ興味深かったため、筆者は、焦点となっている「ビッグコミック」のインタビュー記事や関連記事も読んでみたのだが、そのうち、同じではないものの、似たようなことが実はアメリカでもあったことを思い出した。実写版「美女と野獣」公開前の炎上事件である。映画をまだ誰も見ていない段階で、ビル・コンドン監督が、今度のル・フウはゲイであると明かし、騒ぎになった、あの時のことだ。

 当時、筆者は単純に「それはおもしろそう」と思ったのだが、アメリカの保守的な地域では、一般の間で大きな抗議の声が起こった。リベラルなはずのここL.A.でも、業界とまったく関係ない知り合いの中に、「そんな映画になっているのだったら、子供を連れて行くのはやめようか」と言う人がいたりして、びっくりさせられたものである。

二次元のキャラクターに、さらなる層を加える

「空母いぶき」の原作は漫画で、「美女と野獣」は古典アニメーション。いずれも固定ファンがいる。それらのファンが、実写版にもオリジナルに忠実であることを求めるのは、しごく当然。「美女と野獣」には、その配慮がたっぷりすぎるほど見られた。

 それをやりつつ、平面な世界に住むキャラクターを人間の住む立体の世界に無理なく引っ張っていくことこそ、こういった映画の最大の試練だ。映画が公開される3、4ヶ月前、筆者がル・フウ役のジョシュ・ギャッドとガストン役のルーク・エヴァンスをインタビューした時も、彼らは「自分たちの役はとくに漫画っぽいため、役作りにはさまざまな工夫が必要だった」と語っている。その時は、具体的にそれが何かを教えてくれなかったのだが、映画を見て、大いに納得させられた。オリジナルでル・フウはただガストンに従うが、この実写版で彼は少しずつ疑問を抱いていく。その微妙な心理の変化をギャッドが見事に表現し、最後にちらりと彼がゲイだったとわかるシーンを織り込むことで、彼がそれまでガストンにくっついていたのにはそれもあったのかと、なおさら説得力が増している。

 そのシーンは本当にちらりとしか入れられておらず、コンドンのインタビュー記事について知らないまま見に行ったら、何も思わないままの人も多かったはずだ。あれだけ騒がれただけに、実際、公開後には、「なんだ、あれだけなの?」という声も聞かれている。漫画やアニメーションではないが、「スター・トレック BEYOND」も「なんだ、あれだけ?」だった。あの映画では、スールー(ジョン・チョー)がゲイだったと初めて判明するのだが、長年スールーを演じてきたジョージ・タケイが反対したこともあり、その部分は早くから話題になっている。しかし、実際映画に出てくるのは、帰ってきたスールーを迎えに来たのが女性ではなく男性だったという1シーンだけ。彼には同性のパートナーがいるのだなと匂わせるだけで、それ以上突っ込むことも、それについて言い訳をすることもしていないのである。

 それでも、その小さなシーンのおかげで、仕事をしていない時の彼の人生を垣間見ることができ、演じる役者は、もっと立体的に役を築いていくことができる。そしてそれは、観客にも無意識の形で伝わる。斉藤氏も、先に挙げた記事の中で「〜あってもなくても変わらないのではないか?しかし、『なくてもいい』描写が『ある』ことも映画の魅力であるとも思う」と書いているが、まさにそれが奥行きとリアルな感触を作り出す隠し味なのだ。

目的は揶揄ではなく、現実をより反映させること

 佐藤浩市の総理に抵抗を感じる人の言い分には、安倍首相の潰瘍性大腸炎を揶揄しているというものもある。関連記事の中で、過敏性大腸症候群(IBS)を抱える人の反感コメントも読んだ。筆者は「空母いぶき」を見ていないため、それについては批判も弁護もしない。しかし、侮辱するような、あるいは間違った描かれ方をしていないかぎり、病気を映画に出してくるのは、失礼ではなく、世の中を正しく映す上で、むしろポジティブなことだとは言っておきたいと思う。

 ハリウッドで今、一番ホットな単語は「representation」、すなわち「出してくる」こと。かつて、ハリウッド映画では白人の美男美女が活躍し、黒人は悪者で、アジア系も、同性愛者も、ほとんど存在しなかったが、今は現実社会をできるだけ映画に反映させようという姿勢なのである。そこには社会に潜む問題、悩みも含まれる。それを扱うことは、それがあることを認め、理解しようと努力しているということだ。もちろん、ジョエル&イーサン・コーエン監督の「レディ・キラーズ」の公開時、映画の中のIBSジョークに不快だとの声が出たように、映画を見た上でそう感じたら、はっきり伝えるべきである。そうすることで、世間の理解はさらに高まり、将来、同じような間違いが起こるのを防げるのだから、それは大事である。

 と言うことで、今回も、まずは映画が公開されるのを待ってみようではないか。今、「美女と野獣」「スター・トレック BEYOND」と聞いて「そんなことあったかな?」と思った人も多かったと思うが、「空母いぶき」で騒がれていることも、結局、その程度のことなのかもしれないのだ。一方、「その程度のこと」が、作り手には大事だったかもしれないのである。騒ぎは忘れられても、映画はずっと残る。本当に情熱を捧げて映画を作ったなら、その人たちには、今の荒波を乗り越える価値が、きっとあるはずである。

 

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

猿渡由紀の最近の記事