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「カップルはカップルを演じるな」の掟を破った「クワイエット・プレイス」は、なぜ成功したのか

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
夫婦が夫婦を演じた「クワイエット・プレイス」は大ヒットした(写真:Shutterstock/アフロ)

 ハリウッドには、昔からいくつかの言い伝えがある。動物、子供との共演は避けろというのは、そのひとつ。もうひとつは、私生活でカップルなら、映画の中ではカップルを演じるなというものだ。

 撮影前は恋人ではなかったのに、撮影中に恋が芽生え、続編でも共演することになった、というなら別。「トワイライト・サーガ」のロバート・パティンソンとクリステン・スチュワートや、「アメイジング・スパイダーマン」のアンドリュー・ガーフィールドとエマ・ストーンがそれに当たる。これらの場合は、ファンが「えっ、あのふたりは本当に恋人になったの?かわいい!」と、むしろ応援してくれるものだ。

 だが、もともとカップルとして知られているセレブが、映画でもわざわざカップルを演じると、観客はそう優しくはない。ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーの「白い帽子の女」、ウォーレン・ベイティとアネット・ベニングの「めぐり逢い」、トム・クルーズとニコール・キッドマンの「アイズ ワイド シャット」などは、いずれも彼らのキャリアの中では失敗作と位置づけられている。北米興行収入がわずか53万ドル(約6,000万円)だった「白い帽子の女」に至っては、惨敗、大恥だ。批評家の評価も、rottentomatoes.comで34%と、いただけなかった。もっとも、ピットがアルコール依存症の出来損ない夫を演じるこの映画が、実は当時のジョリーの私生活での思いを反映していたとわかった今では、ちょっと意味合いが変わってきたのだが、だからと言って急に傑作になるわけではない。

 今年も、ハビエル・バルデムとペネロペ・クルスが「Everybody Knows」で共演している。カンヌ映画祭のオープニング作品に選ばれ、今月のトロント映画祭でも上映されたのだが、評判は、アスガー・ファルハディ(『別離』『セールスマン』)の作品にしては、振るわなかった。批判は脚本やストーリーそのものについてが多く、バルデムとクルスが夫婦であるということがどう関係したかはわからない。それでも、オスカー受賞者3人が揃った今作が、次のオスカーで大活躍することは、どうやらなさそうである。

物音を立てると恐ろしいクリーチャーに襲われるため、ずっと静かにしておかなければいけないという設定の「クワイエット・プレイス」は、全米で大ヒット(写真/Paramount Pictures)
物音を立てると恐ろしいクリーチャーに襲われるため、ずっと静かにしておかなければいけないという設定の「クワイエット・プレイス」は、全米で大ヒット(写真/Paramount Pictures)

 そんな中で、見事な例外を作ってみせたのが、今週末ついに日本公開される「クワイエット・プレイス」だ。

 ジョン・クラシンスキーが監督、脚本、主演を兼任し、妻役に私生活の妻であるエミリー・ブラントをキャストした今作は、4月にアメリカで公開され、見事、首位デビューを果たしている。その後も口コミで売り上げを伸ばし続け、最終的には北米だけで1億8,800万ドル、全世界で3億ドルを売り上げた。製作予算1,700万ドルのホラーにしては、すばらしい快挙だ。

 日本の人は、このふたりがセレブカップルとしてあまり認識されていないからだろうと思うかもしれないが、決してそうではない。2012年の「プラダを着た悪魔」でハリウッドブレイクを果たしたイギリス人女優ブラントは、その後、「アジャストメント」「オール・ユー・ニード・イズ・キル」のようなアクションや、「ボーダーライン」「ガール・オン・ザ・トレイン」などスリラー、またミュージカル「イントゥ・ザ・ウッズ」などで幅広い才能を発揮してきた、一番の売れっ子女優だ。彼女に比べると、クラシンスキーはややステイタスが低かったかもしれないが、彼は彼でコメディ番組「ザ・オフィス」にレギュラー出演してきており、おそらく一般アメリカ人の間での知名度は、彼のほうがむしろ高い。ブラントも、筆者との過去のインタビューで、ファンに声をかけられるのはたいていクラシンスキーだと語っている(彼女いわく、『彼は長い間テレビですごくいい人を演じてきたから、話しかけやすいんでしょう』とのことだ)。このふたりの結婚式が、クラシンスキーが「かけひきは、恋のはじまり」で親しくなったジョージ・クルーニーのイタリアの別荘だったことも、ふたりの娘が生まれたことも、広く報道された。

 なのに、観客はこのふたりが夫婦を演じることに、何の抵抗も感じなかったのだ。そのことについて筆者がブラントに聞くと、彼女は、「私たちが夫婦なのは、むしろ映画のためによかったと言ってもいいと思うのよ」と言った。「映画の中で、私たちはほとんど離れている。観客は、心のどこかで私たちは本当の夫婦なんだと知っているだけに、もっとハラハラしてくれたのではないかしら」と言うのだ。それを聞いて、なるほどそういうこともあるのだと思った。彼らは、そういうセレブカップルだったということである。

 クラシンスキーとブラントは、非常に活躍していて、尊敬されているが、セレブ然しておらず、好感度の高い人たちだ。本当はすごい金持ちなのに、どこか、普通の人っぽい印象を保ち続けている。ベン・アフレックとジェニファー・ロペスが私生活で恋人同士になった後に公開された「Gigli(日本未公開)」は、これでもかというほどけなされたが、それには、当時彼らが超高級車を乗り回し、高額なジュエリーを見せびらかして、「俺たちセレブカップルだから」みたいな振る舞いをしていたことも大きかったと思われている。ピットとジョリー、ベイティとベニング、クルーズとキッドマンは、そこまでしなかったにしろ、名前だけでセレブ然になってしまう人たちだ。

 夫婦で共演することについて、身近な人は「良いアイデアだ、やりなさい」と応援してくれたとも、ブラントは明かしてくれた。それも、この夫婦が公にどう受け止められているのかが、業界を知る人たちにはわかっていたからだろう。

 ハリウッドにスターは山ほどいて、その中にはくっつく人たちもたくさんいる。共演すれば、ロケの間も一緒に過ごせるわけで、カップルにとってはまさに好都合だ。それが決してタブーでないということをクラシンスキーとブラントは証明してみせたわけだが、ならばタブーは解禁されたと言っていいのだろうか?いや、そうではない。自分たちがどう見えるのかを客観的に判断するのは難しいもの。さらに、それがどんな作品かによっても変わってくるだろう。これは、おそらく、稀な例なのである。離婚した後に「二度と見たくない映画」を作らないためにも、たいていのカップルは、やはり慎重になったほうがいい。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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