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「ROMA〜」はダメでも次がある。早くも来年のオスカーに賭けるNetflixが起こす混乱

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
Netflixは来年、スコセッシ監督、デ・ニーロ出演の映画でオスカーを狙う(写真:Shutterstock/アフロ)

 恐れていた映画界の大革命は、起こらなかった。いや、正しく言うなら、とりあえず、延期はできた。先週のオスカーで、大多数の予想を裏切り、Netflixの「ROMA/ローマ」が作品部門受賞を逃したことには、そんな大きな意味があった。

「ROMA〜」は、昨年夏のヴェネツィア映画祭で金獅子賞を受賞し、年末には全米各都市の批評家賞をごっそり取っている。しかし、その年によって違った顔ぶれが寄せ集められる映画祭の審査員や、作品の質だけで判断する批評家たちと違い、オスカーに投票するアカデミー会員は、映画を作る人たちだ。人が主にテレビやタブレット、スマホで見るNetflixの映画を、映画と呼んでいいのか。その定義がはっきりしないうちに、オスカーの中で最高の花形である作品賞をあげてしまったら、答を出してしまうことになる。

 その不安を抱いていたのは、映画関係のジャーナリストも同様だ。授賞式の2日後、「Cultural Weekly」の記者スティーブン・ウエストは、「あの結果が出た時は、みんなの間からホッとしたため息が聞こえてきた感じでしたね」と述べた。「政治に関してリベラルでも、ハリウッドは、ビジネスのやり方においてとても保守的。劇場でろくろく上映されなかった映画が最優秀作品賞を取ってしまったら、スタジオも、エージェントも、俳優も、みんなパニックしてしまいます」。「Wall Street Journal」のテレビ記者ジョー・フリントも同感だ。「僕らのオフィスでも、これが受賞してしまったら、テレビ向けに作られた映画でも良いということになるのではと、授賞式前にはかなり論議が起こっていましたよ」。

来年賭ける作品はスコセッシ監督の超大作

 だが、ホッとしていられるのも、今のうちだけだ。Netflixは、来年、さらに大きな作品を引っさげてオスカーに戻ってくるつもりなのである。それが今から待ちきれないかのように、オスカー授賞式の中継番組では、まだはっきりリリース日も決まっていないその映画のスポットを打っていた。「ROMA〜」のキャンペーンには、オスカー史上最高額ではないかとも言われる予算を使ったのに、さらに次の作品のためにこの高額な広告枠を買ってあげるとは、ライバルにしてみれば、もはや声も出ないという感じだろう。

 そこまで力を入れるのも、わからなくはない。その作品は、マーティン・スコセッシが監督する「The Irishman」なのだ。ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシ、ハーベイ・カイテルらが出演するマフィアものであるこの映画は、メキシコの素人女優が主演したスペイン語のモノクロ映画「ROMA〜」よりも、断然、広い層へのアピールが期待できる。スケールも、ずっと大きい。「ROMA〜」は、製作予算2,000万ドル以下が対象のインディペンデント・スピリット賞でも国際映画賞を受賞したが、「The Irishman」の予算は1億2,500万ドルだ。今日、ハリウッドのメジャースタジオでも、R指定の大人向けドラマのために、ここまでのお金を使うことはしない(R指定とまだ発表されたわけではないが、スコセッシのマフィアものであれば、おそらくそうなると思われる)。実際、今作は、最初、パラマウントで作られるはずだったのに、予算がどんどん膨らんだことで却下され、Netflixが拾ったという経緯がある。

 この作品のために、Netflixは、公開においても、これまでにない方法を取るのではとの憶測も飛び交っている。アルフォンソ・キュアロン監督の「ROMA〜」で、今度こそ本気でオスカーを狙えると思ったNetflixは、これを含む数本の映画に限り、ストリーミングに先立って、1週間から3週間ほど、一部の劇場で限定公開の時期をもうけるという戦略を初めて試みた。同時配信にありがちな偏見を減らし、劇場で公開された作品というイメージを強調するためだ。だが、それはそれで、劇場公開からホームエンタテインメントまで3ヶ月おくという、スタジオと興行主の間のルールを破壊するものだと非難されることになっている。その教訓を踏まえ、また、映画の歴史にとりわけ造詣が深いスコセッシへの配慮も込めて、劇場公開のみの期間を、もっと長く設定するのではないかと想像されるのである。

Netflixのオスカー参戦を阻止する動きも

 しかし、それをやるならば、おそらく、ほかのスタジオのように3ヶ月はやらないと意味がないかもしれない。来年は、Netflixがこれまでやってきた「うちのやり方」では、オスカーの資格がなくなるかもしれないのだ。スティーブン・スピルバーグが先頭に立ち、アカデミーの役員は、来月にも、オスカーの資格についてのルールを再検討する方向でいるのである。

 映画館の文化を守ることを重視するスピルバーグは、昨年にも、「最初からテレビでのリリースに承諾してしまったら、それはテレビ用映画だ。出来が良ければもちろんエミーを取っていいが、オスカーはダメ」と語っている。クリストファー・ノーランも同様で、「映画とは何か。それは、映画館でかけられるもの。テレビ用映画やミニシリーズ、ビデオスルーの作品は、昔からあった。でも、映画を作る、というのなら、それは映画館でかけられるための作品のこと。今、色々な会話がなされているが、人がスマホで見るものを作るなら、それは映画ではなく、別のものだ」との姿勢を貫いてきた。

 彼らのような正統派の考えをする人は、おそらくほかにも少なくないことだろう。一方で、スタジオが大人向けドラマを敬遠し、派手に儲けられるスーパーヒーロー映画や大作映画にばかり力を入れる中、自分の作りたい大人向けドラマはNetflixやAmazonなどでないと作らせてもらえないという監督は多い。スピルバーグの意向を知り、Netflixでドキュメンタリー映画「13th-憲法修正第13条-」を作ったエヴァ・デュヴァネイは、自分のような違う意見も聞いてほしいと、ツイッターを通じてアカデミーに懇願した。彼女のこのツイートもまた、賛否両論のコメントを集めている。

 オスカーが終わったのは、たった1週間前のこと。それなのに、もう、次へのこんな話題で、ハリウッドは頭を悩ませているわけだ。来年の話をすると鬼が笑うというが、こんなに早く話題を出しては、鬼も気づきすらしないのではないか。「The Irishman」でNetflixがついにオスカー作品賞受賞スタジオの肩書きを得るのかは、今の段階で、まったく想像もつかない。だが、オスカーお騒がせ大賞があるとすれば、受賞者は間違いなくNetflixだ。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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