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「オッペンハイマー」はアカデミー賞にふさわしいのか。そして本当に日本人は観るべきなのか?

斉藤博昭映画ジャーナリスト
「オッペンハイマー」がメインの賞を獲得した全米俳優組合賞より(写真:REX/アフロ)

例年に比べて、アカデミー賞作品賞の予想がここまでイージーな年は珍しい。最近の例で言えば、作品賞のサプライズは『パラサイト 半地下の家族』や『コーダ あいのうた』などの例が挙げられるし、あの『ラ・ラ・ランド』の封筒間違い事件による『ムーンライト』のケースもあったが、これらも前哨戦のいくつかでは受賞していたので、逆転という印象はありつつ、めちゃくちゃ大きな驚きではなかった。

しかし今年は『オッペンハイマー』が前哨戦でことごとく受賞を積み重ねるスイープ状態。クライマックスのアカデミー賞で、他の作品が大逆転を起こす確率は限りなくゼロに近い。ここまで無風状態だと、逆に最後のドンデン返しを見たくなってしまうほど。

なぜここまで『オッペンハイマー』が独走なのか。他作の追随を許さないほど、1年を代表する大傑作なのか。この問いに、素直に答えるのは難しいだろう。そもそも、アカデミー賞は、その年に最も傑作である映画に作品賞を贈るのか……という問題も絡んでくるからだ。過去を振り返れば、『タイタニック』や『ロッキー』、『ゴッドファーザー』、『サウンド・オブ・ミュージック』、『アラビアのロレンス』、『ベン・ハー』、『カサブランカ』、『風と共に去りぬ』など、映画史に燦然と輝く作品が受賞していた歴史がある。しかし、この20年くらいは、後世にも伝え得るような、どっしりとした傑作が受賞した印象は、かなり希薄になった。そうした作品が、実際に誕生しなくなった現実もある。時代との関連性、映画会社のキャンペーンなど、いろいろな条件が絡み合って、「なんとなく」な着地点に賞が行く、と言ってもいい。

『オッペンハイマー』は、たしかに力作である。原子爆弾開発のマンハッタン計画で、中心人物となった物理学者、J・ロバート・オッペンハイマーの人生を、3時間におよぶ長さで描いているからだ。彼の業績が、その後、現在に至る世界の核武装につながったことを考えれば、そのドラマこそ社会を反映するアカデミー賞にふさわしいと捉えられる。

ただ、『オッペンハイマー』が今年の最有力である理由は、一にも二にもクリストファー・ノーランへの賞賛に尽きる。これまで映画を革新する作品、『ダークナイト』、『インセプション』、『インターステラー』、『TENET テネット』などを撮りながら、本人はオスカーを1回も獲得していないノーラン。その業績に対して、『オッペンハイマー』のような重厚な人間ドラマを作ったタイミングで賞を与えるという流れは、当然のように作られた。かつて『ディパーテッド』でマーティン・スコセッシに念願の作品賞・監督賞がもたらされた記憶も甦る。

あまりインタビューに積極的ではないクリストファー・ノーランも、今回ばかりは早い段階から、アカデミー賞など各賞に向けたプロモーション活動を次々とこなし、本気で「受賞したい」思いが伝わってきていた。

写真:REX/アフロ

実際、『オッペンハイマー』は“どっしり感”のある力作ながら、「傑作」と呼べるかどうかは、観た人それぞれではないか、とも感じる。3時間におよぶこの映画は、じつにセリフ量も多く、観る側にかなりの体力を要求する。それゆえに鑑賞後に達成感も大きいので、満足度につながる面もある。ただ、純粋に過去のノーラン作品に比べて、今作がものすごく秀でているかと聞かれれば、全体のバランス、映画としての流れは“普通”に感じられるのではないか。原爆の開発と、それに関するオッペンハイマーの思い以外にもドラマがかなり広がるので、ポイントが絞りきれていない感触もある。

アメリカでの公開、「バーベンハイマー」騒動もあって、原爆の父を描いたこの『オッペンハイマー』が、日本人にどう受け入れられるかが話題になってきたが、そんなニュースが出るたびに、ネットやSNSでは「日本人として、こんな作品は観たくない」という声が、たびたび見受けられた。それは一部だとしても、原爆を加害者のアメリカ側(ノーランはイギリス人)の視点で描かれることに抵抗感をもっていた人もいるのは事実だ。しかも、レビューによって原爆の被害を再現した直接的描写が含まれていないことが明らかになると、その点でも日本からは賛否の声が上がった。

アメリカ映画として加害者的な側面を抑えたいという意向もうなずける。では実際に日本人の感覚で観たら、どうなのかといえば、たしかに被害の直接的シーンはないが、オッペンハイマーがその状況を突きつけられる、ちょっとした衝撃描写があり、そこで広島や長崎の原爆の惨状をよく知っているわれわれ日本人は、その光景を頭に描き、恐ろしさに全身が硬直する。むしろ被害の生々しさをよく知らない人は、その想像力が働かないのではないか。つまり、この直接描かないアプローチは、原爆の実情に詳しい人=日本の観客にこそ、ふさわしいとさえ感じる。実際に映像で描いているものの向こう側に想像力を広げるのが、映画という芸術なら、『オッペンハイマー』でノーランは、そのような手法を選択したと言える。

(c) Universal Pictures. All Rights Reserved.
(c) Universal Pictures. All Rights Reserved.

しかし一方で、日本人としては、この映画によっていかに原爆が恐ろしいものなのかを、もっと世界中の人々に直接的に伝えてほしかったという不満も、同じように残る。もしそうであったら、それこそ日本での劇場公開がもっと混迷したかもしれないが、映画の意義を考えれば、そうしたモヤモヤ感が残されるのも、また事実だ。

アカデミー賞(日本時間・3月11日)で『オッペンハイマー』が作品賞に輝けば、日本の公開(3月29日)までに、さまざまなニュースが駆け巡るだろう。その間に「やはり観るべきか」と迷う人もいるに違いない。

多くの人命を奪った兵器の開発に中心で関わった人物が、その後の人生、いったい何を考えながら過ごしたのか。そこをあからさまな表現ではなく伝える『オッペンハイマー』は、観た人それぞれが自分の感覚で、作品の存在意義に思いを巡らせることだろう。その意味で、日本の観客にとっては「観ないで、あれこれ言うべきではない」映画であるのは確かで、そのように考えさせ、論議を呼ぶ作品にアカデミー賞の栄誉がもたらされるのは、ある意味で重要かもしれない。

(c) Universal Pictures. All Rights Reserved.
(c) Universal Pictures. All Rights Reserved.

『オッペンハイマー』

3月29日(金)より全国ロードショー

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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