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まるで大玉花火のような春菊天と紅生姜天-立ち食い手打ちそば「うちば」で粋を感じる夏-

坂崎仁紀大衆そば研究家・出版執筆編集人・コラムニスト
まるで花火の大玉のような天ぷらに感動(筆者撮影)

 立ち食いそば屋で手打ちそばを提供している店が東京都内にある。京急線青物横丁駅近くにある「うちば」である。

 2019年12月創業のまだ新しい店だが、そのうわさを聞きつけて、遠方より食べに来る客も多い。

 半年ぶりに訪問した7月半ば土曜日の昼下がり。店は待ち客がでるほど繁盛していた。

「今日は10人の団体さんが来てくださって、さっきまでてんやわんやでした」と40代半ばの若き店主の中村英司さんは笑顔で迎えてくれた。

店内は今日も混んでいた(筆者撮影)
店内は今日も混んでいた(筆者撮影)

中村英司店主はいつも活気があるナイスガイ(筆者撮影)
中村英司店主はいつも活気があるナイスガイ(筆者撮影)

中村店主は元役者で老舗で修行し独立

 中村店主は北海道出身。20代に上京して劇団の役者をしていたという。老舗そば店で修業し独立した。経歴の詳細はここでは省くが、手打ちのそばを廉価な立ち食いで提供しようと決意した心意気には感謝の言葉以外ない。

 店は8人も入れば満員だ。待ち客に対する心配りも怠らない。

「麺茹でに少々時間がかかります」

「天ぷらの油の温度が少し低いので、揚げ時間が少々かかります」

「釜のお湯を追加していますので少々お待ちください」

などと役者張りの中村店主の声が店内に響く。そんなやりとりも「うちば」の楽しみの1つである。

まねきねこがお出迎え(筆者撮影)
まねきねこがお出迎え(筆者撮影)

そば粉は北海道産キタワセ

 店の入り口右に麺打ち台がある。毎朝、店の前を通る人は中村店主がそばを打ちそば切りしている姿を目撃している。そば粉は北海道産のキタワセ種。二八そばと十割生粉打ちの田舎そばの2種類を打つ。

店の入り口右にある麺打ち台(筆者撮影)
店の入り口右にある麺打ち台(筆者撮影)

出汁も返しも老舗と変わらぬ味

 出汁は2種類の鰹節、宗田節、日高昆布を併せて引く。返しはもちろん本返しの自家製のもの。もりやざる用の辛つゆはすっきりしていてコクのある深い味わい。かけつゆは華やかな赤味の綺麗な紫色で、口当たりの良い味わい。老舗そば店と変わらぬ味を提供している。

老舗そば店と同じようなメニューが並ぶ(筆者撮影)
老舗そば店と同じようなメニューが並ぶ(筆者撮影)

厚切りのバラ肉がのった「冷し肉そば」は店を代表する味

 「うちば」を代表する一品は何といっても「冷し肉そば」である。ぶっかけスタイルで、厚切りのバラ肉、大根おろし、わさび、ねぎが多めにのって、もりつゆをひと回しかけて登場する。厚切りのバラ肉は返しなどとじっくりと炊いたもので、もちろん「温かい肉そば」のファンも多いとか。

一番人気の「冷し肉そば」は絶品(筆者撮影)
一番人気の「冷し肉そば」は絶品(筆者撮影)

今回のミッションは「老舗そば店では味わえないメニューを食べる」

 さて、今回は一番人気の「冷し肉そば」を食べに来たわけではない。盛夏にはメニュー落ちしてしまうかもしれない人気の「春菊天」と鮮やかな紅色が印象的な「紅生姜天」を食べることが目的だ。

 一般に老舗そば店や手打ちそば店では「春菊天」や「紅生姜天」を提供するところはほぼない。味や香りが強いためそばの味を分かりにくくすることがその背景にあるのかもしれない。一方、東京の立ち食いそば屋では「春菊天」は人気の天種であり、「紅生姜天」は関西はもちろん関東でも人気の天種である。

 つまり、老舗そば店では食べることができない「春菊天」や「紅生姜天」を「うちば」では食べることができ、しかも一般的立ち食いそば屋では食べることができない手打ちそばと一緒に食べることができるわけである。

 この一石二鳥的なミッションを実行に移したわけである。券売機で「もりそば」を購入し、トッピングで「春菊天」と「紅生姜天」の食券を買い入店した。

創業当初と比べてメニューもずいぶん増えた(筆者撮影)
創業当初と比べてメニューもずいぶん増えた(筆者撮影)

まるで花火のように華開いて消えていく「春菊天」と「紅生姜天」

 そして待つこと5分。注文の品が登場した。円い「春菊天」の緑色、「紅生姜天」の紅色が目にすこぶる鮮やかである。そばはやや太めの二八で相変わらずのうまさ。そして「春菊天」に箸をサクッと入れるとハラハラと壊れていく。それを辛つゆにつけて食べると溶けるように崩れていき、春菊の香りが広がっていく。「紅生姜天」も同様である。まるで、花火の大玉がパッと華開いて消えていくような気配である。知り合いのそばの達人が「緑玉(みどりだま)」「紅玉(べにだま)」と表現していたのも頷ける。

 コロナ禍で今夏も花火大会は見に行けないかもしれない。少し物悲しい気分になってしまうが、「うちば」でお盆の上に咲いた花火を2発、目で楽しみ、味わって楽しむことができた。そばの天ぷらに粋な世界を感じることができ、その余韻が堪らない。

老舗でも普通の立ち食いでも食べることのできない「うちば」だけの味(筆者撮影)
老舗でも普通の立ち食いでも食べることのできない「うちば」だけの味(筆者撮影)

「春菊天」はまさに揚げたてで箸でハラハラとほぐれていく(筆者撮影)
「春菊天」はまさに揚げたてで箸でハラハラとほぐれていく(筆者撮影)

「紅生姜天」もハラハラとほぐれていく(筆者撮影)
「紅生姜天」もハラハラとほぐれていく(筆者撮影)

緑玉と紅玉の花火のような天ぷらに感動(筆者撮影)
緑玉と紅玉の花火のような天ぷらに感動(筆者撮影)

8月には色々挑戦していくと中村店主

 帰り際、中村店主と少しだけ話をすることができた。昨今の物価高でまた値上げをしないとならないと中村店主は嘆いていた。しかし、凹んでもいられない。常に前向きである。

 中村店主はホラーアドベンチャーゲーム「SIREN」シリーズの第2弾「SIREN2」の登場人物「阿部倉司」を演じられたことでも有名だ。SIRENファンに向けて自分が演じたキャラクター「阿部倉司」と「SIREN2」の世界観をイメージしたオリジナルそば「純金そば」(3000円)を8月3、4、5日に1日限定10食で密かに提供するという。竹炭を練り込んだ二八そばに金箔をのせた豪華な一品。つゆは白醤油にビーツを使い赤い色を付けている。ゲーム内に出てくる王将のネックレスをイメージした「王将せんべい」も添えられるとか。「券売機には金色に3000円とかかれたボタンを目立たないように配置する」と中村店主。

8月3、4、5日に発売予定の「純金そば」(中村英司氏撮影)
8月3、4、5日に発売予定の「純金そば」(中村英司氏撮影)

 また開始日は未定だが、全粒粉の小麦粉を使ったやや細めの手打ちうどんの販売も予定しているという。8月になったら、また「うちば」の花火を食べに行こうと思い、店を後にした。

 中村店主が奮闘し、いつの日か「うちば」が大きな座れる手打ちそば店になる日もそう遠くはないのかもしれない。その日までずっと応援していきたいと思う。でももしそうなっても立ち食いコーナーは存続してほしいと思う次第である。

そば切り うちば

住所 東京都品川区東品川3-27-24

営業時間 

月~金 9:30~14:30(売切れ仕舞) 17:30~21:30(LO 21:00)

土祝日 9:30~14:30 

定休日 日曜日

大衆そば研究家・出版執筆編集人・コラムニスト

1959年生。東京理科大学薬学部卒。中学の頃から立ち食いそばに目覚める。広告代理店時代や独立後も各地の大衆そばを実食。その誕生の歴史に興味を持ち調べるようになる。すると蕎麦製法の伝来や産業としての麺文化の発達、明治以降の対国家戦略の中で翻弄される蕎麦粉や小麦粉の動向など、大衆に寄り添う麺文化を知ることになる。現在は立ち食いそばを含む広義の大衆そばの記憶や文化を追う。また派生した麺文化についても鋭意研究中。著作「ちょっとそばでも」(廣済堂出版、2013)、「うまい!大衆そばの本」(スタンダーズ出版、2018)。「文春オンライン」連載中。心に残る大衆そばの味を記していきたい。

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