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他人の容姿を揶揄する人は、コンプレックスが強い? 女性蔑視とボルサリーノな帽子の関係

齋藤薫美容ジャーナリスト・エッセイスト
写真:Crystal Pictures/アフロ

女性を褒める言い訳として、同時に揶揄する男社会

今、物議を醸している麻生副総裁の“上川外務大臣に対する差別発言”は、言うまでもなく、この人にこびりついている女性蔑視が言わせること、という見方が一般的だ。

ただ今どき、ルッキズムを下地にしたあの手の発言がどれだけの批判を浴びるかなど小学生でも知っているのに、なぜわざわざ言葉にするのか。数々の問題発言はこれまでも「あの人は、ああいう人だから仕方がない」と、意味不明な論旨で済まされてきたけれど、なぜああなってしまうのか。そこにある要因をどうしても検証してみたくなった。

そもそも一番大きな問題は男社会にはびこるホモソーシャル、つまり男同士の共感性を求めるがあまりに、下手なウケを狙ってしまうこと。公の場で、女性を“おばさん呼ばわり”するのは紛れもなくそのパターンで、女性の大臣を褒めるためには、 そのエクスキューズとして、同時に相手を女性として軽く揶揄しておかなければ、ホモソーシャルに反してしまうという心のベクトルが働いたのだろう。

ただ逆に、女性ばかりの職場では、特定の男性を嘲笑するような話題で盛り上がるといった女性同士の絆作りも見られるわけで、とにもかくにもここには政界において女性が少なすぎるという問題がある。女性議員の割合が3割4割を超えてくれば、いかに“あの人”でも、そんな危ない発言はできなくなるはずなのだ。

異性の容姿を揶揄する心理の奥に、コンプレックス?

そしてあくまで一般論として、「人の容姿、とりわけ異性の容姿を揶揄する人は、何かのコンプレックスがある」……そんな言い方もあったりする。本人にその自覚はなくても、何らかのコンプレックスが、人を見下したいという行動心理につながっていて、そういう人は他人の容姿に言及することが癖になってしまっていると言うのだ。

一方に、やはり一般論として「自信満々な人ほど、じつは自分に自信がない」という見方もある。傲慢に見えるほど自信を誇示する人には、心の奥底に「能力がないと思われたくない」という意識があり、しかもその根底にある自己肯定感の低さを人に悟られたくないという思いが強いとされるのだ。

そこでふと思うのは、もはやトレードマークとなっているボルサリーノ風の帽子と、いかにもなシルクのロングストール、どう見てもマフィアのようないでたちは一体どうなのか?ということ。あれで海外に出て行くのだけはやめて欲しいと心から願ったものだが、かつてG20に出席した際、アメリカのメディアには案の定「ギャングスター・スタイル」と書かれている。

あの帽子、あのマフィアな装いは、どんな心情から来ているか?

にもかかわらず、今や常にこのスタイル。なぜか大きな歩幅でゆったりと歩く姿はまさにマフィアのボスである。これが最大限のオシャレであるのは間違いないが、残念ながら明らかに、TPOにも洗練にも反している。自意識過剰な目立ち過ぎのファッションには、品格も宿らない。少なくともこういう立場の人は、さりげなく良いものをむしろ控えめに着こなすべき。それが人としての重厚感や知的印象にもつながるのに。

いや国民からすれば、そんなオシャレをする暇があるならば……と思うわけで、このギャングスター・スタイルはオシャレとしても何の効果ももたらしていないと言うことになる。

もちろん何を着ようが本人の勝手、余計なお世話と言われるのだろうが、政治がこんなにも迷走している時代に、ああもファッションに心を砕き、自信満々に差別発言を繰り返すからこそ、逆に虚勢にも見えるマフィアな装いが、人には見せない自信のなさの表れか? などという余計な憶測を生んでしまうのではないか。

ちなみに、歴史的には帽子の種類が階級や職業を一目で見分けるツールとなっていた。そして言うまでもなく嵩の高い帽子ほど、地位の高さを示していたわけで、その名残りがあるのだろうが、ある心理テストによれば、室内でも帽子をかぶる人は自己顕示欲に加え、能力への隠れた不安があるという。

他人の容姿に言及する時の、絶対ルールとは?

ただ結果として、その心理を探れば探るほど、“そういう人なんだから仕方がない”という話になってしまう。もう許してはいけないのに。だからせめてこう訴えたい。どうしても人の容姿に言及したいなら、その絶対条件を知っておくべきと。

百歩譲って、他人が人の容姿について何か言って道議的に許されるのは、“その場で、ほんの数秒で変えられること“に限られるとされる。

つまり姿勢が悪いよとか、前髪はあげたほうが表情がすっきりするのにとか……それも本人に向かって言えることに限られる。いやそれだって今はセクハラ、モラハラに当たってしまう可能性があるわけだけれど、国民として、政治家の容姿についてこれだけは言わせてもらいたい。

せめてもああいう立派な帽子は脱いで、額に汗して政治をしてほしいと。

美容ジャーナリスト・エッセイスト

女性誌編集者を経て美容ジャーナリスト/エッセイストへ。女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーなど幅広く活躍。『されど“男”は愛おしい』』(講談社)他、『“一生美人”力 人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)など著書多数。

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