原田知世が深夜ドラマ『スナック キズツキ』(テレビ東京系)に主演している。傷ついた人だけがたどり着く、アルコールを置いてないスナックのママという役。原田といえば、10代で青春映画の名作『時をかける少女』に主演。そして、53歳の今も変わらぬ清廉さを持ち続けている。一方、アイドル女優からスタートした彼女の活動は、時代ごとに例のない変遷を見せてきた。

神秘的な少女がバブルな映画で復活

 原田知世のデビューは中3だった1982年。薬師丸ひろ子に続く角川映画の新人女優オーディション出身で、ドラマ版『セーラー服と機関銃』が主演でのデビュー作となった。当時はロングヘア―だったが、翌年にバッサリとショートカットにして映画『時をかける少女』に主演。後に何度もリメイクされる伝説的名作の中で、透明感のある中性的な存在感は唯一無二のもので、どこか神秘的でさえあった。

 松任谷由実が作詞・作曲した主題歌『時をかける少女』も自ら歌ってヒット。声量に乏しくたどたどしさを感じるボーカルながら、だからこそ今にも時の狭間に消えてしまいそうな少女のイメージを体現していた。

 その後も『天国にいちばん近い島』や『早春物語』などに主演して主題歌も歌い、アイドル女優として人気を博す。ただ、少女性が大きな魅力だっただけに、20歳に近づくに連れて人気は下火となり、話題になることが少なくなってきた。

 ところが、20歳になった1987年に主演した映画『私をスキーにつれてって』が大ヒット。スキーブームを巻き起こしたこの作品で、ニットキャップにサングラスの原田がゲレンデで「バーン!」と銃を撃つ仕草をするテレビCMも大量オンエアされて、彼女は再び脚光を浴びた。神秘的な少女からバブルの象徴的な映画で復活した形となった。

歌手活動で北欧ポップの先駆者に

 歌手活動でも脱アイドルを図る。フレンチポップの名曲『彼と彼女のソネット(T'EN VA PAS)』のカバーをしたりもしたが、セールス的にはアイドル時代に遠く及ばない結果に。当時は今以上にアイドル歌手からアーティストへの転身は難しく、売れたアイドルほど定着したイメージを脱却できないまま、音楽は撤退して女優やタレント業に専念することが大半だった。

 しかし、原田知世は音楽を続けた。腰を据えてアルバム制作に取り組み、1992年からはムーンライダーズの鈴木慶一プロデュースで3作をリリース。セールスはオリコン80位などやはり低調だったが、また大きな転機が訪れる。

 1996年、スウェーデンでカーディガンズを手掛けたトーレ・ヨハンソンをプロデューサーに迎え、シングル『ロマンス』がオリコン39位と久々にヒット。この曲を含む全曲を自ら作詞した1997年のアルバム『I could be free』は外資系レコード店でも注目され、オリコン10位と11年ぶりのTOP10入りを果たした。今でこそスウェディッシュポップに取り組むアーティストは少なくないが、当時はパイオニア。トーレが日本人をプロデュースしたのも初だった。

 アイドル歌手時代とアーティスト時代の原田はイメージが重ならない。あえて言えば、か細い歌声を自覚的に有効に使うようになったというところだが、その分、音楽から新たなファンを開拓した。原田自身が当時「『時をかける少女』を知らない若い方がファンになってくれています」と語っていて、実際にライブでは客席の前と後ろで観客の年齢層やノリが全然違っていた。

映画で味のある演技を見せてドラマに復帰

 女優としては、ドラマ『デッサン』に主演などした時期を経て、30代後半には映画に完全に重心を戻す。黒木和雄監督の遺作『紙屋悦子の青春』で戦時下に特攻隊員への想いに揺れる役で主演したほか、『姑獲鳥の夏』、『大停電の夜に』といった渋めの作品で、味のある演技が評価されていく。

 そして、43歳になった2011年、朝ドラ『おひさま』で井上真央が演じたヒロインの母親役でドラマに復帰。2014年に『紙の月』、2016年に『運命に、似た恋』とNHKのドラマでの主演が続いた。『紙の月』では年下の大学生のために横領に手を染める銀行員の役で、長く持ち味にしている清純イメージを越えて熱演した。

 そうした中でも、原田自身は年齢を重ねつつ、10代の頃の清廉さが損なわれることはなかった。かつ、大人になったからこその温かみも醸し出すように。44歳のときに公開された主演映画『しあわせのパン』では、北海道の洞爺湖のほとりでオーベルジュ式のパンカフェを営む夫婦を大泉洋と共に演じた。

 『時をかける少女』の頃に戻したようなショートカットで、何かを抱えて訪れた客たちに「素朴なパンもいいですよ」などと話し掛けて、心を柔らげる。そういう点は『スナック キズツキ』とも通じ、撮影の合間に草原で写真を撮る原田の姿に、大泉が「天使がいる」と言ったとか。それはスクリーンで観てもうなづけた。

朝ドラから『あな番』で50代でも脚光

 50代に入った2018年には、再び朝ドラ『半分、青い。』で佐藤健が演じたヒロインの幼なじみの母親役に。おっとしりして明るく、『マグマ大使』のゴアや金八先生のものまねをするという独特なキャラクターだった。

 さらに、2019年には『あなたの番です』に田中圭とW主演。民放の連ドラの主演は13年ぶりで、15歳の年の差婚をした姉さん女房という役どころ。2クールの前半で毒殺されるショッキングな展開だったが、ドラマは話題を呼んだ。原田も「変わらずかわいい」といった脚光を浴び、またも幅広い注目を呼び起こした。劇場版がこの12月に公開される。

 そして、『スナック キズツキ』でテレビ東京系のドラマに初出演にして初主演。スナックのママ役で、生活の中で傷ついて辿り着いた客を「今日もお疲れさま」と、体に染みる飲み物とおいしい料理で出迎える。ギターを爪弾いたりして客に溜め込んでいたことを歌わせ、発散させていく。

(C)「スナック キズツキ」製作委員会
(C)「スナック キズツキ」製作委員会

ドラマでまた歌声を堪能できるか

 『スナック キズツキ』について、ネットでは「日常のストレスを掬い取ってくれる愛とやさしさを感じた」などと評判は上々で、原田にも「あの声で言葉少なに語り掛けられるとやっぱり癒される」「この年齢になっても独特な透明感を失わないで感心する」などと称賛が寄せられている。

 誰もが語るように、原田知世の本質は少女時代から変わらなく見える。だが、その活動の重心や立ち位置は時代ごとに変化してきた。これほど行きつ戻りつで移り変わった例は他に見ないほど。だからこそ、戦略ではなかったのだろうが、浮き沈みの激しい芸能界の一線で、押しは強くなくても40年にも及ぶ活躍を続けていられるのだろう。

 ところで、『スナック キズツキ』の2話では、原田はピアノを弾きながら、平岩紙が演じた客を先導するように歌った。今後もこういう場面はあるのだろうか。歌手活動を柱にしていた時期もあるだけに、ドラマの役としてではあれ、久々にテレビで原田知世の歌声を堪能したいところではある。