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韓国オーディション『ガルプラ』経てソロデビュー。川口ゆりな、“国民的美少女”から8年越しの躍進の裏側

斉藤貴志芸能ライター/編集者
撮影/保坂均 衣装協力/ジョイフル恵利

2021年に韓国、中国、日本から選ばれた99人で競うオーディション番組『Girls Planet 999(ガルプラ)』で注目された川口ゆりな。視聴者投票で1位になりつつ、グループ入りは逃したが、帰国後にソロデビュー。2月にはガンバレルーヤとのコラボシングルをリリースする。登竜門の「全日本国民的美少女コンテスト」に入賞したのち、長く日の目を見なかったが、8年を経て躍進。その裏の苦闘と覚悟を語ってもらった。

夢と現実のギャップにずっと焦ってました

――昨年12月、事務所のオスカープロモーションの晴れ着撮影会に、所属から8年で初参加。「目標のひとつだった」と話されてました。

川口 「全日本国民的美少女コンテスト」に出場したのが2014年で、その年にグランプリの髙橋ひかるちゃんが初参加していて。そのとき、オスカーの顔になる若手の方たちが並んでいる姿を見て、私もいつかそこに立ちたいと思っていました。

――裏返せば8年かかったわけですが、焦っていた時期もありました?

川口 ほとんどずっと焦っていました(笑)。夢に描いていた芸能活動と現実にギャップがあって。お芝居を中心にやっていましたけど、オーディションを受けてもなかなか受からず、精神的にダメージを受けていました。同期の髙橋ひかるちゃんや同じ事務所の方たちの活躍を見て、自分と比べてしまったり、「何がダメなんだろう?」と自己嫌悪に陥ったり。マイナス思考だった時期はありました。

――地元の宮崎から、高校3年のときに上京したんですよね?

川口 そうです。高校2年から(国民的美少女コンテスト出身者によるグループの)X21でアイドル活動に参加したので、それまでは週末に飛行機で東京に来ては、イベントに出てレッスンを受けて……という感じでした。

アイドル活動が音楽の道への原点に

――もっと早く東京に行きたい気持ちもありました?

川口 コンテストを受けたときは中学3年で、記念応募みたいな感覚で、芸能界に入ることは想像してなかったんです。宮崎で普通に高校、大学に行って就職するつもりでした。それがまさかの事務所に所属させてもらって、レッスンを受けるうちに、芸能の世界でやっていきたい気持ちが芽生えたんです。だから高校1年くらいからは、早く上京したい気持ちになっていました。でも、当時は東京に来ても、お仕事はありませんでしたから。

――X21での活動は楽しかったですか?

川口 そうですね。音楽活動をやりたいと思った原点です。それまでは女優やモデルを目指していましたけど、もともと小さい頃から、家族でカラオケに行ったり、家で歌ったり踊ったりするのは大好きだったんです。それを仕事にする感覚はなかったのが、X21でステージに立って、照明を浴びてファンの人と一緒の空間でライブをすると、すごく楽しかったです。

――最初から緊張より、楽しい感覚だったんですか?

川口 お芝居のオーディションでは緊張してしまうんですけど、音楽のステージで緊張したことはないかもしれません。高揚感のほうが大きくて。

K-POPへの最後のチャンスは逃したくなくて

――それだけに、X21が解散してから『ガルプラ』を受けるまでの2年は、一番焦っていた時期だったり?

川口 だいぶ焦りが募っていました。X21の解散後は、お芝居一本で頑張ろうと決めたんです。音楽をやるのは難しい環境だったので。それでオーディションからいただいたお芝居のお仕事もありましたけど、やっぱり心の奥にはずっと、音楽をやりたい想いが残っていて。『ガルプラ』の募集を見たのは21歳のときで、ずっと大好きだったK-POPのアイドルになれる最後のチャンスを、逃したくないと思ったんです。

――くすぶっていた音楽への想いに、また火がついた感じですか?

川口 何かアクションを起こさないと……という気持ちもありました。大学に進学せず、芸能一本でやる決意を固めていたのに、自分の限界を感じて「やめたら何の仕事に就けるだろう?」と考えていた時期でもあったので。覚悟を決めて『ガルプラ』に応募しました。

――K-POPは少女時代から好きになったんでしたっけ?

川口 第2世代の方たちも聴いてましたけど、3~4歳の頃からBoAさんの曲で踊っていました。

事務所に黙って韓国の番組に応募しました

――『ガルプラ』以前は、『Nizi Project』とか韓国系のオーディション番組は観ていたんですか?

川口 『Nizi Project』は自分も参加しようか迷いました。でも、事務所所属だと不可だったんです。その時期はオーディションにちょっとずつ通るようになって、お芝居で少し希望が見えてきて。『Nizi Project』は憧れのK-POPの世界への大きなチャンスでしたけど、ふたつ並べたとき、自分がこれまで積み上げてきたものを捨てる勇気はありませんでした。だから『Nizi Project』は複雑な気持ちで観ていて、「やっぱりトライしておけば良かった……」と思ったりもしました。

――あのオーディションから誕生したNiziUは、大人気グループになりました。

川口 それもあって、もし次にこういう機会があったら、やろうと決めていたので、『ガルプラ』には迷うことなく参加したんです。

――『ガルプラ』は事務所所属でもOKでした。

川口 応募資格としては大丈夫でも、オスカーに所属しながら他のグループのオーディションに参加するのは、私の知る限り異例だったので。もし止められたら事務所をやめる覚悟を持って、マネージャーさんに黙って応募しました(笑)。

――参加が決まってから、知られたんですか?

川口 動画審査に受かって次に進むとき、私より先にマネージャーさんに連絡が行ったんです。そこで初めて知られましたけど、最終的には背中を押してもらって、韓国に向かいました。

投票で1位になって恐怖に近いプレッシャーが

――5ヵ月にわたる審査の間には、気持ちの浮き沈みはあったでしょうね。

川口 ありました。K-POPを好きだったので、レベルの高さもオーディション番組の過酷さもわかっているつもりでしたけど、現実はこんなにも辛いのかと。自分の実力のなさを思い知って、身体的にも精神的にもどんどん落ちていきました。

――最初の個人投票で1位になったのは嬉しかったでしょうけど。

川口 いえ、嬉しいという感覚はなかったです。そのときは情報を遮断されていて、自分のことがどんなふうに放送されているのかも、その放送を観て、どんな反応をされているのかもわからなくて。ただ課題をこなしていく毎日で、自分が何か目立つことをした実感はなかったんです。だから、自分より実力が上の人がいっぱいいた中で、99人の1位を獲れたことは不思議で仕方ありませんでした。不安というか、恐怖に近いプレッシャーがのしかかってきて、次のミッションからマイナスな気持ちがパフォーマンスに表れてしまうことが続きました。

――審査するマスターに「1位がこれではダメだ」と言われて、涙する場面もありました。

川口 自分で思っていたことを代弁してくださって、まっすぐ突き刺さりました。あの頃はキツかったです。想像以上に過酷な現実を前にして、自分は精神的に強いほうだと思っていたけど、全然弱かった。不甲斐なさをいろいろ感じていました。

心のバランスを崩して急に泣き出したり

――パフォーマンスで求められるレベルに追い付けないのが、苦しかったわけですか?

川口 自分のやってこなかったジャンルだったので。X21のときはアイドルのパフォーマンスのためのレッスンをしていて、韓国に渡ったら、小さい頃から本格的なダンスをやってきた人たちの集まりだったんです。自分にないスキルがあまりに多すぎて戸惑いましたし、スケジュールも日本とは全然違っていて。

――ミッションが立て続けでした。

川口 経験したことのない進み方に追い付いていくのも必死だし、そこに実力不足や1位を獲ったプレッシャーが精神面に降り掛かって、どんどん押し潰されていく感じでした。

――落ち込みのピークの頃は、どんな状態でした?

川口 すごく体が弱っていました。呼吸ができなくなったり、倒れやすくなったり、何の理由もなくお腹が痛くなったり。急に涙が出てきて、スタッフさんをビックリさせてしまったこともあります。精神と体のバランスが崩れているのはわかりました。あと、私は1人の時間を大事にするタイプだったので、ずっと共同部屋で生活することにも、慣れるまで時間が掛かりました。ただ、参加者のみんなは温かく接してくれて、すごく支えられました。

ファンの方を目にして人格が変わったくらい前向きに

――そういう状況から、どう立ち直ったんですか?

川口 後半のファンミーティングが大きかったです。自分の名前を呼んでくれたり、手を振ってくれるファンの方たちを目にして、「私を応援してくれる人がいるんだ」と実感できて。そこから、すごく前向きになりました。人格が変わったかというくらい(笑)、考え方が180度変わったんです。

――1日でそこまで?

川口 マイナス思考になっていたときは、「私はこの場にいていいのか? 参加したことは正しかったのか?」という気持ちにまで行ってしまって。ファンミーティングを経て、「応援してくれる人たちのために良いものを届けたい」と思うようになりました。それまでは自分のために頑張っていて、他の参加者に迷惑を掛けなくもなかったし、人より良いところを見せないといけないと考えていたんです。そこでファンの人たちの視点に立ったら、精神的にすごく解放されました。自分に掛けていたプレッシャーがスパッとなくなった感じがして、ファンの人たちの存在は本当に偉大だと思いました。

意志表示をはっきりすることを見習いました

――言葉や生活に対する戸惑いもありましたか?

川口 韓国語をしゃべれない状態で渡って、困ったといえば困りましたけど、韓国や中国からの参加者と一緒にいる時間が長くなると、ボディランゲージでコミュニケーションできて。韓国語も少しずつ話せるようになったので、意思疎通は全然大丈夫でした。

――韓国や中国のメンバーとの文化や国民性の違いは感じました?

川口 感じましたね。すごく感化されました。日本人が意志を遠回しに言うのは、相手を傷つけないためであっても、相手からしたら「何を言いたいのかわからない」ということが結構あって。遠慮するとオーディション番組では不利になってしまう。韓国や中国の人たちは良くも悪くも意志表示をはっきりしてくれるから、こちらもわかりやすくて。それで改善できたこともあるので、私もはっきり言うようにしました。

――他の参加者には「お姉さん」と呼ばれて、慕われていたようですね。

川口 ほとんど年下の子ばかりだったので。私は家では末っ子ですけど、そういう子たちと一緒にいると、お姉ちゃんっぽくなっていた感じですね(笑)。

――ゆりなさんは辛いラーメンが好きだそうで、韓国の食は合っていました?

川口 食事は毎日、大好きな韓国料理で嬉しかったです(笑)。

最後に落ちた結果はすんなり受け入れられて

――あれこれありながら、ずっとデビューできる9位以内に入っていたのが、最後に14位となって落ちてしまったのは、やっぱりショックでしたか?

川口 ずっとTOP9にいさせていただきながら、自分の中で何か引っ掛かる部分があったんです。毎回、自分のベストパフォーマンスはできていたつもりでも、最後のステージに立ったとき、「落ちてしまうかも」という予感もありました。だから、ラストは何より楽しもうと思って。ファンの方には「一番良かった」と言っていただきましたけど、結果は14位という。

――観ている分には、まさかの……でした。

川口 応援に応えられなかったことが一番悔しくて。5ヵ月間、一緒に頑張ってきた人たちと一緒にデビューできない寂しさもありました。でも、参加したことにマイナスな気持ちは一切なかったです。他ではできない体験ができて、自分の財産になりました。だから、結果はわりとすんなり受け入れられました。

――自分では受かるつもりでいたのに……ということもなく?

川口 それはなかったです。やっぱり予感はあったので。ファンの方には申し訳ないし、いろいろな感情が混ざり合って涙は出ました。でも、参加したみんなやファンの人たちと出会えて良かった、という気持ちのほうが大きかったです。

――覚悟を決めて参加した分、ダメージを引きずったりもしませんでした?

川口 ダメージはなかったです。この先、ファンの方たちの期待に応える姿をどう見せていこうかと、考えていました。

ソロ活動は何回かお断りしたんです

――帰国してから、反響の大きさを感じたのでは?

川口 携帯を預けていて、日本で観ていただいた方がいるのか、わからなかったんです。まずインスタグラムのフォロワー数が100倍になっていて、ビックリしました。

――現在は51万人を超えています。

川口 お仕事もたくさんいただいて、どの現場でもスタッフさんやタレントさんから「観てました」と言われました。街を歩いていても、若い世代の方に声を掛けていただくことが増えて、すごく観られていたんだと実感しました。

――そしてソロデビューとなりましたが、選択肢にあったことですか?

川口 まったくなかったです。グループでやりたい気持ちが強かったし、日本で音楽をやることも考えていませんでした。K-POPの世界で生きていきたい想いが強くなっていたので、また韓国に渡って改めてデビューを目指すか。逆に今の事務所で、きっぱり違う方向のお芝居やモデルに行くかを悩んでいたんです。だから、ソロのお話は何回かお断りさせていただきました。

ファンの方たちの望む姿を見せたくて

――すぐソロ活動に移行したわけではなかったんですね。

川口 実力不足で『ガルプラ』に落ちて帰ってきたのに、1人ですべてを担っていく自信もなかったんです。でも、声を掛けていただいたスタッフさんが『ガルプラ』で私を観て、どう思ったかを熱く語ってくださって。あと、ファンの方のメッセージでも、どんな形であれ、私がパフォーマンスをする姿を観たいという声が本当に多かったんです。

――そうでしょうね。

川口 私自身、ファンの方の望む形でありたいと思っていて。また韓国に渡ってもデビューできるかは不確かで、できたとしても時間がかかる。その空白を作ってしまうのも申し訳ないなと。それで、ソロアーティストとしてやっていく覚悟を決めました。

――実際、グループと感覚は違いました?

川口 それまでグループの中での自分の姿を見ていただきましたけど、自分1人で全部を背負うのはまったく違いました。グループだと全体のことを考えないといけなくて、ソロだからこそ、いろいろチャレンジできるのは良いなと思います。

経験から伝えたいことを歌詞に織り込みました

――デビュー曲の『Look At Me』では作詞も手掛けました。

川口 スタッフの方たちが「制作から一緒にやろう」と言ってくださって。作詞もですけど、コンセプトを考えたり、衣装やメイクにも携わって、私は意外とそういうことが好きなんだと気づきました。

――『Look At Me』の<どんな痛みも失敗も明日には誰も覚えてない>といったフレーズは、ゆりなさんの実感ですか?

川口 自分の経験を経てファンの方に伝えたいことは、たくさん織り込んでいます。2月にリリースする『Cheeky Cheeky』でも作詞に参加させてもらいました。

――ガンバレルーヤとのコラボ曲ですが、それもゆりなさんの希望だったとか。

川口 よしこさんがSNSで『ガルプラ』の曲を踊ってくださっているのを観て、元気をもらっていたので、お礼をしたいと思っていたんです。楽曲をコラボするというより、何らかの形でご一緒できたらとお伝えしたら、「歌もダンスもやります」と言っていただいて。お遊びなしのガチでいこう、ということになりました。

――発表会では、ユニット感のあるキレキレのダンスを披露していました。

川口 お2人の努力のおかげです。レッスンの予定がなかった日にも、時間が空くと「リハを組めませんか?」と積極的に取り組んでくださって。完成度がどんどん高まって、MV撮影でも完璧でした。

新曲はガンバレルーヤさんとの調和を第一に

――『Cheeky Cheeky』の楽曲制作では、どんな意見を出したんですか?

川口 『Look At Me』は決意表明の曲にしたくて、凛々しさを出しました。2作目の『Cherish』では、ファンの方たちが本来持っている川口ゆりなのイメージで、柔らかい雰囲気にしました。今度の『Cheeky Cheeky』はガンバレルーヤのお2人と私でハマるように、ちょっとセクシーで強めにしています。それで“生意気”という意味の“Cheeky”をタイトルにしました。私のやりたいことというより、うまく3人の個性を出せることを第一に考えています。

――絶妙なラインになったようですね。

川口 ガンバレルーヤさんのファンの方たちの中に、私のことを知らない方がたくさんいらっしゃるので、調和が取れるように、お2人との距離を早く縮めることも意識しました。楽曲制作には今回から新たな韓国のチームに入っていただいて、サウンド的には洋楽っぽく、どこか懐かしい感じになりました。トレンドのY2K感もあって、かつ私たちにハマるコンセプトをうまく実現できたかなと思います。

海外のファンの方に会いに行きたくて

――いずれ世界進出も視野に入れているんですか?

川口 海外にも私のファンの方がたくさんいてくれて、まだ会いに行けてないので。今年こそ、海外でのファンミーティングやライブができたらいいなと思っています。

――語学の勉強も続けているとか。

川口 5ヵ月間で身に付けた韓国語のスキルは、帰国してもなくしたくなくて。中国出身のシャオティンとのボイスメッセージのやり取りを韓国語でしたり、日常で話す状況を作っています。あと、韓国の映画やドラマを耳で聴いて、わからない部分だけ字幕を見たり。私の大好きなアーティストで俳優でもあるIU(イ・ジウン)さんの作品などは、長くても面白いので止まらなくなりますね。

――『マイ・ディア・ミスター』とか名作ですよね。

川口 私は『ホテルデルーナ』が一番好きです。IUさんは役に憑依して、アーティストのときと目が違うのが、すごく魅力的です。

25歳までに理想の自分を表現できるように

――ゆりなさん自身、今はアーティストとモデルの活動が中心ですが、また女優もやっていく意向はありますか?

川口 もちろんです。好きなことは全部やりたくて。アーティストとモデルの活動を始めて、もうすぐ1年。自分の中で切り替えに慣れてきました。それぞれの表現の引き出しも増えているので、どんなこともできるスタイルを目指していきたいと思います。

――今は明るい未来が見えている感じですか?

川口 “ガルプラの川口ゆりな”のイメージを更新できるように頑張りたいです。もうそれでは通用しなくなるし、自分でもそこに止まりたくはなくて。

――焦りはもうないのでは?

川口 今年24歳で、目前の25歳までに成し遂げたい目標は結構あるので、のんびりはしていられません。頭の中にある理想の自分を、表現できるようになりたくて。それと、(『ガルプラ』から生まれた)kep1erがあと1年半と限られた時間の中で活動しているので、その間に一緒のステージに立ちたい気持ちはすごくあります。

――理想の自分像はもうあるわけですか?

川口 はい。さっき挙げたIUさんがアーティスト、俳優、モデルをされている姿に憧れます。でも、川口ゆりなオリジナルの表現も磨いていきたいですし、ファンの方とのコミュニケーションも頑張りたいと思っています。

――IUさんはヴィジュアルやソングライティングも含め、すべてに超一級で高い目標かと思いますが、ゆりなさんもそういう存在になりそうなイメージがあります。仕事以外でも成し遂げたいことはありますか?

川口 2022年のプライベートを聞かれると、何も頭に浮かびません(笑)。ラーメンをほぼ毎日食べてしまったので、今年は体のことを考えて週2回……でなくて、週3回くらいにしておきます(笑)。

オスカープロモーション提供
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Profile

川口ゆりな(かわぐち・ゆりな)

1999年6月19日生まれ、宮崎県出身。

2014年に「第14回全日本国民的美少女コンテスト」で演技部門賞。2021年に韓国で日中韓ガールズグループオーディション番組『Girls Planet 999:少女祭典』に出演。2022年2月より「MORE」(集英社)で専属モデル。同年3月にデジタルシングル『Look At Me』でソロデビュー。2月6日にKawaguchi Yurina×ガンバレルーヤとして『Cheeky Cheeky』を配信リリース。

芸能ライター/編集者

埼玉県朝霞市出身。オリコンで雑誌『weekly oricon』、『月刊De-view』編集部などを経てフリーライター&編集者に。女優、アイドル、声優のインタビューや評論をエンタメサイトや雑誌で執筆中。監修本に『アイドル冬の時代 今こそ振り返るその光と影』『女性声優アーティストディスクガイド』(シンコーミュージック刊)など。取材・執筆の『井上喜久子17才です「おいおい!」』、『勝平大百科 50キャラで見る僕の声優史』、『90歳現役声優 元気をつくる「声」の話』(イマジカインフォス刊)が発売中。

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