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「白すぎないオスカー」を目指すアカデミー、史上最大の増員。着目したのは海外

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
「沈黙-サイレンス-」で評価されたイッセー尾形もアカデミー会員に招待された(写真:Shutterstock/アフロ)

 アカデミーが、本気だ。強気かつ柔軟でもある。西海岸時間25日に発表された、新しく会員に招待された人々の数は、なんと928人。そして、そのうち38%が、白人以外の人種だったのだ。

 オスカーを決める映画アカデミーは、長い間、会員数を6,000人前後に保ってきていた。新たに入れるのは主に欠員の補充目的で、毎年せいぜい100人程度。誰が新会員に招待されたのかがニュースとして報道されることもなく、内情は謎に包まれ、とくに語られることもなかった。

 会員の大多数が白人男性で、平均年齢は62歳という実態を暴露したのは、2012年の「L.A. Times」の記事だ。その頃からアカデミーは変革の必要性を認識していたのだが、2015年と2016年、2年連続で演技部門20人が全員白人だったことから「#OscarsSoWhite」(白すぎるオスカー)論争がピークに達し、即刻、大胆な行動を取ると決める。

 アカデミーが公言したゴールは、2020年までにマイノリティと女性の比率を倍に増やすこと(当時、マイノリティは全会員の8%、女性は25%)。その狙いのもと、2016年は、683人というそれまでの常識を覆す人数が招待された。その中に含まれていたのは、ジョン・ボイエガ、マイケル・B・ジョーダン、フリーダ・ピントなどだ。日本人では北野武、是枝裕和、仲代達矢、黒沢清、河瀬直美、種田陽平などに声がかかった。

 だが、たくさん入れたわりに、まだ焼け石に水で、マイノリティは3%、女性は2%しか増えていない。目標を達成するためには相当な数のマイノリティと女性を毎年入れ続けなければならず、会員の質を下げずにそれだけの数を確保するのは不可能だろうとの声が、当時は多数聞かれた。にもかかわらず、翌2017年、アカデミーは、前年を上回る774人を招待してみせたのである。その年の新会員は、ガル・ガドット、エル・ファニング、アンナ・ファリス、ジョーダン・ピールなど。日本からは、真田広之、菊地凛子、三池崇史らが招待された。この時点で、マイノリティは全体の13%、女性は全体の28%。会員数は8,000人以上に膨れ上がっている。

 さすがにもう今年はペースが落ちるだろうと業界は予測していたのだが、アカデミーはまたもや我々を驚かせてみせたというわけだ。この人たちが全員招待を受け入れると、アカデミーの会員数は9,200人以上になる。この中でマイノリティは全体の16%、女性は31%。それら新しいマイノリティと女性には、レア・セドゥ、ホン・チャウ、ダニエル・カルーヤ、ケン・チョン、アンディ・ラウ、ソフィア・ブテラなどが含まれる。日本人では、イッセー尾形、細田守、園子温、新海誠、片渕須直、平柳敦子、金城武らに招待がかかった。

質を下げずにマイノリティを増やす鍵は海外

 過去2年で入れてもいい人はもうほとんど入れてしまったのではと思われていたのに、どこにこれだけの人がまだ隠れていたのだろうか。答は簡単、海外である。

 アカデミーはこれまで基本的にハリウッドのエリートグループで、外国に住む映画人にはそれほど目を向けていなかった。昨年と一昨年になって、カンヌ映画祭の常連監督やヨーロッパの大スターが今さらのように招待されたが、今年はなんと、新会員の半数に当たる460人ほどが、アメリカ以外に住む人たちである。

 質を下げることなくマイノリティや女性を増やす上で、海外はまさに潜在的会員の宝庫だ。テレビ中心に活動するコメディアンや、出演作がまだ2、3本しかない若手俳優にも声をかけたことに対して、この2年は批判も絶えなかったのだが(今年も、テレビで知られるジェイミー・カミルやランダル・パークなどに対して疑問の声が上がっている)、自分はよく知らなくても本当のシネフィルなら知っているべきとされるどこかの国の巨匠とあれば、文句は言えない。この改革は、もともと、人種と性別の偏りを是正する意味で始まったもの。しかし、その流れの中で、今、アカデミーは、定義そのものを変えることになりつつあるのだ。

 メジャースタジオの娯楽大作の収益の半分以上が北米以外から来て、それらの映画に外国人監督が雇われることも多くなった現在、アカデミーが国際化することは、映画界の実態により近づくものだとも言える。会員数が増え、入りやすくなったことで、意味と権威が薄れたと嘆く声もたしかにあるが、アカデミーは古い体制にこだわるのではなく、こちらの道を選んだということだ。

オスカーの結果に影響はあるのか

 これまで、いわゆるオスカーに好まれる映画というのは、高齢の白人男性が良しとする映画だった。もちろん、「白すぎるオスカー」問題の根は深く、そもそもハリウッドでは白人男性のエグゼクティブが中心で、彼らが自分たち好みの映画を作っているという事実があるのだが、アカデミーはせめて自分たちができることをやろうとしているのである。

 その努力が実際にオスカーの結果に反映されたかどうかは、今のところ、不明だ。たしかにこの2年は「真っ白」にはならなかったが、筆者も前から何度かこれについて書いてきたとおり、それはあくまで偶然で、「白すぎるオスカーへの反動」でもなければ、「アカデミーの努力の成果」でもない。映画を作るには、とても長い時間がかかる。マイノリティについての映画となれば、なおさらだ。「ムーンライト」は2003年にオリジナルの戯曲が書かれ、バリー・ジェンキンス監督が映画にしようと決めたのは2013年。「ドリーム」も、「Fences(日本未公開)」も、この「白すぎる」運動が爆発するずっと前に企画が立てられている。一層高いハードルを乗り越え、長い道のりを生き抜いてゴーサインにたどりついたそれらの作品は秀作であり、アカデミーにはラッキーなことに、バッシングの最中となるタイミングで公開に至ってくれたにすぎない。それに、先にも述べたとおり、2016年に大量にマイノリティと女性を入れた後も、全体から見ると彼らの占める割合はほとんど変わっておらず、その年度の投票に影響を与えるにはほど遠かった。

 しかし、改革も3年目を迎えた今年度からは、多少なりとも変化があるのではと期待が高まる。とくに、海外の映画人が増えたことは、ひとつの要因になりそうな気がするのだ。

 たとえば、「ザ・スクエア 思いやりの聖域」を監督したスウェーデン人リューベン・オストルンドや、「IT/イット“それ”が見えたら、終わり。」のアルゼンチン出身監督アンディ・ムスキエティは、今年最も良かった映画に、何を挙げるのだろう?ミシェル・ゴンドリーやルカ・グァダニーノは?それはおそらく、ハリウッドのメジャースタジオで80年代から娯楽作を作ってきたベテランプロデューサーが挙げるものとは、かなり違っているのではないだろうか?ハリウッドよりもヨーロッパやアジアの映画祭でもっと活躍してきた人々が多数投票に加わることで、これまでなら見落とされていたはずの名演技に脚光が当たることになるかもしれない。より多くの投票者が世界に散らばったことはまた、キャンペーン戦略にも変化を強いるだろう。L.A.の街に大きな看板広告をいくつ掲げたところで、それをまったく見ることなく投票する会員が増えたのだ。

 近年、オスカーは、そこまでに発表される多くの賞の結果から予測が容易になり、サプライズが減っていた。そんな中で、少しだけでも不確定要素が生まれつつあるわけである。新しい人々が、果たして来年、何か違いをもたらしてくれるのかは、わからない。だが、もし、来年もそれほど変わらなかったにしても、改革はまだまだ進行中だ。再来年、あるいはその次には、何かが変わるかもしれない。いや、きっと、小さくてもどこかで変わるだろう。さらにおもしろくなりそうな未来のオスカーが、今から楽しみである。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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