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元アマゾンのエクゼクティブが開発した新アプリは、映画館に若者を呼び込むか

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
新アプリAtomは映画の未来になりえるか

ハリウッドは、夏の娯楽大作シーズン真っ盛り。先週末は「スター・トレック BEYOND」、この週末は「ジェイソン・ボーン」と、毎週のように期待作が公開されている。

しかし、混雑を嫌う人なら誰でも知っているとおり、どの回も満席御礼というわけではない。メジャースタジオの大型作品は、相当な数のスクリーン数を抑えることもあり、午前中の回ならば、最新作でも、週末でも、たいてい楽々入れる。公開から日にちがたっている作品なら、ほとんどがらがら、という状況に遭遇することも、しょっちゅうだ。実際のところ、アメリカとカナダでは、年に55億もの席が売れ残っているということである。

昨年は北米の興行収入が記録的な数字に達したものの、その収益の多くは「ジュラシック・ワールド」「スター・ウォーズ」など超大作の3DやIMAXの売り上げから来ており、観客動員数自体は、ほとんど変わっていない。デジタル世代の若者は、とりわけ映画館に足を運ばなくなっている。

そんな現状に目をつけて生まれたのが、アマゾンでテクノロジー開発にたずさわったエクゼクティブと、ワーナー・ブラザース、ライオンズゲートなどでビジネス面を管理した男性が立ち上げたアプリ、Atom Ticketsだ。昨年から小さな市場でテスト運営していたが、今月始めにロサンゼルス、アトランタ、ナッシュビルなどで本格的に始動した。

Atomの最初のゴールは、友達を誘って映画館に行くのを簡単にすること。GPSによる位置情報を使ってスマフォで予約し、列に並ぶことなく、現金はいっさい不要で目的を達成できるという部分は、今やタクシー業界を潰しかかっているライドシェアリング会社のUberやLyftに共通する。

利用者はまず、アプリで、見たい映画の上映時間を検索。たとえば、明日の午後7時の回の「ジェイソン・ボーン」をL.A.ダウンタウンのリーガルシネマで見ると決めたら、リンクされているfacebookの友達リストの中から、誘いたい人を招待する。座席もアプリで選び、購入は、登録してあるクレジットカードで行う。チケットはバーコードでアプリに保存されるほか、テキストメッセージで携帯にも送られてくる。

「明日の午後7時、ダウンタウンのリーガルシネマで『ジェイソン・ボーン』を見ましょうと、XXさんが言っています」という誘いを、Atomを通して受け取った友人は、自分でAtomのアプリを通じてチケットを購入。つまり、誘った人は友人の分を立て替える必要はない。友人には自分がどこに座るのかが見えるため、友人はその隣の席を確保することができる。友人がチケットを購入すると、その通知が送られてくる。

ポップコーンやドリンクも、このアプリで先払いし、劇場に着いたら、並ばずに受け取れることになっているはずだが、これはまだ全劇場に適用されているわけではないのかもしれず、筆者が試してみた劇場では、そのオプションがなかった。さらに、Atomは、近い将来、公開から時間のたった映画を安い料金で提供することも狙っている。空席を減らすという意味で、これは映画館にとっても有益と思われるが、映画館のチケットの値段は劇場が決め、その収益をスタジオと分かち合うというシステムが古くから確立されているため、Atomが一方的に値段を決めるわけにはいかず、実施には少し時間がかかりそうだ。しかし、Atomには、ライオンズゲート、20世紀フォックス、ウォルト・ディズニーなどが投資をしている。少なくとも3社の有力なスタジオの後ろ盾があるとあれば、全部とはいかなくても、一部の映画で、近々ディスカウントは可能になるかもしれない。

創設者のひとりが元アマゾンの人というだけあって、Atomは、利用者のデータを分析し、その人が好みそうな映画を提案してくる。登録時には、年齢、性別、人種、年収なども聞かれる。それらのデータを集めることは、Atomの大きな目的だろう。「Fortune」は、広告収入のほか、チケット代のサーチャージでも儲けると報道していたが、筆者が調べたところ、同じ劇場の、同じ作品の、同じ回のチケットの値段は、Atomでも、ほかのチケット販売サイトでも同じで、現在、アプリ上に広告は見当たらなかった。

映画館の空席を減らすのに効果的だとして生まれたビジネスには、すでにMoviePassがある(http://bylines.news.yahoo.co.jp/saruwatariyuki/20160325-00055820/)。月極め値段で劇場に行き放題の会員制システムだが、デビューから5年たってもメジャーにならないのには、参加している劇場チェーンがAMCしかなかったこと(最近では増えた)、事前に予約ができず映画館に着いてからチケットを取得しなければいけないこと(つまり最新映画の人気の回は事実上難しい)、3DやIMAXでは使えないこと、自分の分しかチケットを買えず、友人の分は友人本人に買ってもらわなければならないことなど、制限が多いからと思われる。

Atomも、現在のところ、L.A.では、AMCとリーガルシネマでしか使えないが、9月頭までには全米1万5,000スクリーンで使えるようになる予定とのこと。対象の劇場であれば、3DでもIMAXでも使え、事前に予約できるというところは、MoviePassにはない強みだ。

ひとつ気になるのは、「明日の午後6時に『スター・トレック』を見に行こう」と、言い出しっぺになったAさんが、Bさん、Cさん、Dさんに声をかけようと思う時、その誘いは、Aさんが自分のチケットを買うまで発送されないことだ。Bさん、Cさん、Dさんが「行かない」と言った場合、Aさんは、ひとりで行くか、ひとりが嫌ならばキャンセルするしかない。キャンセルできるということ自体が画期的ではあるが、それが面倒だとか、そのことでがっかりしてしまうようなタイプの人は、「じゃあ次は、今までやっていたように、先にみんなに聞こう」と思うかもしれない。そもそものAtomの目的は、「映画に行くだけのために、みんながたくさんのテキストメッセージを送り合うという手間を省くため」であるので、そうなってしまっては本末転倒である。

さらに、そんなふうに、「この人は『スター・トレック』を見に行こうと思って予約したが、キャンセルした」ということも、ちゃんとデータとして保存されている。アマゾンはずいぶん前から同じことをやっていて、自分が過去に見た商品をあちらから思い出させてくるし、facebookは「この人は友達ではありませんか」と推薦してくるのだから、今さらそれがどうだと言えばそうだが、「来週、この映画を見に行きませんか」と通知が来たら、「ここでもまたか」と思う人も、いるかもしれない。

いずれにしても、Atomはまだ始まったばかりで、成功か失敗かがわかるのは、これからだ。一方で、MoviePassのほうも、月2本まで、3本までなど、安いプランを導入し、会員増加を図っている。

この夏の北米興行成績は、現在のところ、昨年と比べて22%ダウンしている。もちろん、作品に力がないのが一番の理由だろう。だが、そんな時こそ、人気のない映画の値段を下げたり、観客にとってもっと便利になったりするよう、努力すべきなのだ。そうすることで、業界に損はない。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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