ジョンソン首相の新提案は、何を意図しているのか。英EUの貿易協定問題:イギリス・ブレグジット問題

国の危機をよそに英首相官邸近くで子供達となごむ官邸猫ラリー・ザ・キャット(写真:ロイター/アフロ)

イギリス政府が、欧州連合(EU)に10月2日にバックストップに関して新しい提案をした。

ジョンソン首相からユンケル欧州委員会委員長に送った4枚の公式の手紙は、全文の訳をアップしている

さらに、手紙に付けた7ページの説明書があり、筆者はこれを週末にみつけたので読んでみた。ちなみに英メディアによると、他にも40ページ以上の文書があり、公開請求をしている人がいるが「交渉中の内容なので公表できない」と断られたとのことだ。

一般に公開されている計11枚の文書を読んでみて、英国は何をしようとしているのか、何が問題なのか、不十分とは思うが筆者なりの分析を書いてみたいと思う。

11枚の文書に書かれていたこと

文書に書いてあることの大半は、3点に絞られる。「イギリスは平和のためのベルファスト合意を守ります」と何度も確認、「北アイルランドはイギリスと共に関税同盟から抜けます」という現英政府の方針を明示、そして「こうすれば国境に厳格な国境検査を設けなくても大丈夫です」という技術的な措置である。

措置については、物品のことのみである。「商品の規制順守」「(関係者の)同意」「税関」という項目からなっている。

具体的な提案としては「貿易業者は、英国から北アイルランドに物品を移動する前に通知する必要がある」「北アイルランドとアイルランドの間のすべての移動は、申告で通知される」「小規模の貿易業者には、要件を簡素化できるように特別な規定が設けられる」「信頼できる取引業者のスキームをつくる」などがある。

内容はこれだけである。さすがに不十分だと考える人が多いのは当然だろう。

一番問題なのは、北アイルランドが関税同盟を抜けてしまうと、コントロールの法的根拠があいまいになることである。フランスの大臣のジャブではないが、イギリス全体が税金天国(租税回避地)になってしまいかねない。

英国政府はどういうつもりだったのだろうか。

EUと英国との貿易協定

それは、「EUと一刻も早く貿易協定を結びたい」ではないだろうか。

貿易協定とは、日本とEUが結んだ経済連携協定(EPA)や、日米貿易協定、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)、米韓自由貿易協定(FTA)など、そういうもののことだ。

貿易協定を結べば国境問題は解決するに違いない、今は一番問題になっている所は、とりあえずの合意を結べばいいーーこのような意図ではないかと、11枚の文書を読んで筆者は思った。

このことは、4枚の手紙の最後に書かれていた。

これらの提案が、包括的な自由貿易協定を結ぶという目標を反映した政治宣言を行うために、必要な変更を最終的に決定することと合わせて・・・解決に向けた迅速な交渉の基礎を提供できることを願っています。そうすれば、英国は10月31日に、EUを秩序正しいやり方で離脱することができます」ーーと。

さらに、7枚の説明書の中で一番筆者の目をひいたのは、説明書の「3」の項目だった。

この(提案された)議定書は、英国とEUの将来の関係の、他の側面に移転できるモデルを提供することを意図していません。ベルファスト(聖金曜日)合意の文脈における、北アイルランドとアイルランドの特定の条件への対応を構成するものです」とある。

つまり、彼らの考えていることは「この取り決めに重きを置かなくてもいい。今は最低限の取り決めを、政治宣言などで国際法的根拠を与えればいい。今ここで国境の問題にこだわらなくても、包括的な貿易協定が結ばれれば問題なくなるはずだ」ということなのではないだろうか。

このことは、考えさせられた。ある意味では、原点に戻るとも言えるからだ。

無茶な2年の交渉期間

もともとの大昔(?)の予定では、二者間の貿易協定を結んでから、英国は離脱日を迎えるはずだったのだ。その協定が交渉の目玉のはずだったのだ。

2017年3月29日、英国は正式にEUに離脱する旨を通知したが、交渉期間はたったの2年間しかなかった。これはリスボン条約第50条(EU離脱を定める条項)に、そう書いてあるからだ。

ところが、最も優先した清算金の問題がモメにモメて、大幅に時間がとられた。他にもEUと英国に住んでいるEU市民の権利などの話し合いにも時間がかかった。

筆者は今でも覚えている。離脱期限まであと1年に迫ったとき、イギリスのブリュッセル特派員が「このままでは、最も大事な貿易協定の話をすることができない」と悲鳴をあげていたのを。

さらに、離脱合意文書をつくるという難関があった。ここに含まれたバックストップ問題(アイルランドとの国境問題)で紛糾してしまった。英下院で3度も否決され、今に至るというわけだ。ここをクリアしないと、次の貿易協定の話し合いに進めない。

2年間で、貿易協定まですべて終わるはずがなかったのだ。リスボン条約の第50条をつくった時点で、読みが甘かったとしかいいようがない。おそらく、将来EU加盟国が増えるという問題は想像できても、離脱する国が出るとは全く考えていなかったのではないか。

その後、両者は新たなスケジュールを確認した。2018年11月25日に政治宣言を発布して、離脱後には包括的な自由貿易圏を目指すことを確認し、2020年末までを移行期間(事実上の延期)と定めた。1-2年ならさらに延期可能だ。ただし、これは法的効力のないものだし、内容に矛盾があり、希望を盛り込んでいるだけで、とても具体的な取り決めとはいいがたいものに見える。

ちなみに、筆者の記憶が正しければ、EUが最も早く貿易交渉を終えたのは韓国とのFTAで、交渉開始から署名まで約2年半だった。2年延期しても、既に厳しい。

英国側の言い分とは

しかし、そんなことを今言っても仕方ない。10月17日の欧州理事会(首脳会議)まで、あと10日しかない。二者間の貿易協定など、方針すら話し合うのは厳しい状態だ。

それでもイギリス側は、合意がある離脱をするのなら、なんとしても英下院で可決できるような内容にしなくてはならないのだ。広範に支持を得られる内容にするのは必須の課題である。前回の内容では、3回も否決されたのだから。

メイ前首相がEUと合意した離脱合意文書で問題なのは、このバックストップだけである(今のところ)。英下院で可決しないと先に進めないので、ここだけとりあえずの措置を入れて、政治宣言か何かで国際法的根拠を与えればいい。そうすれば、次のステップである貿易協定の話に進める。そこで、根本的な解決ができるーーと。

そして「ちゃんとチェックはする。必要な措置は講ずる。約束するから、私たちを信じてほしい」ということではないだろうか。

障害となるEUの組織的問題

ここで起こりうる問題点を考えてみる。真っ先に思い浮かぶのは、EUの組織的な障害である。

EUの組織の問題とはどういうことか。

「とりあえずの合意」にしても、国に関わる取り決めなのだから、国際法の根拠が重要になる。

でもEUは、機敏に動くことができない。普通の主権国家ではないからだ。特にアメリカのように行政権が強い国とは雲泥の差だ。

もしこれがトランプ大統領のアメリカだったら、EUの何百倍も物事が早く進むだろう。彼が了承しさえすれば、責任者をテーブルにつかせて、さっさと話し合いを始めさせることができる。政治宣言でも覚書でも、とても速いスピードで国際法的根拠がある合意にもっていくことができるだろう。

でも、EUは27カ国の集合体である。法律をベースに動くことしかできないのだ。アメリカのように、政治家が力と想像力をふるって、法律を導き出しながら政治をすることなど全く出来ない。日本は大統領制ではないのでアメリカのようにはいかないが、それでも主権国家なので、EUよりは何十倍もマシである。

前記事で書いたように、イギリスの首席交渉担当者のデヴィッド・フロストは、ジョンソン首相から全権委任されている交渉官としてブリュッセル入りしているという。しかし、ミシェル・バルニエEU主席交渉官は違う。いくら委任されていても、27カ国の首脳の意向を無視して勝手に進めることなどできない。これはユンケル委員長も同じである。

ジョンソン首相は、10月17日の欧州理事会(首脳会議)を前にして、ドイツやフランスなどの加盟国首脳と個別会談をしようとして、断られた。電話会談を行っているという。

彼自身もわかっていなかったのだろう。彼はEUを主権国家の集まりだと思っていた。しかし、いかにEUの同化が進んでいるかを、彼は知らなかったのだ。そして、EUを離脱するという「敵に準じる存在」を前に、いかにEUがまとまってしまったかにも、気づかなかったのだ。

巨大な官僚機構

また、EUの体質にも問題があるように思う。

EU側は、この時間がないという時に、10月5日・6日の週末の話し合いを断った。

『ガーディアン』によると、あるEU官僚は「英国はしばしば、プロセスを継続するために会議を求めます。しかし、今週末にできることは有益なことは何もありません」と言い、あるシニアEU外交官は「週末に会談をすれば、これらは適切な交渉のように見えるでしょう。真実は、私たちはまだそこから遠いということです」と言ったという。

そこにあるのは、マイナスを嫌い、責任をとることを嫌い、他者が決めたルールの上でのみでしか働けない、どうしようもない官僚(公務員)的な姿勢だと感じる。

EUは巨大な官僚機構と批判されるゆえんである。イギリスが離脱したがるのは、極右や「ポピュリズム」のせいだけではない。このソ連のごとき物事の遅さと官僚体質が嫌いなビジネスパーソンが沢山いるのだ。

一番大事なのは「信頼」

実は筆者は、このEUの姿勢に大変不満である。

たとえ実のある話ができなくても、話をするくらいはしてもいいではないか。現在でも半分くらいのイギリス市民は、親EUであり、EUに残りたいのだ。彼らのことは考えないのだろうか。知人のEU残留派の若者たちの顔が浮かび、いかに彼らが失望しているかを想像すると、あまりにも心無いと思った。

しかし、あのEUを侮辱しておちょくってばかりいるボリスが相手では仕方がないか・・・とも思う。

(EUを馬鹿にした話として流れた「カンガルーの睾丸」って何ですか。知っている方、教えてください→追記:読者Yさんがメールで教えてくれました。「英国で人気のリアリティーTV番組『I'm a Celebrity』という番組の中のイベントで、オーストラリアにてカンガルーの睾丸を食べる場面がある。英国では話題になっているようで、皆で大笑い出来る場面、というような趣旨で言及したのではないか」とのことです。ありがとうございました)。

EUの交渉団は、メイ前首相にはとても親しみをもって接していて礼儀正しかった。

結局は「信頼」がすべてなのだろうか。

将来必ず結ぶことになる、イギリスとEUの貿易協定も同じだろう。

イギリス側は、「EUが他国と結んでいる貿易協定にならった協定は結べるに違いない」と思っているかもしれないが、EU側はどう思っているのだろう。

日本とEUも経済協定を結んだ。主な物品の関税は(時期は様々だが)撤廃されるし、規制に関しては自己申告制度で貿易している。つまり、規制が合っているかどうかの第三者機関の承認は必要としていない。信頼関係がないとできないことだ。輸入時にチェックは行われているが、信頼ベースと言えるだろう。EUの単一市場には及ばないまでも、世界はどんどんボーダーレスな経済協定が増えている。

イギリス側からすれば「EUは日本とだってこういう貿易協定を結んでいるのだから、我が国となら尚更可能だろう」と思うのだろうか。

しかし、EU側の感情、ここが根本的な問題かもしれない。

イギリスは、EUを離脱しようとしているのだ。「国連を離脱する」という国があったら、日本人はどう思うだろうか。その感情に近いかもしれない。離脱の時点で、根本的な信頼が失われているのかもしれない。

イギリス側の提案は、あのボリスにしては大きな妥協だったと思う。アイルランドの副首相サイモン・コブニーと同じで、筆者も、ジョンソン政府が初めて国境管理を防ぐために、規制をすべてEU側と揃える必要があると認めたことは、大きな進歩であり妥協だったと思っている。さらに、「市民に決めさせる」という全体の戦略線上にある点も、見事だと感じている。

しかし、とても不思議なことに「もうこれ以外、出しようがない」という「白旗」のように見えもするし、合意なき離脱に備えて「そうなっても、これだけは守りますよ」という決意表明に見えもする、実に奇妙なものだ。

連合王国の行方

強気に見えるジョンソン首相が真剣に悩んでいるとしたら、EUのことではないだろう。母国、連合王国の解体に違いない。

北アイルランドをイギリスに引き止めるには、合意なき離脱のほうが良いという考えもある。しかしそれでは、スコットランドが離反してしまう。

EU残留派が多数を占めるスコットランドは、必死に抵抗している。同裁判所はジョンソン首相の議会休会は違法であると判決をくだし、首相の「EU離脱延期法を遵守する」という約束を引き出した。さらに、おとといの週末には、親EU派で独立派の大規模デモが、首都エジンバラで起きたばかりである。

スコットランドを引き止めておくためには、北アイルランドで妥協しなくてはならない。しかも、ジョンソン首相は北アイルランドの強硬イギリス派としか話していない。合意なき離脱をしたら、アイルランド強硬派が黙っていない可能性は高い。また内戦時代の様な不安定な状況になってしまうかもしれない。

この舵取りには、連合王国の未来がかかっている。