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ブラピとアンジー共演の「By the Sea」に思う、なぜカップルはカップルを演じるべきでないのか

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
アンジェリーナ・ジョリー・ピット監督作「By the Sea」の一場面。

ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーが、10年ぶりに映画で共演する。しかも夫婦役で、セックスシーンや、セクシーなシャワーのシーンもあるのだ。脚本はジョリーの書き下ろしで、監督もジョリー。撮影は、ふたりが正式に夫婦になったのと同じ頃にマルタ島で行われており、今作「By the Sea」で、ジョリーは初めて“アンジェリーナ・ジョリー・ピット”の名前でクレジットされている。

そんな話題性たっぷりの映画とあれば、みんながこぞって見に行きそうだが、実はそうでもない。観客の興味度の低さを受けてか、配給のユニバーサルは、今週末の北米公開直前になって、10館のみの限定公開に規模を引き下げており(後日、拡大する予定ではある、)トップ10圏外のデビューとなるのは確実。批評もかんばしくなく、rottentomatoes.comによれば、褒めている批評家はたった33%だ。業界サイトvariety.comは「虚栄心が生んだ企画、」「Boston Globe」紙は「『By the Sea』は、アンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピットが見るためだけに存在する映画。我々は招待されていない」と手厳しく述べている。

まだ見ていない人も、「あれ、ひどいんでしょ」と言うほど悪い評判がついてしまっているが、スローテンポで、ストーリーがほとんどないのは本当ながら、決して最悪の映画ではない。ただ、主役がブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーというのが、魅力であるのと同時に、失敗の要因でもあるのだ。

映画の舞台は70年代のフランス。ニューヨーカーのローランド(ピット)と妻ヴァネッサ(ジョリー)は、シトロエンのコンバーチブルに乗って、海辺の小さなホテルにやって来る。ふたりの間には明らかに険悪なムードが漂っており、ローランドは朝からバーに入り浸り、毎朝ばっちり化粧をするヴァネッサもまた、何をするでもなくひとりで1日を過ごす。そんなある日、隣の部屋に、若い新婚カップル(メルヴィル・プポー、メラニー・ロラン)がチェックインしてきた。壁に穴があるのを発見したヴァネッサは、その穴を通じて、ふたりが情熱的なセックスをする様子を、こっそりと覗き見る。やがてローランドは妻の秘密の行動に気づき、この破壊した夫婦は、ワインを飲みながら毎晩のように隣の若い夫婦を見物するようになるのだ。

音楽や映像も含め、ヨーロッパのアート系映画のような雰囲気なのだが、そこにいるのがハリウッドのトップスターという事実が、違うものにしてしまう。本人たちに「映画の中できれいに見えよう」という意図はまるでないのだろうが、このふたりが並外れて美しい創造物なのは絶対的で、観客は、“一発屋で終わった売れないライターと、精神不安定で不幸なその妻”というよりも、“ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーが、一発屋で終わった売れないライターと、精神不安定で不幸なその妻を演じている”というふうに見てしまうのである。

彼らが単独で映画に出演する時は、そんなふうに気が散ることがないことを考えると、やはり、私生活のカップルが映画でカップルを演じることの弊害と言えるだろう。そもそも、カップルがカップルを演じるとろくな結果にならないというのは、長年のハリウッドの常識だ。最も良い例は、ベン・アフレックとジェニファー・ロペスが共演した「Gigli(日本未公開)」(2003。) 興行的にも大失敗で(北米興収はわずか600万ドル、イギリスでは1週間で劇場から消えた、)批評家にはこれでもかというほどコケ降ろされ、当時さんざんジョークのネタにされている。そこまでのバッシングは受けなかったものの、ウォーレン・ビーティとアネット・ベニングの「めぐり逢い」(1995 )も不評だった。トム・クルーズとニコール・キッドマンは、結婚している間に、「遥かなる大地へ」(1992) と「アイズ ワイド シャット」(1999) で二度共演しているが、そのどちらも、その時点でのクルーズの主演作としては、ほかよりかなり低い北米興収にとどまっている。

1作目の共演中に恋に堕ち、続編にも恋人役で出演した例(『トワイライト』シリーズや『アメイジング・スパイダーマン』など)は、話が別だ。それはそれでひとつの素敵なおとぎ話となり、シリーズが終了するまでふたりの関係が続くようにとファンが応援したりする。「ALI アリ」(2001) のように、主人公(ウィル・スミス)がすぐに離婚してしまう元妻役で私生活の妻(ジェイダ・ピンケット=スミス)が出るのも、物語のごく一部でしかないので、気にならない。幸せで美しいカップルとして知られるセレブリティが、最初から最後まで登場し、いかに自分たちが困難な状況にいるのかをとくとくと演じると、どこかしらける部分がでてきてしまい、映画のマジックに影をさしてしまうのである。

それでも、「By the Sea」を作ったのは、ジョリーにとって、無駄ではなかったはずだ。監督デビュー作「最愛の大地」はボスニア紛争、監督2作目「不屈の男 アンブロークン」は第二次大戦が舞台で、シリアスかつ重いテーマを扱ってきたジョリーは、今作で初めて、夫婦関係という、親密で普遍のテーマに挑んだ。「女優業よりも監督業を中心にしていきたい」と語っている彼女は、今作を通じて、またひとつ、新しい経験を積んだのだ。そしてそのチャレンジを、ほかでもない、世の中で一番愛する男性と一緒にやり遂げたのである。

ユニバーサルにしても、それほど損はない。今作は、今、メジャースタジオが最も作りたがらないタイプの映画(大人向けのドラマ)ではあるものの、製作費は1000万ドルと、メジャーにしては低い上、ジョリーは、昨年末、「不屈の男 アンブロークン」でユニバーサルにヒットを与えたばかりでもある。次にまた、もうちょっと興行成績を稼げる映画を作ってもらえれば十分といったところだろう。

「Boston Globe」がいうとおり、「By the Sea」は、「ジョリーとピットのためにだけ存在する映画」なのかもしれない。しかし、それならそれで、いいのかもしれない。観客から好奇心を持たれようが持たれまいが、見てもいないのにけなされようが、この愛し合う男女の中で、この映画は、ひとつの重要な思い出として、いつまでも生き続けるのだから。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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