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SKE48を卒業する須田亜香里。「ブスから神7」への苦渋とノースキャンダルの本当のところ

斉藤貴志芸能ライター/編集者
撮影/松下茜

31歳の誕生日の翌日の11月1日にSKE48を卒業し、13年に渡ったアイドル活動に終止符を打つ須田亜香里。“握手会の女王”と呼ばれ、容姿いじりも逆手に取って個人活動を広げ、選抜総選挙では2位にまで躍進。波乱続きのアイドル人生の最終章に思うことは?

体が痛くても100%から下げたくなくて

――卒業に関するコメントの中に「体力の限界」とあって、「アスリートか?」と思いましたが(笑)、30代になると来るものがありました?

須田 28歳ごろから、肩や肩甲骨あたりの筋肉を痛めることが、ちょいちょいあったんです。私は東京と名古屋の移動が多いからか、肩凝りもひどくて。そのままライブをしていたら、半年に1回くらい、肩が激痛で一切動かなくなることもありました。

――シャレにならないくらい、体を酷使したアスリートばりの体調だったんですね……。

須田 ライブの翌日にベッドから起き上がれなくて、次の仕事に支障が出るから、鍼に行ったり。20代前半にも疲れが溜まるとそういうことがありましたけど、すごく頻繁になったので、限界に近づいているなと思っていました。

――すべてに手を抜かずやってきた裏返しでもあるんでしょうけど。

須田 自分の100%からレベルを下げたくなかったんです。昔できたことを年齢を理由にセーブするとか、私の中ではあり得ないので。たとえば蹴りの脚を下げたり、ジャンプを低くしたくない。良い自分しか見せたくない意地もありました。昔の私はビュンビュン跳べたし、1日2公演も平気でできました。今は1公演でもキツくて……。

――100%を見せられないなら、卒業するしかないと?

須田 卒業を発表する直前は「いいのかな? 言ってから後悔しないかな?」と、ちょっと不安があったんです。でも、公演に出て発表した翌日も、体が痛くてベッドから起きられなくて。「ほら、これでは続けられないよね」と自分で納得できたんです。発表して正解でした。

心配と応援をゴッチャにされないためにけじめを

――アイドル以外の仕事でも、「これは100でやって、あれは80で」みたいなことはしてなかったんですね。

須田 そんな器用なことはできません(笑)。100か0。やるか、やらないかしか私には選択肢はなくて、やるならしっかりやる。それだけでした。力の抜き方がわかれば良かったのかもしれませんけど、最後までわからなくて。タイムリミットを決めて、そこまで全力でやるほうが、私は踏ん張れるかなと思っていました。

――卒業は2年前から考えていたそうですね。あと、「ファンの方に辛いと想像されるのもイヤ」という話も出ていました。

須田 無理しているのは、ファンの方にバレていました。たとえば、朝まで生放送のラジオをやったあとに昼にステージに立っていたら、「寝てないんだ」という前提で見られるじゃないですか。心配ベースで応援されるのは、アイドルとしてちょっと違うかなと。もっと純粋に楽しんでもらいたいけど、今の状況では難しい。それでずっとモヤモヤしていたのも、卒業の理由のひとつでした。心配と応援をゴッチャにしてもらいたくなくて、けじめを付けなければと思ったんです。

――アイドルを卒業したら、体は楽になりそうですか?

須田 なると思いますし、私のことを本当に好きでいてくれる方は、たぶん私がおばあちゃんになっても一緒に笑ってくれるので。そういう濃いファンの方たちとは、体の不安がなくなれば、お互いハッピーな空間で尊敬し合える。もはや“ファン”の範ちゅうかもわかりませんけど、そういう関係性で今後もいきたいんです。私がアイドルでなくなっても、人として見てくれるファンの方がいるなら、一生大切にしたい。もちろん、アイドルの私にしか興味がない方もいるでしょうから、そこで傷つくのか、受け止められるのかは、そのときが来ないとわかりません。ただ、今が切り替わるタイミングなのかなと思っています。

自分では王道アイドルだったと思ってます(笑)

――アイドルとしてやり残したことは、もうない感じですか?

須田 なさそうです。コロナ禍の最中に「また握手会をしてから卒業したい」と発言していたときも、「アイドルをやめても握手はできるよ。だから自分を大切にして」と言ってくれるファンの方がいたんです。私の人生の時間やメンタルを削ってまで、アイドルを続けることを望んでない人もいてくれるとわかったら、ちょっと気が楽になりました。

――亜香里さんももともとは、渡辺麻友さんのような正統派アイドルを目指していたんですよね?

須田 もともとというか、大差ないです(笑)。そう言うと語弊がありますかね? 私を邪道という人も多いですけど、自分では王道だと思っています。王道なことしか、してきませんでした。王道を極めすぎると、王道でなく見えるのかなと思うくらいです(笑)。

――バラエティでパンストを被るのも王道ですか(笑)?

須田 だって、仕事ですから(笑)。仕事を一生懸命やるのは当たり前。面白いことをしようとは考えてなくて、みんなが幸せになる方向に行きたいだけなんです。

――確かに、そういう発想はアイドル的ですね。

須田 アイドルからハミ出しているように見られるのは、いまだに違和感しかありません(笑)。

ブスと呼ばれて自分は人にやさしくしようと

――5年前に出版された『コンプレックス力』にもあったように、ルックスにも自信を持っていたんですよね?

須田 それは変わりました(笑)。世間の人はやさしくなかった。自分ではかわいいと思ってアイドルになったら、「かわいくない」とたくさん言われて。傷つきもしましたけど、まあ、そう見る人もいるだろうし。自分をブスだと認めるのではなく、価値観は人それぞれ。私は人を見た目で判断するのはやめよう。顔がかわいくないだけで悪く言う人になったらいけない。人にやさしくしよう。そう考えて、冷静に学びました。

――素晴らしい心掛けですが、自分をかわいいと思っていた分、ブス呼ばわりされると、ショックは大きかったのでは?

須田 ショックでしたし、何より親がかわいそうで……。だって、自分の娘が人から「ブス」と言われるんですよ? 『コンプレックス力』の帯に「ブスから神7」と書かれていて、私も「エーッ!?」となりましたけど、スタッフさんが引きがあると思って決めてくれたことで、何かのきっかけになればと受け入れたんです。でも、ファンの方も、私にひと目惚れした人もいたわけですから、「何で?」と怒っていました。家に帰ったら、両親に「帯を変えてもらえないの?」と聞かれて。「もう刷っちゃったから」と言いましたけど、そのときは苦しかったです。

――公には、そういう素振りは見せませんでした。

須田 バラエティの現場では、それを傷つける言葉としてでなく、プロの方たちが場を和ませるように使ってくれたんです。私も「ブス」と言われてもイヤな気持ちはしなかったし、まさにみんなが幸せな気分になれて。バラエティのお仕事をできて一番良かったと思うのが、そこでした。

メンタルが強くはないと思います

――不本意な面はあったにせよ、結果的には目を引くキャッチフレーズになりました。

須田 親しみやすさは感じてもらえたと思います。今は自分のことをかわいいとも、ブスだとも思っていません。普通だなと(笑)。

――逆に、かわいさで勝負するタイプだったら、今の亜香里さんのようにはなれていなかったかも。

須田 そうですね。今はどう言われようと気にしませんけど、アイドルというだけで、誰かが決めた“かわいい”の基準を満たすことを求められたり、そういう視点で見る人が多いんだと、文化として感じました。

――精神的にもタフだったんですね。

須田 いや、タフではないと思いますよ。人にやさしくありたいだけ。「ポジティブですね」と言われますけど、そうでもないぞと。みんなと同じではないですかね。

――エゴサをしたりはします?

須田 するときもありますけど、する理由は人とちょっと違うかもしれません。コメンテーターのお仕事で、私は思ったことを正直に話していて、その発言の受け取られ方を知りたいんです。私がテレビに出るうえでの基本は、人を傷つけないこと。良かれと思って言ったことでも、うまく伝わらずに傷ついた人がいたなら、次は伝え方に気をつける。その確認と調整のためのエゴサです。

――とはいえ、自分に対する心ない言葉も目にしませんか?

須田 「ブス」と書かれていても、「そこを見ていたんだ」と思うだけです。知りたいのは、話したことの受け取られ方ですから。

――やっぱりメンタルが強いように思います。

須田 いちいち真に受けていたら、自分が崩れるだけ。実際に崩れたこともあったから、真に受けないようにしているので、強いのとは違う気がします。

等身大の私が言葉にしなかったことが歌詞に

――最後のシングル『絶対インスピレーション』収録の卒業ソロ曲『私の歩き方』について、何か要望は出したのですか?

須田 出していません。SKE48の2枚目のアルバムに入ったソロ曲『今の私じゃダメなんだ』の歌詞で、「秋元(康)先生はこんなに私のことを知ってくださっていたんだ」と思ったし、それより前に松村香織ちゃんと歌った『ここで一発』も、2人のSKE48人生を歌詞にしていただいて。ドキッとしたり、勇気をもらえました。今回、もし私が「こういう曲がいいです」と言って、先生が私に対して思ってくださることと違うものになったら、イヤだなと思ったんです。先生からのお手紙を待つような気持ちでした。

――実際に上がってきた『私の歩き方』はどう思いました?

須田 まず歌詞だけ読んでも、ジーンとして涙が出ちゃうくらい、私の道のりを書いてくださったように思いました。歌詞のひとつひとつを見て「この言葉を伝えたい相手はあの人だな」とか、<何ができて何ができなかった?>は「あのことかな?」とか、答え合わせをするようで楽しかったです。

――亜香里さんは何ができて、何ができなかったと?

須田 デビュー当初は、うまく周りを見て行動できなかったし、今以上に自分のことしか考えられませんでした。でも、その頃の自分がいたから今の自分がいるので、完璧でなかったことを恥ずかしいとは思っていません。昔はできていなかったと、気づけただけでも成長だと考えながら、詞を読んでいました。

――思い浮かぶ光景もありました?

須田 アイドルの私というより、ステージを降りた等身大の私が言葉にしてこなかったことが、多く書かれていると思います。

学校では経験できなかった青春を感じていました

――<青春よGood-bye>は今、実感しているところですか?

須田 はい。長すぎる青春でしたけど(笑)。私は高3の終わりにSKE48に入って、オーディションを受けたとき、「高校生活で青春っぽいことをしなかった」という後悔を持っていました。中・高ずっと部活に入らず、学校とクラシックバレエと塾の往復だけだったので。高3の夏、みんなが部活の追い込みをしている姿を横目に下校して、私はチームで何かに打ち込む経験をしてないと思ったんです。

――バレエではそういう部分はなかったんですか?

須田 私はプライドが高くて、バレエでも自分が一番になることしか考えていませんでした(笑)。そんな頃にSKE48に興味を持って「みんなで何かをするって、どんな感覚なんだろう?」と、オーディションを受けたところもあります。最初はなかなか馴染めなかったし、一番になりたい気持ちは根本にありましたけど、みんなとダンスを合わせたり、その中で個性を出す方法を考えるのは楽しかったです。

――SKE48では青春を味わえたと。

須田 そう感じられました。12歳の子と一緒の曲を歌ったり、同じ会話で笑ったり、ずっと若い自分でいられて。みんなでレッスンしたり、輪になってお弁当を食べたりしたときが、青春っぽかったです。

――そういうことは、グループを離れるとなくなりますよね。

須田 そうですね。今までも個人の仕事をしつつ、グループに戻れば、みんなで役割分担をして頑張れました。私はチームのリーダーでも、仕事をしやすい環境作りに徹していて、みんなに頼ることのほうが多かったんです。そういう場所から抜ける実感はすごくあります。もちろん覚悟は持っていますけど、しょうもないことで甘える相手はいなくなるなと。

――最後のMV撮影などで、胸にくるものはありました?

須田 AKB48グループのMV撮影って、カメラの台数が多くてクレーンもあって、規模が大きいんです。この華やかな景色が恋しくなったとき、そこに私1人でも行けるようになるには、どうしたらいいだろうと考えていました。最後のカットを撮って、花束と私の写真がプリントされた大きなケーキをいただいて、スタッフの皆さんがクラッカーを鳴らしてくださったときは、ウルッときました。

須田亜香里卒業コンサートより(C)2022 Zest, Inc. / AEI
須田亜香里卒業コンサートより(C)2022 Zest, Inc. / AEI

自分に来るチャンスが他の人に行くのが怖くて

――恋愛に関しては、これから青春を取り戻す感じですか?

須田 そうです! 人生まだまだ、これからなので(笑)。

――囲み取材で「表参道で手を繋いでデートをしたい」と話していました。

須田 テーマパークでデートするのも夢ですね。仕事人間すぎて、テーマパーク自体、高2で行ったのが最後なんです。計画を立てて「この日はお仕事を入れないでください」と言うことが、ずっとできませんでした。私がプライベートの時間を過ごしている間に、自分に来たはずのチャンスが他の人に行くのを想像するだけで怖くて。

――欲しがりますね(笑)。

須田 逆に、他の人に行くはずのチャンスが二番手の私に来るなら、それも逃したくない。だからスケジュールが空いていても、そのままにしておいて、休みは全然取りませんでした。グループを離れて個人だけで時間を管理できるようになれば、健康重視でスケジュールも組めると思うので、そこも楽しんでいきたいです。

ときめきに正直に行動できなかっただけなんです

――13年間、ノースキャンダルで来た亜香里さんですが、心が揺れることはありませんでした?

須田 素敵だなと思っても、そこからどうしていいかわからなかったので、何もなかったです。発展する想像もしませんでした。リスクが苦手なんでしょうね。もっと本能を大事にできなかったのかと思うくらい、仕事しか見えていませんでした。だから、スキャンダルがなかったことがすごいとも、誇らしくも思っていません。ただ自分のときめきに正直に行動できないだけの人間なのに、そこを誉められると恥ずかしいくらいです(笑)。

――今後は解放していこうと?

須田 自分としっかり向き合うための卒業でもありますけど、これからも仕事は大切だから、生活の中に恋愛というものが組み込まれたとき、どうなるのか。人を好きになりながら、どうやって仕事をするのかがわからなくて、めっちゃ怖いです。

――亜香里さんの言う「人生を味わい尽くしたい」というところで、結婚や子育てまで視野に入れるなら、あまりゆっくりもしていられませんかね?

須田 年上の女性ファンの方から「子どもが欲しいなら、体のことも考えないと間に合わなくなってしまうよ」というお手紙もいただきました。そうなんだよな……と気づきつつ、今の私に子育てができるとは思えません。自分のことだけで手いっぱいなのに、子どもがいたら、どうやって生きていくんだろう? いきなり結婚も無理で、まず私に人を好きになる能力があるのか。そして、相手と両想いになれる力量があるのか、試してからの話ですね。

須田亜香里卒業コンサートより(C)2022 Zest, Inc. / AEI
須田亜香里卒業コンサートより(C)2022 Zest, Inc. / AEI

MCとして良いスパイスでいるのを課題にしていて

――卒業したら、テレビタレントというスタンスになりますか?

須田 テレビに出るのは子どもの頃から憧れだったので、これからも出られる人でありたいです。それ以外だとラジオも大好きだし、文章を書く仕事も最近になって、続けていきたいと覚悟ができました。

――新聞連載をまとめた『てくてく歩いてく』が出版されました。

須田 お渡し会をしたとき、「本を出せばファンの方と会えるんだ」と思ったんです(笑)。あと、自分の頭の中にあるものを書くのが恥ずかしい感覚があって、「こんなの誰が読むんだろう?」と不安だったのが、連載を読んでお渡し会に来てくれた人や、私の文章を好きと言ってくれる人がいて。そういうきっかけで生まれる縁があるんだと思うと、頑張りたい気持ちに変わりました。

――ロールモデルにしている人はいますか?

須田 いないかもしれません。今は名古屋でのレギュラー番組が多いのが嬉しくて。これからも地元の番組にたくさん出たいし、地元の人に喜んでもらうためにも、全国放送にも出ていける人になりたいです。

――MCも目指していますか?

須田 やりたいです。『熱闘!Mリーグ』でアシスタントMCとして、爆笑問題の田中(裕二)さんの隣りに4年くらい立たせてもらっていますけど、なかなか難しいですね。しゃべりすぎてもいけない。ゲストさんの話が広がるように、いかに良いスパイスでいるか、ずっと課題として考え続けています。最近、麻雀の知識も増えて、自然に話せるようになってきたので、もっと自分の手応えにしていけたら。せっかく田中さんの横で、貴重な経験をさせていただいているので。

――学ぶことは多いでしょうね。

須田 そうですね。しかも、田中さんが休養されていたとき、太田(光)さんが来てくださって、こんなに番組の色が変わるのかと新鮮でした。太田さんは嵐みたいにかき乱しているようで、実は考えがあったり、隣りで見ていると本当に気づきが多くて。今後もいろいろな番組で、いろいろな方の隣りに立つことも目標です。

演技で飛び級した部分をちゃんと学べたら

――女優業もやっていくんですか?

須田 卒業したら、限りなく何でもやりたいと思う中のひとつが、お芝居です。これまでもやらせてもらって、主役もいただきましたけど、今それを言うのはちょっと恥ずかしくて。もちろんすごく好きな作品で、経験は宝物です。でも、アイドルをやっていただけで、お芝居の勉強を何もしてなかった私が、いきなり主演して「代表作です」というのはおこがましい。女優さんが積まれるプロセスをすっ飛ばして、飛び級してしまったので、その間の部分をちゃんと学びたくて。お芝居の稽古を受けたいと、事務所とお話ししています。

――改めて演技の基礎から始めようと?

須田 アクションにも興味ありますけど、自分に足りないものと欲しいものを一度はっきりさせる時間が欲しいんです。今まで振りを覚えたり、ダンスのレッスンに使っていた分を、そういう時間に当てられたら、もっと充実すると思っています。

――卒業を決めた理由のひとつには、1人でもやっていける自信ができたのでは?

須田 逆です。私もそういう手応えができたら卒業しようと思っていましたけど、手応えはないままです。アイドルの私だから使ってくださった番組もあるかもしれないので、今までは卒業する勇気が出ませんでした。でも、問われているのは、たとえ卒業して仕事が減ったとしても、また増えるように努力する勇気があるか、ないかだと思ったんです。だったら、卒業する価値はあるかなと。

――アイドルとしてであっても、これだけテレビで声が掛かるのは、自信に繋がりませんでした?

須田 グループで得たことには自信があります。カメラの画角に自分がどう入っているかは、すぐわかります(笑)。大人数の中で抜かれないことが多かったので、端っこにいても自分は画角に入っているのか、人に隠れているのか、ここにいれば映るとか、そういうことはめちゃくちゃわかります(笑)。

――トーク力に自信は?

須田 特にないです(笑)。実はトークバラエティが一番苦手。オチのある話に自信がなくて。ただ人と楽しい時間を過ごしたい想いだけで、ここまでやってきました。

――そこはアイドルとしてのスタンスに通じているんですね。

須田 自然体で、テレビを観ている人が楽しめる出方はしたいです。

モヤモヤを抱えながら生きたくはないです

――5年後、10年後のヴィジョンはありますか?

須田 まったくありません。生きていれば何でもいいです(笑)。10年後も絶対に芸能界にいたいとも思っていなくて。真摯に向き合える仕事なら、何をやっていてもいいです。ただ、「本当はあれがしたかったのに」とモヤモヤを抱えながら生きる人にはなりたくなくて。自分がしたいことを叶えられて、人にやさしくいられたら、職業は何でも構いません。

――人にやさしいことも貫くんですね。

須田 私がやさしいかと言ったら、そうでもありませんけど(笑)。自由だし、気は強いし、口が悪い日もあります。基本的には全然やさしくないですけど、故意に誰かを傷つけるようなことはしません。

――ファンの方との関わり方はどうなっていきますか?

須田 引退してしまったら、関われなくなるのかもしれませんけど、それまでは良い絆が成り立っていたら、年に1回は同窓会をやるとか、そんなノリでもいいですね。

――何だかんだ言いながら、亜香里さんはずっと芸能界で活躍を続けている気がします。

須田 ご縁次第ですね。一緒に仕事をして楽しいと思われる人でいられたら、きっと続けているでしょうし、これからの私のあり方次第だと思います。

撮影/松下茜

Profile

須田亜香里(すだ・あかり)

1991年10月31日生まれ、愛知県出身。

2009年にSKE48の3期生オーディションに合格。2010年11月発売の4thシングル『1!2!3!4! ヨロシク!』から選抜メンバー入りを続けて、2020年1月発売の26thシングル『ソーユートコあるよね?』で初のセンター。個人で『熱闘!Mリーグ』(テレビ朝日)、『ドデスカ!』(メ~テレ)、『スイッチ!』(東海テレビ)にレギュラー出演中。『てくてく歩いてく -わたし流 幸せのみつけ方-』が発売中。

『絶対インスピレーション』

10月5日発売

Type-A・B・C(CD+DVD) 1750円(税込)

劇場版(CD) 1150円(税込)

Type-A初回盤(須田亜香里ソロ曲『私の歩き方』収録)
Type-A初回盤(須田亜香里ソロ曲『私の歩き方』収録)

芸能ライター/編集者

埼玉県朝霞市出身。オリコンで雑誌『weekly oricon』、『月刊De-view』編集部などを経てフリーライター&編集者に。女優、アイドル、声優のインタビューや評論をエンタメサイトや雑誌で執筆中。監修本に『アイドル冬の時代 今こそ振り返るその光と影』『女性声優アーティストディスクガイド』(シンコーミュージック刊)など。取材・執筆の『井上喜久子17才です「おいおい!」』、『勝平大百科 50キャラで見る僕の声優史』、『90歳現役声優 元気をつくる「声」の話』(イマジカインフォス刊)が発売中。

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