Yahoo!ニュース

元・日本テレビの青木源太アナ 「やり甲斐ある仕事を続けるため」フリーになった選択への確信

斉藤貴志芸能ライター/編集者
撮影/S.K.

日本テレビのアナウンサーとして帯番組のMCを担当し、ジャニーズ好きでも知られる青木源太。昨年10月にフリーになり、「日本一のイベント司会者」を目標に掲げて活躍を続けている。初の著書となる『口ベタな人ほどうまくいく たった1日で会話が弾む! 話し方のコツ大全』も発売。準備に2年ほどかけたというフリーでの滑り出しは順調なよう。キャリアプランについての話は、広くサラリーマンの参考になりそうだ。

世の中に仕事はこんなにいっぱいあったのかと

――フリーになって10ヵ月くらいですね。

青木 体感では、もう2~3年くらい経った感じがします。なぜ長く感じるのかを考えると、初めて行く場所、初めて会う人がめちゃめちゃ増えたからでしょうね。日テレ時代の最後の5年間は午前中の帯番組をやっていたので、出社時間は変わらず、スタッフもほぼ一緒。「初めまして。青木源太です」と言う機会がなかなかなくて。今は逆に、初めての方にごあいさつの繰り返しで、緊張もしますし、「まだ1年経ってないのか」という感覚です。うれしいことですけど。

――用意周到に独立されたようですが、それでも想定外なことはありました?

青木 良い想定外だと、世の中に仕事って、こんなにいっぱいあるんだなと。企業の従業員向け、クライアント向けのイベントはインナーで世に出ないから、全然知りませんでした。あと、自分が疎かった分野、たとえばゲーム業界のイベントの司会をさせていただいて、「こんな世界があって、こんなに盛り上がっていたのか」とか、初めて知ったことも多くありました。

――良くない想定外もあったんですか?

青木 YouTubeを自分で始めると、難しかったですね。いろいろなユーチューバーさんの番組を観てきましたけど、編集も含め、人に観ていただく作品を作ることはすごく大変なんだと実感しました。

会社に残れば安泰というわけでもなかったので

――青木さんくらい知名度と人気があると、フリーとしてやっていくことに不安はなかったわけですか?

青木 全然なかったです。自信というより、皆さん、たぶん勘違いされてますけど、日テレにいても競争は厳しくて、安泰なわけではないんです。やり甲斐のあることができるかどうかでいえば、むしろフリーのほうが仕事はいっぱいありますから。

――なるほど。「40・50代は会社の枠を超えて社会に価値を提供できる存在に」と考えられたそうですが、いつ頃からそういう人生設計を立てていたんですか?

青木 30代の中盤くらいですね。20代は目の前の仕事をこなすだけで精いっぱいで、自分のキャリアのことなんて、まったく考えていませんでした。30代に入って、会社の中でジェネラリストとして生きるか、スペシャリストになるか、分水嶺が訪れるわけです。いろいろな部署に行って、最終的に会社全体をマネージメントする立場になるのか、ずっとアナウンサーとして勤めるのか。僕はやっぱりアナウンサーの仕事にやり甲斐を感じていたので、次は局アナのままでいるか、フリーランスになるかで道が分かれていて。それを考え始めたのが34か35歳で、フリーでやりたいという結論になりました。

撮影/S.K.
撮影/S.K.

イベントの司会が一番やりたくて自信もあります

――フリーといっても、タレントに転身したわけではないんですね。

青木 僕はアナウンサーとしてやりたいなと。タレント性はないので、それしかできませんから。イベントの司会者をベースにやっていきたいと思っています。

――「日本一のイベント司会者」を目標に掲げられてます。

青木 僕たちの世代だと、結婚式の司会といえば徳光(和夫)さん、みたいなイメージがあるんです。そんな感じで、イベントの司会といえば青木、というふうになりたいです。いつかは規模の大きなイベントの司会も任されるようになれたらと。

――自分の強みもそこだと?

青木 司会は自信を持ってやらせていただいてます。イベント司会者の役割は何かというと、異なる利害の調整なんです。たとえば映画の舞台あいさつだったら、俳優さんや配給会社さんは映画の話をしたい。でも、取材に来たマスコミの皆さんはプライベートの話を聞きたいかもしれない。お客さんは俳優さんのカッコいいところを見たい。俳優さんが言いたいことだけ言ったイベントが良いのかといったら、そうではなくて。マスコミの皆さんもお客さんも、みんなが満足できるようにするのが、イベント司会者の仕事であり、醍醐味だと思います。それが自分の一番やりたいことでもあって、やれる自信もあります。

――日テレ時代の早い段階で、そういう自分の適性を見出したんですか?

青木 退社するまでの最後の5年間で、日テレが制作した映画の舞台あいさつの司会をした回数は、僕が一番多かったんです。だから適性はあったんでしょうし、自分自身も好きだなと感じていました。最初は全然うまくいかなかったんですけど。俳優さんやプロデューサーさんから、「ここをもっと聞いてくれないと」と怒られたこともありました。やっているうちに、うまくできるようになった感じです。

アナウンサー職は縁があっただけです

――『話し方のコツ大全』の前書きで、もともとテレビっ子で番組制作志望だったことに触れられてますが、アナウンサーを視野に入れたのはいつ頃からだったんですか?

青木 就職活動を始めるときからですね。アナウンサーになりたいというより、テレビの向こう側で仕事をしたかったんです。縁があったのが日本テレビで、その中でアナウンサー職に縁があったに過ぎません。アナウンサー試験の面接でも「落ちたら制作職で受けます」と言ってました。本にも書きましたけど、話は特段うまかったわけでもなくて。

――とはいえ、アナウンサー試験は今も昔もものすごい倍率。そこに受かったのは、やっぱり向いていたんでしょうね。

青木 アナウンサーに、というより、このときの試験に向いていたのかなと、ちょっと思いました。僕は学生時代、毎日図書館で新聞を全紙読んでいたんです。アナウンサー試験の中で時事問題を聞かれることが多くて、全部答えられました。「日テレは合ってるな」と手応えがありましたし、入社してから会社の偉い人に「お前はそこが良かった」と言われました。そういう試験だったことも運だったなと思っています。

――アナウンススクールに通ってもいなかったそうですが、しゃべりもそれなりにできてなかったら、受かるものでないのでは?

青木 全然です。僕は何もできていませんでした。でも、アナウンサーはほぼみんなそうなんです。昔は早稲田大学の放送研究会出身とか、そういう人が多かったと思いますけど、今は全然違いますね。入社してから厳しいアナウンス研修が待っていて、誰でも訓練すれば、ある程度は上達します。

撮影/S.K.
撮影/S.K.

口ベタで話すのが怖くなった時期もありました

――もともと「口ベタだった」とのことですが、それで困ったこともありました?

青木 一番困ったのは、会社に入ってからです。研修でもオンエアでも、細かい言い回しのミスを先輩からよく指摘されて、話すのが怖くなった時期がありました。立て板に水とばかりに流暢に話すアナウンサーもいて、僕はそういうタイプではなかったので。

――学生時代とか日常では?

青木 自分がしゃべらないといけない、うまいことを言わないといけない。そういうプレッシャー的なものを感じて、苦手だなという意識はありました。でも、アナウンサーをやっていて思ったのが、コミュニケーションは自分がずっとしゃべらないといけないわけではなくて。相手が気持ち良く話しているのを、相槌を打って聞いているだけでも成立する。それに気づくまでにちょっと時間がかかって、何だか悩んでました。

――『話し方のコツ大全』は基本、仕事でのご経験を元に書かれています。口ベタだったと言っても、学生時代にある程度克服されたうえで、アナウンサー試験に臨んだのかと思っていましたが、仕事をしながら身に付けたことが多かったのでしょうか?

青木 入社するまでは口ベタの緊張しぃで、さっきも言ったように自分は話がうまいとは全然思っていません。ただ、ひとつ自負があるのは、同僚のアナウンサーとか芸人さんとか、話がうまい方たちをたくさん間近で見てきました。この本も、その方たちのテクニックを紹介している面があります。

スポーツ選手のインタビューで怒られて

――アナウンサーとしてインタビューをして、手こずった相手もいました?

青木 それはいました。特に若い頃は、スポーツ選手とかで寡黙な方も多いので。本に書きましたけど、谷(佳知)さん(元読売ジャイアンツ)にインタビューしたときは、用意した質問をマシンのように聞いていただけで、「メモばかり見て話を聞く気あるのか!」と怒られたのも当然だったと思います。谷さんはやさしい方で、その後も目を掛けてくださって、結婚したときも子どもが生まれたときもお祝いをいただく関係だから、その話も書けました。

――やっぱり話を聞くうえでは、スポーツ選手は難しいところもありますか。

青木 そうですね。タレントさんは自分をアピールする術に長けているので、こちらが何か心掛けなくても、どんどんしゃべってくださる方が多いですから。スポーツ選手や寡黙な俳優さんにお話を聞くときは、いろいろなテクニックを使います。質問にすぐ答えていただけなかったら、「私の場合はこうです」と例を挙げて答えやすくしたり。あとは、その方の過去をちゃんと見ていましたよと。「あのときはこうでしたね」と話を向けたりもします。

撮影/S.K.
撮影/S.K.

やりたいことをするためにプレゼンもしました

――『話し方のコツ大全』では、プレゼン術についても書かれています。アナウンサー職でも、会社でプレゼンすることがあったんですか?

青木 サラリーマンとして、社内のいろいろなプロジェクトに加わっていたので。たとえば会社の新たなあるべき姿を考えるプロジェクトとかが、不定期に立ち上がるんです。どの部署の社員でも参加できて、そういうことに個人的な希望から、わりと積極的に関わっていました。そこで自分からプレゼンもしました。

――形になったこともありました?

青木 そうですね。社内のいろいろな部署の人たちと、「こういう方の話を聞く勉強会を主催したいです」というプレゼンをして、予算をもらってジャーナリストの方の取材に行きました。あと、SNSもそうです。僕は2018年1月からツイッターを始めましたけど、当時は局アナでやっている人はいなかったんです。なぜ必要なのかプレゼンして、実現しました。

――会社に属していても、セルフプロデュース感覚をお持ちだったんでしょうね。

青木 そんなカッコよくは捉えていませんけど、やりたいことはしたかったので。そのためにプレゼンが必要な局面があれば、資料から作ってやってました。

――今もプレゼンするかどうかは別にしても、何かやりたいことを温めているんですか?

青木 今やりたいことははっきりしていて、とにかくイベントの司会を頑張りたい。事務所の方にもそういう仕事を中心に取ってきていただいてます。フリーになって10ヵ月なので、まずはイベントの司会で身を立てて、そこをベースに他の仕事にもどんどん挑戦していきたいですね。

ラジオの難しさを初めて知りました

――フリーになってから始めて、やり甲斐が大きい仕事もありますか?

青木 それはラジオですね。今、レギュラー番組をやってますけど、日テレはラテ兼営の局ではなかったので。TBSさんはラジオもあって、局アナが番組を持ったりもしますけど、日テレではそういう機会がなくて、新しい世界でした。

――ラジオならではの難しさもありますか?

青木 めちゃめちゃ感じます。僕たちはテレビで育ったので、視覚に助けられて、形状とか画面に映っているものは説明しなくて良かったんです。その点、ラジオは映像がないので、つぶさに説明しないといけない。そこは難しいです。

――レギュラーの『青木源太・足立梨花 Sunday Collection』は政府広報番組で、ともすればお硬くなりそうな中、エコ診断がテーマの回の枕で「ビニール傘をコンビニで買ったときの敗北感」から入ったりして引き付ける話術は、さすがだなと思いました。

青木 いやいやいや。ラジオの方は話術だけで簡潔に話されますけど、僕からしたら身振り手振りや表情とか、今まで使っていた武器を取り上げられた状態なので、本当に難しいと思っています。でも、フリーになったからこそ、できる仕事ではありますね。

一度やった仕事にまた呼ばれるのが一番の喜び

――青木さんの中で、ロールモデル的な存在はいますか?

青木 局アナ時代からいないんです。いたら、その人の足跡をトレースして、自分と同じ年齢のときにしていたことを目指せばいいんですけどね。でも、今はロールモデルが不在の人も多いですし。僕自身はどうしたかというと、いろいろな人から自分のなりたい部分を抽出して、ごった煮にして取り入れて、自分をアップデートしていく。それしか手法はないと思っています。そういう意味では、「ここが素晴らしいな」というアナウンサーは何人もいます。同期の桝(太一)くんもそうですし。

――そういえば、TBSの国山ハセンアナについて言及されたツイートもあって、目配せが広いなと思いました。

青木 局に関係なく番組は観ていて、年下の人にも学ぶことはとても多いです。特にハセンくんの『グッとラック!』の回しはうまいなと思って、めちゃめちゃ勉強になりました。

――青木さんの立ち位置は確かに、男性アナウンサーとして独特だと思います。イベント司会者の他にも、ジャニーズや男性美容などでも発信されていますが、40代に向けてはどんな展望がありますか?

青木 フリーになって、一度やった仕事にもう一度呼んでいたくのが、一番の喜びになっています。局アナ時代は仕事は上司から振られるものだったので。司会者として「また青木さんで」とオファーをいただくことを、ずっと続けていくのが最大の目標です。その積み重ねで、「イベントの司会といえば青木源太」と言われるようになれたら。

――アナウンサーというところには、こだわりが強いんですね。

青木 もちろんです。僕はタレントになったわけではないので、アナウンサーや司会者として、何かを進行していくことこだわっていきたいです。それが向いてますし、最初にお話したように縁があったアナウンサーの仕事に、ずっと触れ続けていきたいと思っています。

レプロエンタテインメント提供
レプロエンタテインメント提供

Profile

青木源太(おあき・げんた)

1983年5月7日生まれ、愛知県出身。

慶應義塾大学卒業後、2006年にアナウンサーとして日本テレビへ入社。情報・バラエティ番組への出演を中心に、箱根駅伝などスポーツ中継の実況も担当。 2015 年 10 月より『 PON! 』、2018 年 10 月 より『バゲット』の MC。 2020 年 9 月 で日本テレビを退社し、フリーアナウンサーに。『火曜サプライズ』(日本テレビ系)に出演中。ラジオ『青木源太・足立梨花 Sunday Collection』(TOKYO FMほか)でパーソナリティ。

『口ベタな人ほどうまくいく たった 1 日で会話が弾む! 話し方のコツ大全』

8月10日発売/宝島社/1500 円(税込)

宝島社提供
宝島社提供

芸能ライター/編集者

埼玉県朝霞市出身。オリコンで雑誌『weekly oricon』、『月刊De-view』編集部などを経てフリーライター&編集者に。女優、アイドル、声優のインタビューや評論をエンタメサイトや雑誌で執筆中。監修本に『アイドル冬の時代 今こそ振り返るその光と影』『女性声優アーティストディスクガイド』(シンコーミュージック刊)など。取材・執筆の『井上喜久子17才です「おいおい!」』、『勝平大百科 50キャラで見る僕の声優史』、『90歳現役声優 元気をつくる「声」の話』(イマジカインフォス刊)が発売中。

斉藤貴志の最近の記事