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オスカーレース最前線:フロリダの高校乱射事件は投票者の心に影響を与えるか

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
抗議運動に想を与えている「スリー・ビルボード」(Fox Searchlight)

 アメリカ時間20日、オスカーの投票が開始した。締め切りは、現地時間27日。この8日間が、本当の勝負だ。「この部門はもう決まった」だの、「これは望みがない」など言われていても、あくまでここまでの話にすぎない。

 昨年も、1月のノミネーションの段階では「ラ・ラ・ランド」の圧勝状態で、作品賞受賞も確実と思われていた。だが、ノミネーションから実際の投票までの間にトランプが就任し、すぐさまオバマケア廃止や、一部の国からの入国制限を言い渡して、民主党支持派が大多数のハリウッドを真っ暗な気分に陥れてしまった。結果が違ったことにはいろいろ理由があるだろうが、そんな状況のもとでは、恋愛ミュージカルである「ラ・ラ・ランド」を祝福することに違和感を覚えた人が少なからずいたのではないかと思われる。逆に、トランプが軽視する層の人たちを描く「ムーンライト」は、投票者にとって、それまで感じていたより、もっと大事に見えてきたのではないか。

 同じ理由で、今年は、もしかすると「スリー・ビルボード」が影響を受けそうな気配になってきた。先週起きたフロリダ州パークランドでの高校銃乱射事件が、この映画を突然にしてタイムリーなものにしてしまったのである。

「スリー・ビルボード」風の抗議運動がフロリダとロンドンで展開

「スリー・ビルボード」の主人公は、シングルマザーのミルドレッド。彼女の娘は、7ヶ月前に何者かにレイプされ、殺されてしまったのだが、警察は、未だに犯人を挙げられないでいる。悲しみが怒りに変わった末、ミルドレッドは、街はずれにある3つの看板に広告を出すという行動に出た。看板は真っ赤に塗られ、それぞれに黒字で「レイプされて殺された」「まだ誰も逮捕できない?」「(警察の)チーフのウィロビーさん、なぜ?」と書かれている。小さな街で陰口の対象にされても、ミルドレッドはほかからどう思われるかなど気にせず、大胆に警察を批判し続ける。

 乱射事件が起きたパークランドのマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校でも、悲しみはすぐに怒りとなって爆発した。もちろん、不幸にもアメリカで数ある乱射事件には、いつも大きな悲しみと怒りがある。だが、今回は、生徒たちが自ら立ち上がったところが違った。もう大人にはまかせていられないと、事件直後から、彼らは学校前でのデモを行い、ソーシャルメディアでメッセージを発信して、学校の安全と銃規制を大声で求め始めたのである。それらのニュースは、事件以来、毎日メディアに大きく取り上げられている。

 彼らが言っているのは、「学校で虐殺された」「まだ銃規制がない?」「(フロリダ州の上院議員)マルコ・ルビオ、なぜ?」ということ。それをそのまま書いた、「スリー・ビルボード」風の看板も、実際にフロリダの街に登場した。企画したのは、学生たちではなく、あるアクティビストの団体だ。この3つの広告を掲げた車は、連なってフロリダの街中を走り回り、これまたニュースになった。

 同じ頃には、ロンドンでもこの手段が使われている。こちらは、昨年6月に起こったグレンフェル・タワーでの火災事故に対するもので、やはり3台の車に、「71人が死んだ」「まだ誰も逮捕できない?」「なぜ?」と書かれている。この抗議運動を行った団体のスポークスパーソンは、「映画『スリー・ビルボード』は、正義のために広告を使うことのパワーを見せつけました」と、作品の影響力を認める発言をした。彼女はまた、「この悲劇がわが国とわがコミュニティを震撼させて、8ヶ月。なのに、それからほとんど何もなされていないということを、みなさんに思い出してもらいたかったのです」とも語っている。この出来事はアメリカでも広く報道され、関心を集めた。

「シェイプ・オブ・ウォーター」にも社会性はある

 今年のオスカーで作品部門の候補に挙がっているのは、9作品。だが、授賞式が迫る中、事実上は「スリー・ビルボード」と「シェイプ・オブ・ウォーター」の一騎打ち状態となってきた。さらに、最近では、最初の頃、より優勢だった「スリー・ビルボード」を、「シェイプ・オブ〜」がやや上回ってきている。

 理由のひとつは、「スリー・ビルボード」でサム・ロックウェルが演じる人種差別者の警官の描かれ方に、一部から批判が出たことだ。そのため、ここ1、2週間ほど、マーティン・マクドナー監督は、積極的にメディアのインタビューに応じ、それらの批判に丁寧な反論をしてきている。だが、マクドナー監督も予測しなかったことに、この映画の受け取られ方が、急激に変わり始めたのだ。もはや、そこは今作の論点ではなくなったのである。

 現代のアメリカに通じる要素は、主人公とその友人がみんなマイノリティである「シェイプ・オブ〜」にもある。トランプ時代につながるその部分については、早いうちからギレルモ・デル・トロ監督自身がよく語ってきており、ファンタジーホラーかつ恋愛映画でもあるこの作品の魅力のひとつとして、広く認識されてきた。

 もちろん、時事性ならば、「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」や「ゲット・アウト」にもある。ベスト作品と呼ばれるためにはすべてが揃う必要があり、それだけが決め手になるわけではない。だが、接戦の場合には、ちょっとした後押しが違いを生んだりする。投票締め切りまでのあと7日、まだ、何らかの形で、違った後押しは現れるかもしれない。昨年が証明したとおり、当日まで、「もう見えた」とは言えないのである。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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