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「美しさだけを見せるアイドルをやり切りました」スパガを卒業する阿部夢梨が振り返る10年

斉藤貴志芸能ライター/編集者
撮影/小澤太一

SUPER☆GiRLSのリーダーでセンターの阿部夢梨が年内でグループを卒業する。地元・石川でアイドル活動を始めてから10年。屈指のかわいいルックスに時代の先を行っていたあざといキャラで、結成13年のグループを支えてきた。ラストシングル発売と卒業コンサートを前に、想いを聞いた。

最後のMVは撮影中から泣いていました

――卒業することを実感するのは、どんなときですか?

阿部 最後のレコーディング、最後のミュージックビデオ撮影とかで、お花をいただいたときですね。『Heart Diamond』が私の卒業シングルになって、ミュージックビデオを5年くらい前から撮影してくださっているチームとも最後なんだと思うと、すごく悲しくなってきました。

――花束をもらってウルッときましたか。

阿部 号泣しました(笑)。撮影の最後がツインテールをほどいてリボンを机に置くシーンで、そのときからもう泣いていました。

――歌っていても、いろいろ思い出しました?

阿部 歌詞が本当に共感できることばかりなので。<もらった言葉(愛)は色褪せずに 越えれないと思ってた一歩になってるよ>では、「かわいいね」とか「好きだよ」という言葉をもらったのを思い出します。私はアイドルをこんなに続けられると思ってなかったのに、ファンの皆さんのおかげでここまで歩んでこられたな……と考えながら歌っていました。

――「かわいいね」は言われ慣れていたと思いますが。

阿部 慣れているかは別にして(笑)、いつでも言われたら嬉しいものです。

――卒業シングルに関して、自分から要望も出したんですか?

阿部 しんみりした曲でなくて明るいのがいい、みたいなことは言った気がします。あと、衣装でティアラを付けることはお願いしました。ずっと念願だったので。

これ以上は走り続けられないと思って

――卒業はいつ頃から考えていたんですか?

阿部 スパガは毎年、誰かが卒業しているので、そのたびに「私が卒業するときはどんな感じだろう?」と考えてはいました。明確に「何歳で卒業」と決めてはいませんでしたけど、節目的に「ここかな」と思うタイミングがあって。そのタイミングも具体的にどことは言えなくて、「今かな」とフワッと決めました。

――急な決心だったんですか?

阿部 急でもなくて、ずっと卒業について考えてきて……という感じです。

――リーダーになった頃は、卒業どころではなかったでしょうけど。

阿部 それは大きかったと思います。リーダーでなかったら、卒業はもっと早かったでしょうし、リーダーをしていたから、ここまでスパガのために頑張れました。

――今はアラサーのアイドルも少なくない中、21歳での卒業は早い印象です。

阿部 私はそこまでアイドルをできる器ではないです。30歳までなんて絶対できません。やってらっしゃる方は本当に尊敬します。体力的にも精神的にも、私はこれ以上、走り続けられないなと思いました。

――体力というのは、ステージでのパフォーマンスに関して?

阿部 それもあります。大変なエネルギーを使うので。若い子たちがどんどんアイドルになっている中で、ジャンプの高さとかも変わっていくでしょうし(笑)。

別の世界にゼロから挑戦するのも大事かなと

――夢梨さんにとって、アイドルは天職だったのでは?

阿部 天職だったと思います。

――体力が持てば、まだ続けたかったですか?

阿部 いえ、やり切ったという気持ちも出てきたので。これ以上どこに行こう? 何を目指そう? となって、卒業を決めたと言っても過言ではありません。センターとして活動させていただいて、リーダーも務めて、このグループでやるべきことは全部やったつもりです。

――かつ、小学生の頃からアイドルを10年間やってきた分、他の世界も見てみたいと?

阿部 それはあります。やっぱりアイドルとしてしか生きてこなかったので、今度は別の世界にまたゼロから挑戦するのも、人生で大事かなと。

――大学生になってから、考えたこともありますか?

阿部 世の中には様々な人がいて、価値観も様々だと実感しました。もっといろいろな方たちと出会いたいと思ったのも、きっかけのひとつです。

――最終的に卒業を決めるまで、心が揺れたりもしませんでした?

阿部 揺れるタイミングがなかったです。「あっ、今だ」とスッと行けて。何かがあったわけでなく、たぶんずっと徐々に考えていたからなんでしょうね。

――他のアイドルさんからも、卒業のタイミングは「ここだと自分でわかった」と聞くことがあります。

阿部 そうなんですね。皆さん、どうやって決めるんだろうと思ってましたけど、それはわかります。

センターになっても次を考えるとずっと不安で

――10年間で、特に「アイドルになって良かった」と感じた思い出はありますか?

阿部 いっぱいありますけど、心の底から楽しいと思えたライブはそうですね。最近だと、11月6日のiDOL Streetの曲を集めたプロデュース公演が本当に楽しかったですし、その前だと2021年9月のスパガのワンマン(Zepp DiverCity)。私がリーダーになって初めてのライブで、思い描いていたことが全部実現できて、やって良かったと思った記憶があります。

――制作にも携わったんですね。

阿部 そうです。私は実力が高い人がステージで前に出るべきだと思っていて、パフォーマンス力を底上げしたライブでした。構成的にも、とにかく踊るダンスブレイクのパートとか、初挑戦のことをいろいろ取り入れたり。演出にもこだわって、提案したことが形になりました。

――中2でスパガに入ったとき、思い描いていたアイドルにはなれました?

阿部 私はずっと、スパガの先輩方さんみたいな王道アイドルになりたいと思っていました。そして、いつかはセンターに立つことも目指していました。

――ツインテールをマネたという前島亜美さんからのセンターも継いで、それは達成できたわけですね。

阿部 『ナツカレ★バケーション』で初めてセンターに立たせてもらったときは、達成感がありました。でも、「次の曲はどうなるの? その次は?」という不安がずっとあって。もっと上に行かなければと、次からはセンターになっても満足できませんでした。『Heart Diamond』で次の不安はなく真ん中に立ち終えて、やっと久々の達成感でした。

コロナ禍の苦しさを乗り越えただけで万々歳

――振り返ると、アイドル人生のピークだったと思うのは、いつ頃ですか?

阿部 2016年に私たちが加入して第3章が始まった『ラブサマ!!!』のタイミングは、勢いが本当にありましたね。新体制になってブワーンと伸びていった感じ。次のピークは2019年の『ナツカレ★バケーション』ですかね。あのときは夏フェスでの盛り上がりがすごくて、曲が好評だったのもすごく覚えています。

――『Heart Diamond』には<そんなに簡単でもなかった夢>というフレーズもあります。夢梨さんが「やり切った」という中でも、心残りはないですか?

阿部 TDCホールは私が初めて立ったステージで、またライブができたら良かったなと思います。もっと欲を言えば、日本武道館に立てていたら、他と違う思い出になっていたかもしれません。でも、それは悔いというわけではなくて。

――時代の流れもありましたから。

阿部 本当にそう思います。コロナ禍とかいろいろあって、あの苦しい頃を乗り越えただけでも、万々歳だと思っています。

追い込まれるのは嫌いではありません

――<悔しくて泣いてた夜>もありました?

阿部 ありました。今は丸くなってライバル意識もなく、平和に活動してますけど、スパガに加入した頃は、頑張らないと先輩を越えられないとわかっていたので。自分が思ったようなパフォーマンスができなくて、他のメンバーがうまくやっている姿を見て、悔しい想いもたくさんしました。

――他のグループにもライバル意識はありました?

阿部 同世代が活躍しているのを見ると、やっぱり悔しかった時期もあったと思います。

――ラジオの『ナイスゆめり!』で、高1の頃に学業との両立に悩んで「全部捨てて逃げようと思った」と涙ながらに語っていたこともありました。

阿部 今言われて、あのときの辛さを思い出しました(笑)。高校生の頃は、勉強との両立も本当に大変でした。

――夢梨さんは完璧主義で、テストでもクラス1位になっていただけに。

阿部 もっとのんびりやれたら良かったんですけど、そういう性格でもないし、根が負けず嫌いなんですよね。でも、私は追い込まれたほうが本領を発揮するタイプで、苦しくても達成感があるのは嫌いではないです。

イヤだったキャラをいつの間にか受け入れて

――大学では、学業とどう折り合いをつけているんですか?

阿部 完璧主義では全然ありません(笑)。大学はとにかく単位が取れればいいです。スパガに関しては完璧主義は変わりませんけど、若い頃は抱えられるキャパシティも小さかったので、少しは成長できたかと思います。

――他のことでも、苦しかった時期はありました?

阿部 何だろうな……。絶対にあったんです。でも、私は誰にも相談せずに自分の中で消化しちゃうタイプで、言ったことはありません。消化したら勝手に忘れていきます。当時は本当にしんどかったはずですけど、全然思い出せなくて。都合のいい人間だなと思います(笑)。

――キャラに迷走していた時期もあったようで。

阿部 私は面白くもないし、歌もダンスもうまくなくて、悩んでいました。だけど今は、時が経って先輩になるほど、キャラは意識しなくてもできるものだと思っています。自分の好きなものをアピールしていくことが、大事な気がしていて。

――時代に先駆けて元祖のあざといキャラを確立して、これでいけるぞと?

阿部 いやいや。自分であざといキャラを見つけたわけでなくて、先輩に「あざといね」と言われて、当時はすごくイヤだったんです。私は王道アイドルを目指していたので。それがいつの間にか、すんなり受け入れていました。人間って怖いもので(笑)、時が経てばイヤなことも変わりますから。

全部を背負わなくていいと考え方が変わって

――2021年にリーダーになってから、変わったこともありますか?

阿部 大きく変わったと思います。最初はとにかく全部を背負う気持ちでしたけど、今はもう、自分ができることを最大限やれば100点という考え方になりました。他のメンバーを100%支えなくてもいい。信頼することも大切だと思っています。

――そういう考え方になる過程では、思い悩んだことも?

阿部 ありましたね。自分に相談されても、聞く価値のある話はできない。でも、悩みを聞いたからには、解決してあげなければいけない。そんな責任感を勝手に抱えていたんですけど、「話を聞いてもらっただけで救われました」と言ってくれるメンバーもいて、答えを出さなくてもいいんだなと。

――夢梨さん自身は先ほど出たように、人に相談しないタイプだったんですね。

阿部 そうなんです。相談したくても、相手の気持ちを考えてしまって。「何も助けられなくて申し訳ない」と思わせたくなかったんです。あと、この業界は特殊だから、経験してない人には理解してもらえないと、最初から諦めがあって。だから、相談する人の気持ちがわからなかったんですけど、話を聞いてもらうことも大事だと知りました。

――後輩に相談されることは多かったんですね。

阿部 ありがたいことに、LINEで相談されたり、食事に誘ってもらって話すことは結構ありました。

先輩が残してくれた王道を極力伝えました

――夢梨さんは「スパガのイズムを伝えたい」という話もされていました。伝わったと思いますか?

阿部 それは自分が卒業したあとのスパガを見て、答え合わせができるかと思っています。私が残せるものは極力残したつもりです。

――伝えたかったイズムというのは、王道アイドルの伝統的なことですか?

阿部 そうですね。王道って言葉で伝えるのは難しいですけど、パフォーマンスでの立ち居振る舞い、ステージでの見せ方、MCの立ち回りとか、いろいろな部分で先輩が残してくれたものを後輩に見せたいと思っていました。ふとしたとき、メンバーを見て「おっ、伝わったな」と感じることもありました。

――「変わっていくことを受け入れられない自分がいた」とのコメントもありました。

阿部 自分の卒業が決まったら、「変わるに決まってる」という受け入れ方になりました。グループが変わらないなんて無理。自分のほうも卒業したら変わりますから。

――人に相談しない夢梨さんの支えになっていたものって、何ですか?

阿部 ファンの人はもちろん、家族は絶対に必要でした。ヘコんだら「ちょっと東京に来てくれない?」って、親に石川から出てきてもらったこともあります(笑)。特定のことでヘコむというより、周期なんです。「何か最近ブルーだな」と、父と遊びに行ったりしてましたね。私が実家に帰ったときもありましたけど。

台詞が覚えられなくて女優は諦めました(笑)

――アイドル活動が充実していた一方、いわゆる普通の青春を送りたいと思うこともありませんでした?

阿部 多くの人が経験できないような青春を過ごせたので、この仕事を選択して後悔はまったくないです。私は毎朝学校に通って、帰ったら塾に行ったり遊んだりの生活は無理なので、こっちで合っていました。

――前リーダーの渡邉幸愛さんは「お祭りで制服カップルを見ると羨ましかった」と話していました。

阿部 それは思います。スクールラブは確かにいいなと。恋愛は学生でなくてもできますけど、制服はコスプレになってしまいますから(笑)。今思えば、制服ディズニーとかいろいろやっておけば良かったです。

――芸能界の中で、ソロ歌手とか女優になりたいとも思わなかったですか?

阿部 なかったです。舞台かドラマに出演させてもらったとき、台詞が全然覚えられなくて(笑)。

――頭が良い夢梨さんなのに?

阿部 前日に台本を読めば頭に入ると言う人もいますけど、私は絶対無理で。女優には向いてないんだなと、その夢はなくなりました(笑)。

――ラジオでは自分の才能が見つかったのでは?

阿部 トークの技術は身に付きました。でも、自分ではいまだに『ナイスゆめり!』のどこが面白いのか、まったくわかりません(笑)。聴いてくださる方が増えたので、これでいいのかと思いました。才能はわかりませんけど、話すことはすごく好きです。

これからは安定した人生を送りたいです

――卒業後にどんな道に進むにせよ、アイドル人生で培ったものは、今後も活きそうですか?

阿部 絶対活きると思います。愛嬌はアイドル活動で身に付いたので、たぶんどんな世界に行っても、生きていけそうです(笑)。

――もともと愛嬌はなかったんですか?

阿部 全然なかったです。親にもよく「愛嬌がない」と言われていました。昔の私の握手会もつまらなかったと思います。子どもすぎて、冗談のつもりで言ったことで怒られたりもしました。今は相手の方によって、どう対応をすればいいかもわかりますし、初対面の方と話すのも抵抗がまったくなくなりました。

――これからは、どんな人生を送っていきたいと思っていますか?

阿部 安定した人生にしたいです(笑)。確実な収入を基盤に娯楽を楽しめたら。卒業した先輩が結婚したり、お子さんを産んでいるのを見ると、自分もそうなりたいとも思いますね。白い紙に「ご報告」と書いて、SNSで「このたび、かねてよりおつき合いしていました……」みたいな発表ができたら(笑)。

――いつかは、ということですよね?

阿部 10年間ずっとバタバタした生活だったので、いったん落ち着いてみたいです。そうしたら、また心変わりして、刺激的な生活がしたいと言い出すかも。どんな未来に進むか、私もわかりません。ライブ制作とか裏方の道もありだし、テーマパークのキャストをしているかもしれません(笑)。

弱みは見せず人に幸せを与える存在になって

――12月29日の卒業ライブも近づいてきました。

阿部 これまでのSUPER☆GiRLSでの阿部夢梨を、ギュッと詰め込んだ公演にできればと思ってます。長年ご一緒している制作チームの皆さんと「こうしたいんです」といろいろ話し合いました。

――夢梨さん自身は、これまで20人くらいの卒業を見送ってきたんでしたっけ?

阿部 18人ですね。悲しかったり寂しかったりしたのが、自分が卒業する番になったら、いまだに実感がちゃんと湧いてなくて。当日までこのままなのか、不思議な感じがします。

――最後に改めて、夢梨さんが10年打ち込んだアイドルって、何だったと思いますか?

阿部 憧れられて、人に幸せを与える存在だと思っています。人の娯楽のひとつなので、幸せと笑顔を与えられなかったら、アイドルではないかなと。弱みは見せず、美しいところだけを楽しんでもらう。私はそんなアイドルが大好きで、やり切れたと思います。

撮影/小澤太一

Profile

阿部夢梨(あべ・ゆめり)

2002年7月29日生まれ、石川県出身。

小学5年生から地元のアイドルグループで活動。2016年6月にSUPER☆GiRLSに3期生として加入。2019年6月発売のシングル『ナツカレ★バケーション』で初のセンターを務める。2021年6月より6代目リーダーに。年内をもって卒業。ラジオ『SUPER☆GiRLS阿部夢梨のナイスゆめり!』(ラジオ日本)でパーソナリティ。

エイベックス提供
エイベックス提供

『Heart Diamond』

12月20日発売

CD+Blu-ray 2500円(税込)
CD+Blu-ray 2500円(税込)

CD only  1200円(税込)
CD only 1200円(税込)

阿部夢梨リーダー就任インタビューはこちら

芸能ライター/編集者

埼玉県朝霞市出身。オリコンで雑誌『weekly oricon』、『月刊De-view』編集部などを経てフリーライター&編集者に。女優、アイドル、声優のインタビューや評論をエンタメサイトや雑誌で執筆中。監修本に『アイドル冬の時代 今こそ振り返るその光と影』『女性声優アーティストディスクガイド』(シンコーミュージック刊)など。取材・執筆の『井上喜久子17才です「おいおい!」』、『勝平大百科 50キャラで見る僕の声優史』、『90歳現役声優 元気をつくる「声」の話』(イマジカインフォス刊)が発売中。

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