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「1日限定」で結成して11年のTEAM SHACHI【前編】日本武道館での反抗など波乱万丈の真相

斉藤貴志芸能ライター/編集者
左から坂本遥奈、秋本帆華、大黒柚姫、咲良菜緒(2020年配信ライブより)

名古屋発で活動するアイドルグループ、TEAM SHACHIが7日で路上デビュー11周年を迎える。ももいろクローバーZ、私立恵比寿中学の妹分としてメジャーデビューし、すぐに日本武道館まで駆け上がった後、試練も経て、改名やプライベートレーベル発足などチャレンジを続けている。11年間の裏話から今後の展望までメンバー4人に語ってもらった。前・後編でお届けする。前編は結成からチームしゃちほこ時代を振り返る。

「アイドルグループは作らない」と言われたのに(笑)

――皆さんはもともとはアイドル志望でなかったんですよね?

秋本帆華 それぞれやりたいことがあって、スターダストプロモーションに所属していて、最初は「1日限定でアイドルを演じてみて」と言われました。

――2011年に名古屋PARCOで行われた事務所の全員面接オーディションで、チームしゃちほことして2曲披露しました。

坂本遥奈 1日限りの発表会という感覚でした。

咲良菜緒 一生懸命練習して、それを披露するのみ。

坂本 でも、柚姫はアイドルが好きだったんだよね?

大黒柚姫 ももクロちゃん(ももいろクローバーZ)みたいになれたら、楽しそうだなと思っていました。スカウトされて事務所に入って、「アイドルグループを作ることはありますか?」と聞いたら、「ないです」と言われたんです。その半年後くらいにチームしゃちほこの話が来たので、「いつから動いたんだろう?」と思いました(笑)。

――逆に、当時の皆さんは何を目指していたんですか?

坂本 私は小さい頃からダンスを習っていて、夢はダンスの先生かパティシエでした。目立つことが好きだったので、こういう世界に憧れはありましたけど、アイドルはかわいいことしか言えないイメージがあって、自分がなる未来は1ミリも想像してなくて(笑)。事務所に入ったときは小学4年生で、漠然とテレビに出たいとか、有名になりたい感じでした。

秋本帆華(あきもと・ほのか)1997年11月15日生まれ、愛知県出身(2016年の横浜アリーナ公演より)
秋本帆華(あきもと・ほのか)1997年11月15日生まれ、愛知県出身(2016年の横浜アリーナ公演より)

この声で女優は無理ということだったので

咲良 私は東京に住んでいたときに声を掛けていただいて、習いごと感覚でレッスンを受けていましたけど、2~3年して名古屋に戻ることになって。引っ越して落ち着いたら、事務所をやめるつもりでした。地方だとオーディションも仕事も少ないので……と思っていたら、引っ越した年に名古屋でチームしゃちほこが始まって、「まだ習いごとがある」みたいな感じでした(笑)。

秋本 話が少し遅かったら、菜緒は入ってない可能性もあったということだよね。

大黒 危なかった(笑)。

秋本 私はファッション雑誌を読んでいて、モデルさんになったら服がいっぱい着られると思って、事務所に入ったんです。でも、その時が小学5年生で、クラスで身長が一番低かったんですね。“前へならえ”で腰に手を当てていて。

坂本 初めて会ったときは、ひとつ下の私より小さかったよね。

秋本 それで「モデルさんがダメなら何ができる?」という話をマネージャーさんとしていたら、「特徴的な声だから、女優も役に限りがあって難しいかな」と言われました(笑)。

坂本 厳しいね(笑)。

秋本 小学生のときだよ(笑)。それで中2になったら、チームしゃちほこの話が出て、「アイドルならいけるかも」と始めました。

咲良菜緒(さくら・なお)1997年9月10日生まれ、愛知県出身(2014年の日本武道館公演より)
咲良菜緒(さくら・なお)1997年9月10日生まれ、愛知県出身(2014年の日本武道館公演より)

部活感覚でしたけどメンバーと離れるのはイヤで

――本腰を入れてアイドル活動をしようと思ったのは、どのくらいの時点だったんですか?

坂本 アイドルグループをやりたいと思ったことはなかったのが、最初に「演じるつもりで」と言われてステージに立ったとき、自分が勝手に作っていたアイドルとファンの方のイメージが崩れたんです。すごく熱心に応援してくださるけど、フレンドリーに接してもらえて、「楽しいかも」という気持ちが芽生えて。メンバーとも仲良くなって、部活動みたいな感覚でしたけど、1回きりでバイバイするのはイヤだなと。それで続けたいと思いました。

咲良 徐々にそうなったんです。

坂本 いつの間にか「CDレコーディングをします」という話になって、「私たちのCDが出るの? やったー!」みたいな(笑)。

大黒 私もアイドルをやるというより、歌って踊ることが好きだったので、それを仕事にできるのが楽しかったです。

咲良 逆に、私とほーちゃん(秋本)とピンクだった(安藤)ゆずの3人は歌もダンスも初心者で、覚えることに必死でした。

――帆華さんは先ほど出たように、かわいい声を活かせて?

秋本 最初はそこまで考えられず、何をすればいいかもわかりませんでした。何もできないのに真ん中(センター)にしてもらって、「どうすればいいんだろう?」と葛藤がありました。

側転ができなくてマイクの回収係になりました

――皆さんが中学生だった11年前の4月、名古屋城の西之丸広場で路上デビューしたときは、どんな心境で臨んだんですか?

咲良 1回限定と言われてから半年以上経っていて、お正月ごろにも東京で事務所のライブに出させていただいて。最初よりは、ちょっと余裕があったかな。

秋本 ファンの方の顔を見てライブをすることが、初めてできたかもしれません。

――側転もしていました。

秋本 やりました。デビュー曲の『恋人はスナイパー』で。ファンの方もビックリしたと思います。

大黒 ミニスカートで側転を始めたらビックリするよ(笑)。

坂本 お姉さんグループのももクロちゃんにアクロバットのイメージがあったから、私たちも何か技を入れたほうがいい、ということでした。

大黒 菜緒は側転ができなくて、マイクの回収係をやってなかった?

咲良 やってた。1人ずつ側転をできるか試してみたら、私は上手にできなくて、「じゃあ、マイクを集めるよ」と。側転はマイクを置いてするから、回収が必要だったんです。その後、私も回ることになりましたけど(笑)。

――今でもキレ良く回れますか?

坂本 最近はあまりやってないので。

大黒 1年に1回くらい?

坂本 やるときは毎回、立ち位置もマイクの受け渡しもイチから「どうだったっけ?」と必死になっています(笑)。

2013年の名古屋城ライブより
2013年の名古屋城ライブより

日本武道館は「24時間テレビの場所だ」と(笑)

――翌2013年にはツアーと名古屋からのメジャーデビュー、2014年には日本武道館公演と、すごい勢いで駆け上っていきました。あの頃はイケイケでしたか?

咲良 周りに引っ張られて連れていってもらった感覚で、自分たちでは重大さに気づいていなくて。

大黒 メジャーデビューが何かもわかりませんでした。

秋本 「今までもCDは出していたよね」という(笑)。

咲良 インディーズとメジャーがあるのも知らなくて。

大黒 理解できなくて、「へーっ」と思っていました。日本武道館も「知ってる場所でライブができる」というくらいで(笑)。

坂本 それまで「次のライブ会場はここ」と発表されても、知らない場所だからポカーンという感じでしたけど、武道館は盛り上がったね。

秋本 「24時間テレビのゴールの場所だ!」とみんなで言ってました。

――武道館もライブの聖地というより、24時間テレビの場所だと(笑)。

咲良 「何か歴史あるらしいね」くらいな。私たち、無知でしたね(笑)。

先生がライブに来てくれて学校と分けなくなって

――2013年末にワンマンライブ「愛の地球祭り」を開催する前には、菜緒さんが「やめるかどうかは(会場の)愛知県体育館で決める」と発言して、ファンをザワつかせました。

咲良 そうでしたね。私はイケイケじゃなかった(笑)。

坂本 モヤモヤだ(笑)。

――何か活動に疑問を感じていたんですか?

咲良 最初は「名古屋に帰ったら事務所をやめよう」というマインドだったし、受験して高校に進学して、すごく目まぐるしかったんですね。学校と活動とどちらに集中したらいいのか、パンパンになっていました。

――でも、続けることに決めて。

咲良 県体に学校の先生が来てくれたんです。担任の先生と何人かで、普通に客席で応援してくれて。私は学校をプライベートの枠として分けていて、どっちにするか迷っていたんですけど、そこまで分けなくてもいいのかなと思うきっかけになりました。

満員のお客さんが同じ踊りをしていたのがすごかった

――初の日本武道館はステージに立つと、やっぱり格別でしたか?

大黒 そうですね。めっちゃ覚えています。

坂本 11年で一番覚えているかも。

大黒 最初はポップアップで登場して。

咲良 ポップアップの練習が楽しかった(笑)。

秋本 全然うまくできなかったけど(笑)。本番でめちゃくちゃ高く飛んだのは誰だっけ?

大黒 菜緒だね。着地に失敗(笑)。

咲良 ヨロッとなりました(笑)。

坂本 あと、『抱きしめてアンセム』のときの光景が印象深いです。

秋本 ROLLYさんがゲストで入ってくれて。

坂本 チームしゃちほこ時代の一番踊れるテッパン曲で、アリーナから上までギッシリの皆さんが同じ動きをしていて、すごかったです。ほーちゃんが飛んだ曲もあったよね?

秋本 『そこそこプレミアム』で飛んだというか、ロープに吊るされて上に上がりました。

坂本 事前にスタッフさんから「演出で帆華が飛ぶから」と聞いていて、どんなふうに飛ぶのかと思っていたら……。

秋本 私も横に動くと思っていたんです。

坂本 そしたら上がっていって、私たちは見上げて、神様みたいに拝んでいました(笑)。

秋本 前日に、みんなが一番上まで来たときに取るポーズを考えてくれて、ちゃんとキメました(笑)。

2014年の日本武道館公演より
2014年の日本武道館公演より

5年で終わりということかと思ってました

――2016年は「VICTORY YEAR」と銘打ち、幕張メッセ、日本武道館、横浜アリーナから翌年3月の日本ガイシホールまで、大会場でのライブが続きました。

咲良 3ヵ月に1回くらいだっけ?

秋本 5月に幕張2daysをやって、8月、11月、3月だ。

咲良 年に1回やる規模のワンマンが重なって必死でした。毎回内容を変えて、まったく違うテーマでやっていたので、その都度覚えないといけないことがあって。ゆずの(休業からの)卒業も重なって、集客も気になりましたけど、目の前のことをやり遂げていくのに精いっぱいでした。

大黒 幕張では1人ずつフィーチャーされるコーナーもあって、グループとは別に練習もしていて。私はダンスで1日目と2日目が違っていて、それも大変でした。

秋本 試練の年だった。

坂本 それまではライブで次の会場が発表されて、私たちもサプライズでファンの方と一緒に知って、そこに向かって頑張っていたのが、あの年は一気に5公演。結成当初からの夢だったガイシホールが最後と決まっていたんです。「人間50年、アイドル5年」をキャッチフレーズみたいにしていて、その5年でガイシだから、「何も言われてないけど、そこで終わりということなのかな」と、インタビューでも普通に話していました(笑)。

大黒 ファンの方もザワザワしていて。

坂本 私たちも何もわからない状態で、気持ち的にも技術面でもいろいろ追い詰められていて、武道館であのようなことがありました。

坂本遥奈(さかもと・はるな)1999年2月2日生まれ、愛知県出身(2014年の日本武道館公演より)
坂本遥奈(さかもと・はるな)1999年2月2日生まれ、愛知県出身(2014年の日本武道館公演より)

客席が埋まってない状況で曲目に意見があって

――日本武道館のアンコールで、スタッフに言わないまま、セットリストになかった『colors』を歌い出した件ですね。

坂本 それまで、ライブをやればお客さんが集まってくれる恵まれた環境が当たり前のようになっていましたけど、2回目の武道館では1階席を全部スクリーンで潰すことになって。「客席が埋まってないんだ」という状況に直面して、どうにかしなきゃと。

咲良 「より本気を出さないとヤバいね」と、みんな必死になっていました。ずっとスタッフさんに決めていただいたことをやるだけだったのが、経験を重ねて、「こうしたほうがいい」というアイデアがメンバーからも生まれてきて。そんな中で、武道館の曲目に『colors』が入ってなくて、メンバー的には思うことがあったんです。でも、その意見は通りませんでした……。

――不満を訴えはしたんですね。

咲良 伝えたんですけど、大人の力が強すぎて。そこでどう自分たちの想いを届ければいいのか、当時の私たちはわからなかったので、やってしまいました(笑)。

大黒 『colors』が入ってないのは違和感しかない。メンバーで「どこかでやろう」と話し合って、考えた結果です。

咲良 もはやあの手段しかなかった感じでした。

今なら怖くてできないけど、やるしかなかった

――スタッフさんと話し合ったときは、“おっとりガール”の帆華さんも意見したんですか?

大黒 帆華のそんな勢いは見たことがないかも(笑)。

秋本 そのときの私はまだ、セットリストをどうすればいいか、考えられる段階ではなくて。メンバーがスタッフさんに訴え掛けているのを見て、「確かにそうだな」と気づきました。でも、言い合ってはいません(笑)。加勢はしていた?

大黒 「そうだ、そうだ!」って(笑)。

――それにしても、日本武道館の本番で勝手に曲を増やすって、相当なことですよね。

坂本 相当ですよ(笑)。時間のこともあるし、延長料金が掛かるかもしれないし。

秋本 あとから聞いて、大変なことだと知りました。

大黒 考えたら怖くない?

坂本 今だったらできないね。

咲良 恐怖、恐怖(笑)。

大黒 あのときの私たちは、知らなかったからできたと思う。

咲良 「VICTORY YEAR」の大変さと自分たちの必死さが、ヤバさに染まって象徴しているね(笑)。

大黒 最初の日本武道館はソールドアウトしたのに、2回目は埋まらなかった。それがショックで、悔しい想いもすごくありました。

咲良 ゆずの卒業もその頃に知ったのかな。これから辛いことが待っているからこそ、ファンの方をここで繋ぎ止めたい想いもあって。もうやるしかなかった。

坂本 どうにかして、その想いを届けたくて、『colors』に込めました。

私たちの想いが届いたんだと思います

――本当にスタッフさんには誰にも話してなかったんですか?

大黒 (当時A&Rの)ポポちゃんだけは知っていました。話したら、クビになる覚悟で音を流してくれて。

咲良 大感謝です。

大黒 音が流れなかったら、できなかったので。

秋本 アカペラになっちゃう。でも、本当にヤバかったら流れないと思っていたので、それでも歌うつもりでいました。

――他のスタッフさんは大慌てだったと思いますが、ライブ後に改めて話し合ったりは?

大黒 直接はしなかったかな。

咲良 でも、次の横浜アリーナのタイトルが「鯱大行進」から「colors」に変わっていました。

秋本 そのあとの「推しソン選手権」でも『colors』が1位になったり。私たちの想いが届いたんだよね。

大黒柚姫(おおぐろ・ゆずき)1997年7月18日生まれ、愛知県出身(2016年の横浜アリーナ公演より)
大黒柚姫(おおぐろ・ゆずき)1997年7月18日生まれ、愛知県出身(2016年の横浜アリーナ公演より)

ツアーが始まってからの記憶がありません

――ガイシホールは満員になりましたが、先ほど出たように「VICTORY YEAR」で集客には苦戦していたんですよね。

秋本 そうですね。今まで埋まった会場が埋まらなくなることを、初めて知った1年でした。

――2017年のツアーではZepp Nagoyaなどライブハウスを回って、会場規模としては落差を感じたりも?

咲良 全国を回るツアーに関しては、まったく別ものと考えていました。

坂本 「VICTORY YEAR」が特別すぎたので。

大黒 ガイシを経てプレッシャーはありましたけど、自分の中の葛藤はそこでの集客ではなかったです。

咲良 ずっと大きなハコでやってきましたけど、ライブはキャパによって違う楽しみ方があると思うんです。ライブハウスとかだとお客さんと距離が近くて、顔もリアクションもすべて、ちゃんと受け取れるので。

秋本 自由にしていい、という(笑)。

大黒 アルバムの『おわりとはじまり』を引っ提げたツアーで、『プロフェッショナル思春期』のような真面目な曲もあれば、『Kissy-麺』のような面白い名古屋曲もあって。振り幅がすごくて、めちゃめちゃ楽しかったです。

咲良 でも、「VICTORY YEAR」のあとの記憶がない(笑)。そのツアーが始まるまでしか覚えてない。そのあと、何をやっていた?

秋本 『JUMP MAN』がいつ? 

坂本 2018年の2月かな。ツアーからそこまでの記憶が私もないな(笑)。

写真はすべてスターダストプロモーション提供
写真はすべてスターダストプロモーション提供

インタビュー後編はこちら

TEAM SHACHI(チームシャチ)

ももいろクローバーZ、私立恵比寿中学に続くスターダストプロモーションのアイドルグループとして、愛知県出身のメンバーで結成。2012年にチームしゃちほことして名古屋城で路上デビュー。2013年に『首都移転計画』でメジャーデビュー。2018年に改名。2022年にプライベートレーベル「ワクワクレコーズ」から、EP『舞いの頂点を極めし時、私達は如何なる困難をも打ち破る』をリリース。『TEAM SHACHIのF&Cミュージック』(FM AICHI/金曜19:00~)に出演中。

公式HP

「SHACHI SUMMER2023 名古屋城 ~叫べ!夢と希望の銃弾を放つ夜~」

7月22日(土)18:00~名古屋城 二の丸広場

芸能ライター/編集者

埼玉県朝霞市出身。オリコンで雑誌『weekly oricon』、『月刊De-view』編集部などを経てフリーライター&編集者に。女優、アイドル、声優のインタビューや評論をエンタメサイトや雑誌で執筆中。監修本に『アイドル冬の時代 今こそ振り返るその光と影』『女性声優アーティストディスクガイド』(シンコーミュージック刊)など。取材・執筆の『井上喜久子17才です「おいおい!」』、『勝平大百科 50キャラで見る僕の声優史』、『90歳現役声優 元気をつくる「声」の話』(イマジカインフォス刊)が発売中。

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