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一流企業のキャリアと地位を捨てた50代女性、退職理由は「婚活」?! ~人生100年時代の女性の決断~

齋藤薫美容ジャーナリスト・エッセイスト
(写真:アフロ)

 キャリアある50代の女性たちが、あちらでもこちらでも一流企業を突然退職している。それも、ヘッドハンティングによる引き抜きでもなければ、転職でも、独立でもない。ただ退職していく、その異変の理由を探る……。

引き抜きでも、転職でも、独立でもない。ただ会社を去る女性たち

 知っていただろうか? 今、女性たちの間で、不可解にして素晴らしい現象が起きていることを。"不可解にして素晴らしい"……妙な表現だけど、まさにそういうふうに言うしかない異例の出来事、キャリアある50代の女性たちが、あちらでもこちらでも突然会社を辞めてしまうという流れが生まれているのだ。

 いや、引き抜きなどによる転職なら、少しも不可解ではない。特にファッション業界や化粧品業界といった、女性がもっとも活躍できるフィールドでは、順調にキャリアを重ねてきた有能な女性が、まさしくヘッドハンティングされて、より良い待遇でキャリアアップするのは、かなり昔から頻繁に行われてきたこと。また目的が独立であっても、誰も驚かない。スキルのある女性が起業するのは、むしろ自然なことだからだ。

 しかし今回、非常に不可解なのは、まさにそうした有能な女性たちが、引き抜きでも、また独立でもなく、仕事上は全て未定の状態で、ただ単に長年務めてきた会社を辞めるという決断を下しているのだ。同時期に何人も……。

「あまりにもったいない」「意味がわからない」退職

 じゃあ何が素晴らしいのか? 考えてもみて欲しい。充分にスキルを積んだ女性たち。このまま会社にいさえすれば、さらなる出世でかなり上まで上り詰めることもできただろう。つまり、そういう可能性を自ら断ち切るのは、大変に勇気の要ること。

もちろん、とてもデキる人たちだから、大企業の看板を下ろしても、きっと何とかなるという静かな自信が、ハタからは無謀にも見えるその決断を後押ししたはず。ただ、そうだとしても、自分の足で一歩を踏み出す勇敢さと潔さは並大抵のものじゃない。

 周囲はみなこう口を揃えたそうである。「あまりにも、もったいない」と。「意味がわからない」と。確かにこれまでの常識にのっとれば、イチからやり直すのには、申し訳ないが少し遅いような印象もある。30代40代で会社を辞めるのとは意味が違うのだ。

 定年が60代とすれば、50代はいかにも中途半端。有能な人ほど、あとはむしろもう上り詰めるしか、方法はないと思う年齢のはずなのだ。さもなければ、ぼちぼちまとめに入るタイミング。だからそこに、"ただ会社を辞めてしまう選択"があるなど、誰も思っていなかった。

 そこには、見栄も野心も打算もないからこそ、理由を聞く前から、その決断には心を動かすものがあったわけだが、さらに驚いたことに、その人たちは皆同じ理由を口にしたのだ。「今やらなくては、いけないと思った」。

一流企業を去った3人の女性たち。それぞれの理由

画像はイメージ(shutterstock)
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 ここに、同じ決断をした3人の女性、それぞれの詳細がある。

ケース1

 大手国産化粧品メーカーで、まさに女性では異例の出世を遂げようとしていた50代の女性が、そのポジションから逃れるように、超一流企業をあっけなく辞めた。理由 は「婚活」。決まった相手がいて結婚するために退職したのではなく、これから探すという決意のもと……。

 いろんな価値観の女性がいていい。昇格し、責任が増えることを拒む人がいてもいい。しかし今まで、ハタから見ても仕事一筋に見えた人なら、女性として長になるのは1つの成就。周囲はやはり唖然とした。一体なぜ? と。

 この人には、仕事をやり尽くした感と、少し休みたいという願望があったという。そしてもう一つ、ずっと後回しになっていた"結婚"をという思いがあったようだ。ただ婚活に関しては、"周囲が心配するから"勢いで言ってしまった大義名分かとみんな思っていた。

 ところが退職後、本気で婚活を始めたこの人は、なんと退職からたった半年で、結婚を決めた。お見合いサークルのようなところでは、さすがにめぼしい相手が見つからなかったが、結婚したいという思いを周囲に本気で伝えていたら、たまたま紹介された人が、まさしく運命の人。人生ってそんな風にうまく行くものなのか? とまた周囲を唖然とさせた。

 まるで、今まで全身全霊で仕事に打ち込んできた人へのご褒美のような展開。今は、互いの趣味を分かち合うように、幸せな日々を送っていると言う。

ケース2

 世界に冠たるファッション・ブランドにおいて、やはり極めて責任ある立場にあった女性が、50代で突然退職する。それこそすべての女性が憧れるような特別なポジション。誰も理解ができなかった。

 もうその先は、どこかのトップになるしか選択肢はないほどの人。おそらくそういうレベルのヘッドハンティングも数限りなく来ていたはず。一体どんな華々しい転身を見せてくれるのかと、本当に退職するその日まで、誰もがそう思っていた。

 ところが、フタを開けると驚くなかれ、その人はもう一度勉強したいと大学院に入学していた。もちろん、ちゃんと学生と共に入学試験を受けて。仕事をしながらの受験勉強はなかなか過酷なものがあったと、後から語っている。

 でもなぜそんな心境に? ずっと仕事をしてきて、アウトプットし続けたから、そろそろ改めてインプットしなければ、と言う思いに至った。純粋に学びたいと思ったというのである。私たちの「もったいない」という気持ちが、一転「羨ましい」という気持ちに変わった。

 大学院は2年。その後は未定、仕事をするにしても、ゆっくり考えるという。ともかく今は、20代の学生たちと肩を並べて勉強の日々……。

 しかしもう一つ、大変に興味深いのは、その一流ブランドを辞める最大の引き金になったのが、いわゆるインスタグラマーの若い女性たちに出会ったこと。彼女たちが、どんな組織にも所属せず、何の後ろ盾もなく、ここまで時代の寵児として活躍しているのを見て、ハッとしたと言うのだ。

 もうこれからは、企業に従属していなくていい時代なのだと確信したというのである。

ケース3

 大手出版社を50代で辞めた女性は、編集長職にあった人。会社を辞めることで、編集長を降りるというケースは極めて稀。そうした異例の判断に、編集部内からも納得できないと言う声が出たくらい。

 やはり編集者にとって、編集長となり自分の雑誌を作ることは、当然の夢でもあるはずで、その立場を自ら降りることは非常に珍しい。しかも編集者の退職=フリーになる、というのが一般的だが、そうした常識もこの人は覆し、「充電したい」とだけ言った。

 しかも、その理由は、「以前のように企画がすんなり出て来なくなったから」……そこには一番びっくりした。正直なんとでもなる立場なのに、自分の中のアイディアの枯渇が許せなかった訳で、なんという誠実な人なのだろうと。

 

 そして今、この人は文字通りの充電に入っている。たとえば、あらゆる可能性を覗き見ながらの旅。と言っても日本の地方でのんびりする旅。今は無性に田舎に心惹かれるのだそう。

50代は、人生でいちばん不安なとき

 それぞれに、素晴らしいと思う。人生を惰性では生きない、既成概念に流されない、自分の足で歩いて行くとは、こういうことなのだろうから。

 もちろん、1つの企業で自分の仕事を全うすることも、またそれはそれで素晴らしい。野心を持つことがいけないのでもない。でも、勇気を持ってキャリアを断ち切り、自力で道なき道を切り開き、次の人生を生きようとするその姿は、まったくもって素晴らしいと思うのだ。

 思えば、今の50代はちょうど男女雇用機会均等法が施行された頃に、社会人となっている。今となっては信じがたいが、それまで女性が30代から先も仕事を続けることは、全く当たり前ではなかった。だから、働く女性の人生のまとめ方には、ティピカルなお手本がなかった世代と言ってもいい。

 ましてや50代と言えば、本来なら先が見えてきて、人生で1番不安になる年齢である。今まで全力で仕事をしてきた人ほど、何かしらの虚無感を持ち、なす術なく脱力するような。

 そうしたタイミングで、一流企業をただ去るなど、男性には想像もできないだろう。言うならば、これまでの男性社会における仕事人生にはありえない、女性ならではの生き方を見せてくれたことは、大変に有意義なこと。

人生100年時代、50代は折り返し地点に過ぎない

 奇しくも今、人生計画を練り直さなければいけないときである。ほんの数年前まで「人生は80年」だったのに、今年はいきなり「人生100年」になっている。言うまでもなく、癌などでは人が死ななくなることを想定した新しい寿命。しかも生物学的に人間は、何のアクシデントも起きなければ、120歳まで生きるそうである。

 どちらにしても、そうなれば50代は、まだ折り返し地点に過ぎない。スキルを磨いてからの50年はあまりにも長い。だから従来の仕事人生のプロトタイプをなぞっていたら、嫌になるほど時間が余ってしまう。だからこそ、この人たちは、こう思ったのだろう。「今やらなくてはいけない」と。

 それはこの人たちが、時代と敏感に呼応するような仕事をするうち、いつの間にか培われていた第六感によって、ザワザワと感じていたことなのだろう。今ここで動き出さなければ。今ここで外に出なければ。

 焦燥感ではない、命あるものが放っておいても新しい芽を芽吹かせるように、外の世界に、未知の世界に、とても自然に視野を広げたと言うことなのだろう。

安室奈美恵の引退もまた、不可解にして素晴らしい!

 思えば、安室奈美恵の引退もまた、不可解にして素晴らしかった。全く衰えを知らないパフォーマンスと愛らしさ、なぜ引退する必要があるの? と多くが未だ納得していない。不可解なまま、その勇気と潔さに拍手喝采を贈ったものだった。

 一方で、還暦を過ぎたマドンナはますます気炎を上げていて、それこそ一生歌い踊り続ける勢いだが、真逆の判断をした安室奈美恵がここまで愛されるのは、どこかとても日本的だけれども、未だトップにいる自分を、逆に過小評価するほど慎ましく謙虚な生き方に、ちょっとした感動を覚えるからではないだろうか。

 この3人の女性たちにも、同じものを感じた。いや、謙虚とは違うのかもしれない。しかし、大企業の後ろ盾と地位を得ると、人間どうしても自分を過大評価してしまう傾向にある中、彼女たちは社会を正確に測る物差しで自分を測り、そして、一個人に戻った。自分自身に戻ったのだ。そこはやはり、あっぱれである。

 何をしてもいい。何もしなくたっていい。それは単に自由になることではなく、何の規制もなく、自分のキャンバスに自分の手で自分の人生を描いていくこと。そういう生き方もあるという当たり前のことに、ひと度気づいたら、もう定年まで待てなくなった。そういうことではないだろうか。

 いたずらに、「定年前に会社を辞めましょう」などと無責任な提唱をするつもりは全くない。しかし少なくとも今の時代はまだ"定年=老後"というイメージがついて回る。

 人間にとって、つまらない既成概念による縛りは、想像以上に大きく、決して侮れないもの。60代はもう高齢者だと言われたら、それだけで歳をとってしまう。人間とはそういう生きものなのだ。だからネガティブなイメージに縛られず、50代という、まだ存分に力が漲っているうちに、外に向かって歩きだす……1つの生き方として、それをぜひ選択肢に加えたい。だってそれこそまだ、折り返し地点にいるのだもの。

画像はイメージ(shutterstock)
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「自分らしく生きる」のウソ

 「自分らしく」という言葉がある。女性へのメッセージには、何故かいつの時代もこの言葉が溢れている。「自分らしく!」「自分らしさを!」「自分らしく生きましょう!」でも、いつも疑問に思っていた。何という言葉の上滑り!

 まだ社会にきちんと根ざしていない人たちに対して「自分らしく」と連呼しても、あまり意味がない気がするからだ。身勝手に生きましょうと言っているように聞こえるから。つまり、会社でちょっと嫌なことがあったから、"自分らしく、会社を辞めちゃう"、みたいな自分らしさならいらない。そういう生き方を鼓舞してどうするのだろうと。

 でも、初めてこの言葉に命が宿るのを感じた。この3人の女性たちこそ、今まさに自分らしく生きようとしている。 仕事とは、言うならば"社会と会社とクライアントのニーズ"に応えること。今まで散々、無理難題に応えてきた人だけが到達できる境地、それが"自分らしく生きること"なのではないか。組織の中で1つの仕事に全身全霊で取り組めば、そこで揉まれて、磨かれ、鍛えられ、強靭な一個の人間ができあがる。その上で、自分らしさを取り戻していく、それが人間の正しい生き方なのではないだろうか。

 50年間、魂を込めて日々を生きていれば、人には自然に、ある種の"予知能力"のようなものが備わってくる。自分の未来を踏み外さないだけの第六感が。

 だから、この人たちは、本能的に導かれたのだろう。第二部の人生に。私は、この勇気ある女性たちに、誰の人生にも第二部が必要であることを教えられた。濃密に生きてきた人ほど、早々と第二部を始められることも。そして、人生は思っている以上に長いことも……。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです 】

美容ジャーナリスト・エッセイスト

女性誌編集者を経て美容ジャーナリスト/エッセイストへ。女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーなど幅広く活躍。『されど“男”は愛おしい』』(講談社)他、『“一生美人”力 人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)など著書多数。

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