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「ダンケルク」はノーランに初のオスカー監督部門ノミネーションをもたらすか

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
クリストファー・ノーランと、妻でプロデューサーのエマ・トーマス(写真:Shutterstock/アフロ)

 鬼に笑われるのを覚悟で言ってしまうと、クリストファー・ノーランの「ダンケルク」は、たぶん、オスカーに作品部門と監督部門で候補入りする。そう思っているのは、筆者だけではない。実際、アメリカ時間17日に批評記事の掲載が解禁されて以来、L.A.では、この映画の話題が出るたびに、「オスカー」の4文字が聞かれる状況なのだ。

 知性たっぷりの映画を興行面でも成功させてみせるノーランの名前は 、もはや品質保証マークのような存在。だが、意外にも、オスカーには、作品部門で一度(『インセプション』)、脚本部門で2度ノミネートされただけで(『メメント』と『インセプション』)、いずれも受賞は逃している。「ダークナイト」が作品部門に候補入りを逃した時は、ファンだけでなく、一部の批評家からも多くの不満の声が出た。

「ダークナイト」は、優れてはいても、結局のところ、バットマン映画。平均年齢60歳以上の、お高くとまったアカデミー会員には、偏見があっただろう。そこへきて、「ダンケルク」は、アカデミーに愛される理由を、たっぷり兼ね備えているのである。ひとつには、これが、史実にもとづく戦争映画であるということだ。

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 映画は、1940年5月に起こった「ダイナモ大作戦」を描くもの。前年、ポーランドに侵攻して勝利を収めたドイツ軍は、5月なかばに北フランスに攻め入り、英仏連合軍を海辺の街ダンケルクへと追い詰める。英国首相チャーチルは、これらの兵士を救出し、家に連れて帰るため、軍艦だけでなく、民間の漁船やヨットなど、多数の船を送り込んだ。救いの船を待つ間にも、ドイツ軍は空から攻撃をしかけてくる。その緊迫した状況を、空(戦闘機のパイロット)、海(救出に向かう船に乗った人々)、陸(海辺で救出を待つ若い兵士たち)の3つの観点から語るのが、今作だ。

 アカデミーは、「歴史物」「戦争物」が好き。さらに英国コンプレックスもある。この出来事はイギリスでは誰もが知る話だが(ノーランも、『子供の頃からおとぎ話的バージョンを聞かされてきた』と語っている)、アメリカが第二次大戦に参戦する前のこともあってか、アメリカではほとんど知られていない。アカデミーには英国人会員も多く、彼らが今作をすばらしいと思えば、その影響は大きいだろう。報道によると、この土曜日に開かれたアカデミー会員向け試写は満席で、拍手の嵐だったようである。

 ハンス・ジマーの音楽に関しては、deadline.comのピート・ハモンドが「彼のキャリアで最高」というほど。撮影やプロダクションデザインへの評価も高い。つまり、「技術面から見た出来」という点も、クリアしているのだ。若手の新人とベテラン勢を意図的に混ぜ込んだキャスティングは絶妙だが、 ひとりひとりの出演時間が短いため、演技部門での候補入りは厳しいかと思われる。また、ノーランには皮肉なことに、脚本部門も、ややハードルが高いかもしれない。観客をパニックのど真ん中に引き入れる今作では、せりふが非常に少ないのだ。しかし、空、海、陸で、実際にかかっている時間が違うのに、混乱させることなく観客を緊張し続けられるのはまさに脚本が優れているからであり、そこが評価される可能性も、十分にある。

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 ネックは、7月末という公開日。投票者の記憶に新しいよう、オスカー狙いの作品は年末に公開するというのが、ハリウッドの常識なのだ。昨年、作品部門を争った「ムーンライト」(11月18日)と「ラ・ラ・ランド」(12月25日)をはじめ、過去6年の受賞作は、すべて最終四半期に北米公開されている。だが「ハート・ロッカー」は7月、「クラッシュ」は5月の公開だったので、前例がないことではない。結局は「恋におちたシェイクスピア」にぎりぎりで負けてしまった「プライベート・ライアン」も、 7月24日公開だった。今作の北米公開日は7月21日でほぼ同じな上、どちらも尊敬される監督が、戦争をリアルに描くものという共通点がある。

 もちろん、この記事の最初で認めたとおり、まだオスカー予測をするには早すぎる時期だ。オスカー戦線のスタートは、来月末から9月半ばにかけてのヴェネツィア、テリュライド、トロントの3つの映画祭。ここでだいたいの有力候補が見え、さらに11月なかばから年末にかけて、思わぬ傑作が出てきて予測を混乱させるというのが通例である。それでも、前出のハモンドが「忘れられない 」と表現したように、今作の映像体験はあと数ヶ月くらいで消えてしまうものではないだろうというのが、筆者の予測だ。そうさせてしまうくらい、今後の数ヶ月に大傑作が次々と出てくるのであれば、それはそれで大歓迎である。

「ダンケルク」は9月9日、日本公開。写真:(C) 2017 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. ALL RIGHTS RESERVED.

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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