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オスカー候補者はまたもや全員白人。非難を受けてもアカデミーが“変われない”ワケ

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
主演男優部門に候補入りしたレオナルド・ディカプリオ。ライバルの候補者も全員白人(写真:ロイター/アフロ)

米西海岸時間14日午前5時半、オスカーノミネーション発表がテレビ中継された時、アカデミーのトップは、大きな焦りを感じたはずだ。昨年に続き、今年もまた、俳優/女優部門20人が、全員白人だったのである。昨年のノミネーション発表後には#OscarsSoWhiteというハッシュタグができるなど、激しいバッシングが起こった。とくに、主演男優部門に候補入り間違いなしと思われたていた「グローリー/明日への行進」のデビッド・オイェロウォが漏れたことは、疑問視されている。

二度と同じ理由で叩かれることがないよう、その後、アカデミーは、数々の努力を行った。会員が白人の年配男性中心であることが要因のひとつと考え、昨年は、オイェロウォ、デヴ・パテル、ケビン・ハート、ジャスティン・リンなどマイノリティ男性や、エリザベス・バンクス、リン・シェルトンなど女性監督も含め、300人以上という、異例に多い数の新会員を迎えている。“白すぎる”イメージを払拭するために、今年のオスカーのホストには、前回あまり評判が良くなかったにも関わらず、黒人コメディアンのクリス・ロックを再び選び、授賞式のプロデューサーには、黒人のプロデューサーで監督のレジナルド・ハドリンを加えた。

しかし、トップがどんなに頭を悩ませても、投票者には関係がなかったということだろう。いくつかの意味で、今年の場合は、昨年よりもっとひどい。

昨年の場合、候補漏れで騒がれたのは、事実上「グローリー〜」だけで、この映画は、スタジオがスクリーナー(投票者に配るDVD)を出さなかったことから、それが原因で作品を見ていない投票者も多かったのかという解釈もあった。だが、今年の場合は、「ストレイト・アウタ・コンプトン」「Beasts of No Nation」「クリード/チャンプを継ぐ男」という、黒人中心の有力作品が3つもあったのに、3つとも作品部門の候補入りを逃している。これらはもちろんスクリーナーを送っており、とくに「Beasts of〜」は、Netflixが投票者向けの特別試写会を何度も開き、投票者にはメンバーシップを無料にするなど、積極的なキャンペーンを展開してきている。助演男優部門で有力視されていたイドリス・エルバ(『Beasts of〜』)や、主演男優部門で可能性があったウィル・スミス(『Concussion』)も候補漏れ。さらに皮肉なことに、「ストレイト・アウタ〜」は脚本部門で候補入りしたが、この脚本家は白人だ。「クリード〜」も、候補入りしたのは、助演男優部門のシルベスタ・スタローンだった。

背景にあると思われるのは、アカデミー会員にとっての「優れた映画」の定義だ。L.A.TIMES紙の調査によると、アカデミー会員の94%が白人、76%が男性、平均年齢は63歳。一度入会すると永久会員で、新会員は、基本的に、亡くなった会員を補填する形で入れる。昨年のように、意図的に300人を入れることがあったとしても、6,000人強という全体数から見ると、たいした影響は与えない。そして彼らは、トップが外から受けるイメージを心配していようがいまいが、自分の基準にとって優れている映画に投票する。いくら「ストレイト・アウタ〜」が批評家から高い評価を受け、興行的に大ヒットしても、ヒップホップの話は、彼らにとって正直なところ、ピンとこないのである。

さらに、マイノリティが監督、出演する映画の数自体が少ないという事実がある。メジャースタジオが、世界規模で受ける娯楽大作にますます的を絞っている今日、批評家受けするような、演技を見せる映画が、マイノリティ俳優中心で作られるチャンスは、減る一方だ。そういった作品を作りたい監督や脚本家は、Netflixやアマゾンの台頭でコンテンツの需要が高まっているテレビに話を持ち込んでいる。その結果、テレビでは、テレンス・ハワード主演の「Empire」や、最近始まったエヴァ・ロンゴリア主演の「Telenovela」など、主要キャストがほとんどマイノリティという番組が、メジャーネットワークですら珍しくなくなってきた。昨年のエミー賞では、18人という記録的な数の黒人俳優がノミネーションされている。

最近、アメリカのテレビのクオリティが目覚ましく良くなっているのは、こういった、これまでになかった新しい視点が生む、新しい作品が出てきているせいだ。テレビ界があえてそうしようと思ったわけではなく、競争やコンテンツの必要性から自然に起こったことであるにしても、結果的に、人々とコネクトすることになったのである。Netflixなどを含めて定義の幅も広がったテレビは、今、まさにルネッサンスを謳歌している。

同じ勢いは、映画界にはない。オスカー候補者が全員白人だったのは、アカデミーの人種差別を意味するものではなく、昔のまま凍りついた、ハリウッド映画業界の価値観を表すものなのだ。アカデミーだけでなく、映画界の現状が変わらない限り、「白すぎるオスカー」は、再び繰り返されるだろう。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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